池田 大作 指導。 創価学会が池田大作氏の死亡を発表できない理由は何ですか

指導メモ (1966年)

池田 大作 指導

昭和55年5月23日 台東文化会館での懇談会、台東文化会館 「今日、日蓮正宗創価学会がこのように発展し、短期間に正法広布の根を深く広くはることができたのも、日蓮正宗の伝統の根が深いということに他ならない」 (広布と人生を語る・1-62) 昭和55年10月2日 「世界平和の日」記念勤行会、ハワイ会館 「十一月には八百人にのぼるNSAの方々が、総本山に参詣されるとうかがった。 これほどうれしいことはない。 いままで何万人という方々が総本山参詣、ならびに日本での信心向上のための研修会に参加されている。 」 (広布と人生を語る・1-92) 昭和55年10月3日 アメリカ広布20周年記念ハワイ総会、ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ 「大御本尊の御恩を忘れてはならない。 また、代々の御法主上人の御恩も決して忘れてはならない。 」 (広布と人生を語る・1-94) 昭和55年10月8日 アメリカ広布20周年記念ワシントン総会、シェラトン・ワシントン・ホテル 「日蓮正宗の修行は、日蓮大聖人の御聖訓どおりの実践修行がなくてはならない。 大聖人は方便品、寿量品、題目と仰せになっている。 私どもは大聖人の門下として、そのとおり日蓮正宗の教えにしたがって、勤行に励まなくてはならないのである」 (広布と人生を語る・1-103) 昭和55年10月12日 アメリカ広布二十周年記念シカゴ総会、マダイナ公会堂 「(修利槃特の例を挙げて)端的に現代流にいえば、たとえ学問がなくとも、信心の強い人は成仏できる。 反対に最高学府を出たとしても、自己の増上慢があれば地獄に堕ちてしまう、との譬えである。 教学を学ぶ根本姿勢は『信』の一字が最重要課題であることを断じて忘れてはならない。 なお、日蓮大聖人の御書を拝するにあたっては、あくまでも御法主日顕上人猊下の御説法を中心として、よくよく拝していかなければならない。 唱題し、布教に励み、さらに教学を学び、日蓮正宗の教義がいかに素晴らしいものであるかを体得していただきたいのである。 」 (広布と人生を語る・1-118) 「Re:池田大作名誉会長・過去の指導」 昭和61年9月8日 群馬三大学会、婦人部香風会の合同結成式 群馬センター 「大聖人の御在世当時、千日尼が夫の阿仏房を佐渡から身延まで遣わした真心を、大聖人は深く称讃されている。 老齢でありながら、身延まで三度も訪れた阿仏房の求道心もさることながら、その陰にあって、夫を送り出し佐渡で待っている千日尼の純粋なる信心の一念を、大聖人はめでられているのである。 ここに生命の一念の姿勢をなにより重視する、仏法の人間観の一端を拝することができよう。 」(広布と人生を語る・10-96) 昭和61年9月12日 「竜口法難の日」記念のドクター部、転輪会、満月会の合同総会 創価文化会館 「先日、辻副会長が、『仏法の師』『人生の師』をまちがってはならない。 ましてや自分の主人を『信心の師』と錯覚するようなことがあってはならない、と指導していた。 私も大事な話であると思う。 」(広布と人生を語る・10-112) 昭和61年10月19日 社会部、女子部の合同研修会 創価文化会館 「どうか皆さん方は自身の信心と成長のために、日々、御書を拝し研鑽していただきたい。 また現在、『大白蓮華』に連載させていただいている御法主上人の「『観心本尊抄』御説法」を心して拝していきたいものである。 」(広布と人生を語る・10-203) 「Re:池田大作名誉会長・過去の指導」 昭和61年7月30日 フランス青年特別研修会 創価学会新館 「皆さま方は、経済的に苦しい年代にある人が多いと思う。 しかも円高の経済情勢もあり、日本への来訪は費用の面でもたいへんな苦労があったにちがいない。 そのなかを、総本山参詣のため、仏道修行のために来日されたことは、まことに尊いし、その清き求道の信心に感動を覚える。 信心強盛なる皆さま方を、諸天善神はかならずや守護するであろうし、皆さま方は永遠に崩れざる福徳を積んでいることを確信していただきたい。 」(広布と人生を語る・9-226) 昭和61年8月2日 日本、アメリカ、フランス、イタリアの合同青年研修会 創価文化会館 「七百年後の今日、日蓮正宗創価学会が、御法主上人の御指南のもと、大聖人の仏法を広宣流布し民衆を救おうと立つにあたって、大聖人の時代に邪魔をした僧侶や中心的信徒たちが、他宗日蓮宗系の僧侶や教祖となって広布をはばむ。 さらに日蓮正宗創価学会の内部に入ってさまざまな仮面をかぶり正法流布の前進を妨害するのみならず、策謀によって撹乱し、衝動の人々を苦しめ、魔の所作を行うというのである。 三世の生命観に達すれば、そのことがきちんとわかる、と戸田先生は述べられている。 」(広布と人生を語る・9-297) 昭和61年8月4日 高等部、中等部合同総会 総本山大石寺常来坊 「私は、日亨上人が時光をたたえられたように、心から皆さま方をたたえたい。 なぜなら、皆さま方の同世代の人たちのなかには、夏休みといえばテレビに熱中したり、行楽地に行ったり、遊びほうけている人も少なくない。 そうした風潮のなかにあって、このように総本山に参詣し、未来の広宣流布を誓い、字代を担う逸材として育ちゆこうとする心がけは、時光の姿にも匹敵するであろうし、かけがえのない立派なものと思うからだ。 」(広布と人生を語る・9-306) 「信徒として御法主上人の称賛ほど光栄なことはない。 広布後継の使命ある存在である諸君たちは、どうか、もったいなくも御法主上人より讃嘆され信頼されたこの創価学会の大道を永遠に歩みゆかれんことを、心からお願いしたい。 」(広布と人生を語る・9-324) 昭和61年8月24日 「8・24」記念各部代表者研修会 創価文化会館 「この反逆の図式について、日蓮正宗の大学匠であられた堀日亨上人は、こう述べておられる。 『(本師の滅後になると)動もすれば、何かの感情で事を宗義に托して、自分は何某の弟子でない信者でない、忝けなくも宗祖大聖人の御弟子檀徒であると云ふ、反逆児とも云はるべき者が出現する』と。 すなわち五老僧たちは、 自分は日興上人の弟子などではない。 大聖人の弟子である とし、日興上人に信順できなかった。 さらに迫害を恐れ『天台沙門』とさえ名乗った。 その根底は、日興上人と対等であるなどという傲りであり、嫉妬であり、保身に堕した卑しい感情であった。 日亨上人は、反逆の徒はつねに、こうした感情を言葉たくみに正当化していくものであると御教示されているわけである。 」(広布と人生を語る・10-80) 「Re:池田大作名誉会長・過去の指導」 昭和60年3月8日 葛飾区記念支部長会 葛飾文化会館 「現在、埼玉の青年部の代表で『三重秘伝抄』の研鑽をしているのをはじめ、愛知では『開目抄』の研鑽、京都では『当体義抄』の研鑽に力をそそいでいる。 さらに神奈川の代表は『観心本尊抄』に取り組んである。 これは、あくまでも広宣流布を願い、日蓮大聖人の正法正義を世界に宣揚するためのものであり、見事なる成果を期待したい。 さらに、日寛上人の御指南、そして御法主上人の御指南を拝し、あくまでも日蓮正宗の伝統法義にのっとった正確なる探求と研鑽を進めていきたいと思っている。 私もできうるかぎり監修をして、後世に残せる研究としていきたい。 」(広布と人生を語る・7-142) 昭和60年5月3日 「創価学会の日」記念式典 創価女子短期大学体育館 「ただいま、御法主日顕上人猊下より賜りし賞与御本尊に、日蓮正宗のますますの発展を深くご祈念申し上げた」(広布と人生を語る・7-168) 昭和60年8月1日 イタリア、東京、関東の合同研修会 長野研修道場 「若きイタリアの広布の勇者が、総本山への参詣や研修会への参加などを通して研鑽する求道の姿を、本当にうれしく思う。 」(広布と人生を語る・7-223) 昭和61年5月11日 神奈川県本部長の集い 神奈川文化会館 「また『信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」(御書一三三八ページ)の御金言を拝し申し上げたい。 日蓮宗身延派にあっても、南無妙法蓮華経の題目を唱えている。 御書もある。 経文も、法華経の方便品、寿量品等を読経している。 また、もと正宗の僧侶であった『正信会』も、御法主上人の認められた御本尊を拝しているし、読む経文も唱える題目も、われわれと同じである。 外見からみればわれわれと同じようにみえるが、それらには唯授一人・法水写瓶の血脈がない。 法水写瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益であり、功徳はないのである。 すなわち『信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』なのである。 」(広布と人生を語る・8-228) 「それぞれの立場で、広布のために自らを惜しまず活躍しておられる皆さま方は、自分はいっさいが広宣流布に通じる信心をしている、自分の信心は、日蓮正宗の法水写瓶の血脈の信心につらなり、仏意仏勅の道を歩んであるのだ、ゆえに、成仏はまちがいない、諸天の加護がないわけはない、と確信していただきたい。 」(広布と人生を語る・8-229) 昭和61年6月13日 「7・3」記念勤行会 創価文化会館 「とうぜん、仏法の師は代々の御法主上人であられる。 それを大前提として、創価学会には、人生における『師弟』が厳然と存在してきた。 牧口先生と戸田先生との師弟の相対、戸田先生と私とのつながり--これが厳然とあったがゆえに、今日の学会の発展があったと、深く確信している。 この学会の根本精神は、いかなる時代になろうとも、また、いかなる ためにする 非難があろうとも、絶対に忘れてはならない。 」(広布と人生を語る・9-76) 「いうまでもなく、仏法の師は歴代の御法主上人である。 しかし具体的な人生の師弟の関係がある。 その人生の師弟の道の延長として、師弟相対のうえに仏法を学んでいく。 そうでなければ仏法を得ることはできない。 これが日淳上人の仰せなのである。 ……私どもは、今後も、なにものをも恐れず、この御法主上人の仰せを胸に刻み、御指南どおりの仏法の道を勇んで歩み通してまいりたい」(広布と人生を語る・9-81) 「Re:池田大作名誉会長・過去の指導」 昭和59年10月24日 岩国での自由勤行会 岩国文化会館 「今日の勤行会にはお子さんたちも大勢見えているが、たいへんに頼もしいことである。 この幼い子たちに一生涯の信心の源泉を与えゆくという意義は大きい。 幼少のころより日蓮正宗の寺院や学会の会合に接することは、どれほどの大事であるかと、私は強く感ずるものである。 」(広布と人生を語る・6-143) 昭和59年10月26日 呉記念幹部会 呉平和会館 「明年、第六回世界青年平和文化祭が広島で行われることが決まり、なにとぞよろしくお願いしたい。 創立五十五周年の式典もここ広島の地で開催したい。 この式典に御法主上人猊下をお迎えできれば、これ以上の喜びはない。 」(広布と人生を語る・6-147) 昭和60年1月7日 江東区第5回懇談会 江東文化会館 「本年、全学会員は、創立五十五周年という広宣流布の意義ある節にあたって、聖教新聞や大白蓮華に掲載された御法主日顕上人猊下の、新春の御言葉を拝しつつ、健康を回復した秋谷会長を中心として、各地にあって、広布の活動を立派に始動されている。 」(広布と人生を語る・7-12) 昭和60年2月4日 南予圏四本部合同地区部長会 大洲会館 「日蓮大聖人は『大願とは法華弘通なり』(御書七三六ページ)と仰せである。 大聖人門下であるわれわれの眼目もまた、妙法の弘通でなければならない。 その大聖人の仰せどおりに広宣流布に励む地涌の友を、いじめ誹謗することは、謗法であり、最大の悪である。 それが正信会の姿であった。 さまざまな悪と結託し、正法の同志に悪のかぎりを尽くした『悪鬼入其身』そのものの姿であったのである。 そのなかを、御法主日顕上人猊下の御慈悲のもと、皆さんは粘り強く、純粋に大聖人の仰せどおりに信心を貫き、旧習深き地で折伏・弘教に励んでこられた。 そして今日の広布の発展と功徳に満ちた実証を示してこられた」(広布と人生を語る・7-102) 昭和60年2月24日 筑豊支部結成25周年記念地区部長会 筑豊文化会館 「正しい信仰は、日蓮正宗の伝統法義に則り、大聖人の仰せどおりの広宣流布に精進しゆく、清らかな信心の一念にあるのである。 ここに『信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』(御書一三三八ページ)との御金言の意義がある。 」(広布と人生を語る・7-118) 「Re:池田大作名誉会長・過去の指導」 昭和59年3月31日 大石寺開創七百年記念慶祝準備会議 総本山大石寺宗務院 「思うに、御開山日興上人は、四箇の謗法を重ねた地頭・波木井実長の身延を離山なされ、深信有縁の信徒であった上野郷の地頭・南条時光の招請を受けられ、ここ多宝富士大日蓮華山の麓・大石ヶ原に、末法万年にわたる大法護持の法城を築かれたのであります。 時に正応三年十月でありました。 以来、七百星霜、法灯は連綿として謗法限界の御掟を貫き、一点の濁りもなく唯授一人の血脈法水は、嫡々の御歴代御法主上人によって伝持せられて参りました。 いまここに大石寺開創七百年の出発にあたり、御当代日顕上人猊下の御慈悲を拝することは、無常の喜びであります。 」(広布と人生を語る・6-12) 「これからは、御法主上人猊下の御指南のもとに、この大石寺開創七百年という時に生まれあわせた、不思議なる因縁の喜びを深く信心で思い起こして、万年にわたる正法交流の証を残させていただきたいと決意するものであります。 」(広布と人生を語る・6-13) 昭和59年5月14日 福島県人材グループの合同結成式 福島文化会館 「わが日蓮正宗の、根本中の根本は、ご存じのとおり、本門戒壇の大御本尊であられる。 その大御本尊と日蓮大聖人以来の血脈を受け継がれる御法主上人がおいでになり、七百年にわたる伝統法義が厳然とある。 この正宗の根本軌道に則った信心こそが、正しき信心であり、無料の功徳があるわけである。 みずからの信心の濁りや驕慢から、その根本軌道を失ってはならない。 正信会が、そのひとつの最たる例といってよい。 このようなことは過去にもあった。 現在もあった。 未来もまた、あるかもしれないが、よくよく正しき信心を、見失ってはならないのである。 」(広布と人生を語る・6-41) 昭和59年5月22日 島根県記念幹部会 島根文化会館 「利害と毀誉褒貶に揺れ動く人は、いつしか、とうとうと流れゆく広宣流布の大河から取り残され去ってしまうものだ。 そのよい例が、増上慢にとらわれた正信会である。 また、彼らと一体となって宗門と学会を撹乱しようとした元幹部もいる。 御法主上人猊下に師敵対し、同志を裏切り、仏法をまったく知らず、信心もまったくなき邪道邪心の面々は、かならず沈み去っていくものである。 要するに清らかな僧俗和合の中にあって、邪な心をもつ人々はみずから去っていかざるをえなくなっていくのが道理なのである。 私どもは原理原則をふまえ、永遠に僧俗和合をしていかなければならない。 」(広布と人生を語る・6-67) 昭和59年8月8日 全国代表者研修会 長野研修道場 「秋谷会長も、さる六日、元気な姿で退院をし、安心もした。 御法主日顕上人からは御慈悲と御祈念をいただき、深く感謝申し上げる次第である。 」(広布と人生を語る・6-12) 昭和59年8月12日 海外十一か国の代表勤行会 聖教新聞社 「熱暑のなか、十一か国の友が来日され、各国の登山会あるいは小グループで総本山に参詣された。 これほど尊いことはないと、わたしは心から讃歎申し上げたい。 」(広布と人生を語る・6-124) 「総本山に参詣のため日本へ来られたことは、まことに立派であり、私も心から讃歎したい。 日本の方々も、来日を心からたたえ、大事にしてくださる。 」(広布と人生を語る・6-127) 「本門戒壇の大御本尊の仏力・法力は絶大であられる。 ゆえに総本山に参詣し、また御本尊に題目を唱えていけば、大功徳がある。 その大確信をもっていただきたい。 」(広布と人生を語る・6-128) 「かつて戸田先生は、猛暑のなか、総本山へ参詣した人々の姿を見ながら、『これほど尊い姿はない』と涙しておられた。 当時は皆、貧しい姿であった。 」(広布と人生を語る・6-130) 「大聖人の御在世当時も、高齢の身でありながら、はるばる佐渡の地から身延の沢の大聖人のもとを訪ねた阿仏房の信心を、大聖人はことのほかめでられている。 いわんや皆さま方は、遠い国から、総本山へ参詣のため来日されている。 大聖人の御賞賛は絶待にまちがいないし、三世の仏菩薩、諸天善神が加護しないわけはないと確信されたい。 」(広布と人生を語る・6-131) 「Re:池田大作名誉会長・過去の指導」 昭和58年12月7日 福岡の記念勤行会 九州平和会館 「日蓮正宗では、七百年間、御開山日興上人から御当代の御法主上人に至るまで、また未来にわたって、全人類のために、法灯連綿と丑寅勤行をなされてきた。 まことに荘厳であり、すばらしい総本山であられる。 このような教団は他にないと信ずる。 教義のうえからも、また、この事相のうえからも、いかに日蓮正宗の仏法が偉大であり、日蓮正宗の御本尊が正しいかということが、明瞭であると申し上げたい。 」(広布と人生を語る・5-109) 昭和58年12月8日 九州記念勤行会 北九州文化会館 「このような歴史の推移を見たとき、日蓮大聖人の仏法がそのまま七百年にわたり法灯連綿と受け継がれてきた、わが日蓮正宗のすばらしさを実感するのである。 」(広布と人生を語る・5-125) 昭和58年12月20日 足立記念幹部会 足立平和会館 「本日、足立に三宝山実修寺の新築が立派に成り、御法主日顕上人猊下の大導師のもと落慶入仏式が盛大に奉修されたことを、心からお喜び申し上げる。 その護法への真心は、かならずや皆さん方自身の大功徳となりゆくことを確信されたい」(広布と人生を語る・5-134) 昭和59年2月13日 アメリカ広布28周年記念集会 サンタモニカ・世界文化センター 「御法主日顕上人猊下が『世界平和広宣流布大願成就』とお認めの、ほんとうにすばらしい御本尊に勤行・唱題でき、これほどうれしいことはない。 私は、皆さまのご長寿とご多幸と不退転を御祈念させていただいた。 」(広布と人生を語る・6-175) 昭和59年2月15日 ダラス会館開館10周年記念勤行会 ダラス会館 「正確にみずからの永遠なる目的である成仏への軌道を知るためには、御書を拝し、御法主上人の御指南を拝していかねばならない。 」(広布と人生を語る・6-184) 昭和59年2月28日 一乗寺新築落慶一周年記念法要 サンパウロ・開闡山一乗寺 「仏・法・僧の『三宝』を敬い、供養申し上げることは信徒としての根本である。 仏法とは御本仏日蓮大聖人、法宝とは南無妙法蓮華経すなわち本門戒壇の大御本尊であられ、僧宝とは第二祖日興上人の御事であられる。 そして南無妙法蓮華経の大法は、第三祖日目上人、御歴代の御法主上人へと受け継がれ、現在では御当代御法主日顕上人猊下に御相承なされている。 本門戒壇の大御本尊を信じ、仏祖三宝尊への報恩感謝が、信心の根本なのである。 」(広布と人生を語る・6-198) 「ブラジルは、日本からみて地球の反対側にあるため、なかなか総本山大石寺に参詣できないメンバーもいるにちがいない。 その場合は、開闡山一乗寺に参詣し、唱題申し上げることが、総本山に参詣し、本門戒壇の大御本尊に南無しゆくことに通じる。 」(広布と人生を語る・6-199) 「『財施』とは、仏祖三宝尊に報恩感謝の心をもって、財物を供養し奉ることであり、その信心によって我が身に無量の善根を積んでいけるのである。 正宗の信徒として、仏祖三宝尊をつねに敬い、そして令法久住してくださる御僧侶方が安心して御奉公できるためにも、この供養の精神を忘れてはならない。 財施といっても、財の多寡ではなく、仏祖三宝尊を敬い、供養申し上げようとする真心が大事なのであり、その真心の 志 の中に、永遠にわたる功徳、善根が積まれていくのである」(広布と人生を語る・6-199) 「法の布施である折伏によって無量の功徳を受け、財の布施を仏祖三宝尊、御僧侶に供養申し上げる。 そして、再び法施(折伏)に邁進しながら、功徳を積み、広宣流布へと開いていく。 これがまた財施にもつながるのであり、この繰り返しがわれわれの信心である。 」(広布と人生を語る・6-200) 「NSB広布の途上で逝いた方々の追善法要で、塔婆供養がなされたが、塔婆供養の意義について述べておきたい。 死後の生命は、宇宙に冥伏し、生前の因縁に応じて、十界のそれぞれの世界で、苦楽の果報を受けているのである。 塔婆供養による唱題の回向によって、諸精霊に追善がなされ、生命の我を 悪夢 から 善夢 へと転換していけるのである。 そして、本日の追善法要で、正しき仏法、正しき僧侶の唱題・回向によって、諸精霊が苦悩を転じて仏果を得たということを確信してほしい。 」(広布と人生を語る・6-200) 「Re:池田大作名誉会長・過去の指導」 昭和58年8月29日 第1回副会長懇談会 聖教新聞社 「ここ数年来の、宗門を撹乱し学会を混乱させようとたくらまれた陰謀に対して、すべて私どもの正義が証明され、勝利に終わった。 これは大御本尊の御威光はもとより御法主日顕上人猊下の御慈悲のたまものである。 そして皆さま方もよくがんばってくださった。 これからは、今回の画策を見ぬいたと同じように、決して油断することなく、再び僧俗和合の完璧を期していかねばならない。 」(広布と人生を語る・5-74) 「総本山での講習会をはじめ各地の研修会も、多数の方々が参加し、最高に有意義に多いなる成長をとどめてきた。 」(広布と人生を語る・5-75) 「御法主日顕上人猊下は、未来永遠のために、若き法材(竜象)、若きお弟子たちの訓育に御心をくだいておられる。 私どもも将来の大宗門を担いゆかれる、この御法主上人猊下の若きお弟子の方々のご成長を心から祈るとともに、磐石なるご宗門のために、お護りし、見守っていかなければならない。 そのためにも、多くの寺院を建立申し上げ、もって磐石なる『僧俗和合』と『令法久住』と『広宣流布』への法城をととのえさせていただく必要があるわけである。 」(広布と人生を語る・5-76) 「かつて御法主上人猊下は『日蓮正宗は今日、独特な在り方をしておるのであります。 いわゆる既成宗教というと少しおかしいけれども、古くから伝わった教えがあり、しかもまたその中に創価学会というような、その教えを根本としてしかも近代社会に広く布教し開いていくところの姿が現われてきておるという、その両面がそのまま存在しておるのが偽らざる本宗の姿なのであります。 そこには新興宗教にも絶対にみることのできないものがあり、また古い既成宗教にもないものがあるのであって、こういう宗教は世界で日蓮正宗ひとつなのであります』と御説法くだされた。 総本山を根本とした世界に類例のない不思議な姿といってよい。 ゆえに、この原理原則をわきまえて、さらに私どもは、その完璧性を永遠ならしめるためにも、御法主上人猊下の御内意をよくよく拝し、その一つひとつの実現の方向に邁進していくべきであると申し上げたい。 」(広布と人生を語る・5-77) 「皆さま方の努力によって、ある程度の会館もでき上がってきたし、またでき上がりつつあるわけである。 幹部の皆さま方の、会館を一日も早く地域広布のために建てたいという気持ちはよくわかる。 だが、令法久住のためには多くの寺院をいまこそ建立、寄進申し上げ、もって大聖人の御遺命にお応え申し上げなければならないと、私は強く申し上げたい。 たしかに、現実はなにをするにも財政的な問題があるが、それは、御本尊より大功徳を受け、私どもがさらにさらに働いていけば、一切が解決していくと、私は確信したいのである。 また、これが信者の外護の精神であり、これまた学会精神であると申し上げたい。 これからも秋谷会長をさらに支え、とくに副会長、県長等は御宗門を外護し、ならびに大切なメンバーに信頼されゆくすばらしきリーダーとなっていただきたいのである。 」(広布と人生を語る・5-78) 「私も、御宗門を外護申し上げる責任があり、ならびに全学会を守りゆく責務がある。 これまで内外より想像もつかない中傷・非難があった。 しかし、正義がすべて証明されたことは、皆さま方がご存じのとおりである。 」(広布と人生を語る・5-78) 昭和58年10月28日 マレーシアの来日メンバーとの記念勤行会 新宿文化会館 「はるばる東南アジアから総本山へ参詣されたことに対し、最大の敬意を表したい。 日蓮大聖人御在世当時、阿仏房は、佐渡の地より老齢の身でありながら、身延の沢まで大聖人をお慕いし、登山した。 その求道の信心に対し、大聖人よりおほめの言葉をたまわっている。 時代は変われど、いま皆さま方が一閻浮提総与の大御本尊のもとに登山された信心の誠を、御本仏日蓮大聖人、また御当代日顕上人猊下も、必ずや御称賛くださると確信する」(広布と人生を語る・5-91) 「すでに南北アメリカにも日蓮正宗の寺院が建立されており、またヨーロッパにも出張所が開設されている。 いわんや東南アジアは仏法有縁の地である。 マレーシアにいちばん最初に寺院を建立しようとの決意で、ますますの活躍を望みたい。 」(広布と人生を語る・5-93) 「Re:池田大作名誉会長・過去の指導」 昭和58年4月14日 第一回新潟県総会 新潟池田文化会館 「私どもは日蓮正宗の大御本尊に、いかなることがあっても随順していくことが信心の肝要である。 」 (広布と人生を語る・4-254) 昭和58年4月16日 新潟県記念勤行会 新潟池田文化会館 「生・老・病・死の苦悩とともにめぐりゆく『諸行無常の人生』を『常楽我浄の人生』へとどう転じていくか、その根本解決の大法が、日蓮正宗の大御本尊であられる。 」(広布と人生を語る・4-262) 昭和58年4月18日 第一回山形県総会 山形池田講堂 「この日蓮正宗の御本尊を受持し、信行する以外に、永遠にわたる幸福、成仏の因はもはやない。 」(広布と人生を語る・4-267) 昭和58年4月30日 第一回創価草創の集い 東京会館「総本山が日蓮正宗の根本道場であり、御歴代の御法主上人が仏法の師であられることはとうぜんである。 そのことを根本とし、われわれは、戸田先生のもとに集い、青春の生きがいを炎のごとく燃やし戦ったのである。 」(広布と人生を語る・4-286) 昭和58年5月1日 「創価学会の日」記念勤行会 東京会館 「学会は、代々の御法主上人の御慈悲と戸田先生のおかげで、未曾有の折伏を成し遂げた。 正本堂、大客殿をはじめ多くの寺院を御供養申し上げた。 各地に広布の牙城を建設し、同志を励まし立派な信者にと育ててもきた。 広布の大河を世界にまで広げた。 その功徳ははかりしれないと確信する。 」(広布と人生を語る・4-294) 昭和58年5月3日 「創価学会の日」記念勤行会 東京会館 「今日の学会の発展は、御法主上人の御慈悲によることはもとより、戸田先生の一念に呼応した全国の同志の不惜の前進によって築かれたものである。 」(広布と人生を語る・4-297) 昭和58年5月4日 「氷川池田青年研修塾」記念の集い 氷川池田青年研修塾 「地球の自転のエネルギーも、宇宙のさまざまな力が働くなかから与えられているという。 信心も同じである。 自分自身の信心の力、広布への力をつけていくために、同志の励ましなどさまざまな信心深化の関係性がある。 その根本が師弟の関係である。 われわれにとっての仏法の師は御法主上人であられ、人生の師は戸田先生であった。 」(広布と人生を語る・4-301) 昭和58年5月14日 第7回全国通信員大会 聖教新聞本社 「創価学会は、日蓮正宗の教義を根本に、大聖人の御遺命である広宣流布の実現に邁進してきた。 」(広布と人生を語る・4-308) 昭和58年8月16日 第4会SGI総会 札幌文化会館 「末法万年にわたる希望の時代への 夜明け である今日、世界各国で地涌のリーダーである皆さん方が、全人類の先駆けとして信心し、多くの人々を御本尊へと導き、指導し、総本山へ参詣させていることは、重大なる意義をもっていることを確信してほしい。 」(広布と人生を語る・5-68) 「Re:池田大作名誉会長・過去の指導」 昭和58年1月4日 墨田区代表者の集い 墨田文化会館 「御法主上人に師敵対した悪僧も『我慢偏執』になってしまったのである。 」 (広布と人生を語る・4-95) 昭和58年1月17日 千葉県代表者の集い 千葉文化会館「 明十八日には、御法主上人猊下が、初のブラジル御親修にご出発になられる。 御親修の旅かつつがなくご平安であられるよう、ともどもに心から御本尊に御記念申し上げていきたい。 」 (広布と人生を語る・4-116) 「信心をどこまでも根本としていくことこそ、学会精神である。 つまり、学会精神とは、総本山を外護申し上げ、大御本尊を守り、祈り、弘めていくことにある。 折伏精神であり、かぎりなく広宣流布へ挑戦しゆく精神である。 なにごとも不隊の精神である。 」 (広布と人生を語る・4-119) 昭和58年2月14日 練馬区記念幹部会 練馬文化会館 「大聖人の仏法は、日蓮正宗の代々の御法主上人の御慈悲により厳護され令法久住されてきた。 それを世界へと弘めゆくことこそ、われらの使命なのである。 」 (広布と人生を語る・4-200) 昭和58年3月5日 第五愛知記念幹部会 豊橋文化会館 「つまり、われわれの信心において『生命の門』とは、もったいなくも『大御本尊』であられ、この日蓮正宗の大御本尊に日々、唱題をしていくならば、三世永遠にわたり常楽我浄の人生の門にたしかに入っていけるのである。 」 (広布と人生を語る・4-205) 昭和58年3月8日 愛知県記念幹部会 厚み研修センター 「日蓮正宗の御本尊に唱題しゆくその実践は、いわば妙法の 放射線 を生命へ、人生へと放ち、自身の福運をつみかさねつつ、魔の働きを根底から切っているのである。 」 (広布と人生を語る・4-212) 「世間や政治の次元では妥協はあっても、謗法厳戒が日蓮正宗の教義であり、仏法の次元で妥協があってはならない。 いかなることがあっても、純粋にして強盛な信心を貫く人に、三世十方の仏・菩薩の加護がある。 」 (広布と人生を語る・4-214) 昭和58年3月14日 京都記念幹部会 京都池田講堂 「かりに御本尊も、一見すればたしかに物体であり、なくなる場合もあるようにみえるが、代々の御法主上人が、かならず御本尊の御図顕をなさってくださる。 絶対の法が残されるのである。 」 (広布と人生を語る・4-216) 昭和58年3月15日 兵庫県最高会議 西宮市内の功労者宅 「御法主上人が大導師として、われら衆生を大御本尊へとお導きくださる儀式こそ、根本的な次元での『広宣流布の儀式』であることを明記しなければならない。 」 (広布と人生を語る・4-222) 「日蓮正宗総本山に七百年間、法灯連綿、嫡々付法、唯授一人で伝えられた伝統法義を根幹として、いま、広宣流布を開きゆく私ども創価学会にも、いくつかの法戦から生みでた伝統の式典の日があることは、後世のためにも重要ではないかと私は考えるしだいである。 」 (広布と人生を語る・4-231) 「Re:池田大作名誉会長・過去の指導」 昭和57年9月9日 北陸記念勤行会 石川文化会館 「御法主上人猊下の御下、われわれは信徒として日蓮正宗をいよいよ外護申し上げていかねばならない。 そこにのみ令法久住があるからである。 」 (広布と人生を語る・4-45) 昭和57年9月10日 第一回北陸功労者の集い 石川文化会館 「こうした法難を思うにつけ、いよいよ御法主上人猊下を一致団結してお守り申し上げ、もって御法主上人猊下の御慈悲にお応えしていかねばならない。 」 (広布と人生を語る・4-56) 「近年においては、創価学会の法難がある。 明治以後の神道復興、そして東条内閣が出現し、戦時体制強化にともなう当局による弾圧であった。 すなわち、宗教各派の合同方針が取られ、文部省が軍部権力を背景に日蓮宗の各教団も短称日蓮宗(身延)へ合同しなければならないと強要してきたのである。 この謀略に対して、宗門の小笠原慈聞は水魚会の一員となって策謀の一端を担い、神本仏迹論なる邪義を唱えて軍部権力に迎合するにいたった。 しかし、総本山大石寺は、この合同に断固反対し、七百年にわたる正法の清流を厳護しぬき、昭和十六年三月三十一日、単独で宗制許可を取った。 ゆえに今日があるわけである。 当時、こうした背景のなかで牧口初代会長、戸田理事長(第二代会長)以下、多くの学会の幹部が治安維持法違反、不敬罪の罪で逮捕された。 」 (広布と人生を語る・4-58) 昭和57年9月11日 富山県記念支部長会 富山文化会館 「この法、すなわち末法の大白法は、唯授一人、血脈付法の御歴代の御法主上人御一人が、お伝えあそばされているのであり、そのうえからわれわれ信徒のために御本尊をお認めくださっているのである。 ここに、令法久住があることを知らねばならない。 したがって、われわれは総本山を外護申し上げ、御法主日顕上人猊下の御指南のもと、僧俗和合の道を歩みゆくことが正しいのである。 それを機軸として、われわれは、社会のなかへ、民衆のなかへ、広布の活動を展開しているわけである。 」 (広布と人生を語る・4-67) 昭和57年9月21日 第三会SGI総会 神奈川文化会館 「先日、各国の代表が総本山に参詣し、御法主上人猊下に御目通りした。 そのさい御法主上人から『皆さんには正法正義を正しく信じ、行じておられるがゆえに、各国とも立派に成長し、発展している。 あとは、仲よく異体同心で信心にはげんでいただきたい』との趣旨の御言葉をたまわったとうかがっている。 どうか、御法主上人の御指南のとおり、各国とも仲よく、異体同心で前進されたい。 」 (広布と人生を語る・4-75) 昭和57年12月16日 第三祖日目上人第六百五十回遠忌大法会 総本山大石寺・大書院 「昨夜は、御法主上人猊下より深秘甚深の御説法をたまわり、私はひとしお恐懼感激いたしておるものでございます。 神力品の結要付属の深義より説き起こされ、一時間にわたって本宗の根本中の根本義たる血脈付法の甚深なる大事を『二箇相承』『日興跡条々事』にもとづき、まことに御明快に御指南くだされたことは、凡下の私ども日蓮正宗信者の信心をば正しく御教導くださる御法主上人の、深くしてまた広々とした御慈悲と拝したてまつり、私どもは、大石寺開基七百年へ向けて、全力をあげての御奉公を深く決意したものであります。 」 (広布と人生を語る・4-84) 「宗祖日蓮大聖人、第二祖日興上人、第三祖日目上人の御心を深く深く体したてまつりながら、私たち地涌の戦士はいよいよ信力、行力を奮い起こし、僧俗一致をもって、どこまでも第六十七世日顕上人猊下を厳護申し上げ、雄渾の信心で明年もまた、新たなる建設への前進をここにお誓いするものでございます。 」 (広布と人生を語る・4-86) 「Re:池田大作名誉会長・過去の指導」 昭和57年7月24日 第一回関東会研修 長野研修道場 「日蓮正宗の根幹をなすものは血脈である。 大御本尊を根本とし、代々の御法主上人が、唯授一人でこれを受け継ぎ、令法久住をされてこられた。 御本尊を御認めあそばすのは、御法主上人御一人であられる。 われわれは、令法久住のための信心を根幹として、広宣流布に邁進しているのである。 しかし、いくら広宣流布といっても、御本尊の御認めがなければできない。 われわれは、あくまでも総本山根本、御法主上人厳護の信心で進んでまいりたい。 」 (広布と人生を語る・3-256) 「思えば、私どもはたいへんな福運をもって生まれた。 代々の御法主上人のもとに、立宗七百年祭、さらに熱原法難七百年、また大聖人第七百御遠忌等々、数多くの佳節を慶祝することができた。 さらには、大石寺開基七百年も迎えることができる。 いままた立宗七百五十年をめざすことは、まことに意義深いといわなければならない」 (広布と人生を語る・3-263) 昭和57年7月28日 新潟代表者研修 長野研修道場 「社会はますます複雑になっていくであろう。 その動向に対処するため、学会も多様性を要請される場合がある。 しかし、ただ、次の点だけは不動の路線であることを忘れてはならない。 それは、 一、三大秘法の大御本尊が一切の根本であると拝していくことだ。 二、御法主上人の御もとに日蓮正宗の伝統法義を確実に体していくことだ。 三、それを基調として、学会は、広宣流布の展開をしていくのである。 すなわち『身』と『行』と『学』を深め、広げていくのである。 この大原則を離れて、大聖人の仏法はありえないし、いかに内外ともに複雑性をもつ時代になろうとも、この軌道のうえを進んでいけばまちがいないのである。 」 (広布と人生を語る・3-271) 「法華経方便品には、増上慢の衆五千人が、釈尊の説法を聞く必要はないと、座を立ち去ったと記されている。 この姿に照らすならば、大聖人に師敵対した増上慢の徒、また、今日、御法主上人に師敵対し、学会を破壊せんとする増上慢の徒の策動もまた、むべなるかなとうなずけるのである。 」 (広布と人生を語る・3-276) 昭和57年7月30日 第十回伸一会研修総会 長野研修道場 「いま、日蓮正宗御宗門においても、仏法の師であられる御法主上人猊下に師敵対する僧俗が出たことは、まことに悲しむべきことである。 これは恐ろしき謗法であり、真の日蓮大聖人の仏法を信解していない証左なのである。 血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の仏法はありえないのである。 広宣流布そして正法正信の直系を離れ、我見の教学を論じ、背信の一群をリードしたとしても、それは異説邪道である。 そのようなごまかしの教学に、絶対にたぶらかされてはならない。 正法正信のために、後世のために、私どもは強く戒めておかねばならないと思う。 」 (広布と人生を語る・3-294) 「大聖人御入滅の後、唯授一人・血脈付法された第二祖日興上人は、大聖人の広大無辺の大仏法を、いささかも違えることなく、令法久住されることに無量の辛労をつくされた。 以来、法灯連綿と七百三十年のあいだ、厳護されてきた法水は、御当代御法主日顕上人猊下に受け継がれておられる。 御法主上人の御説法を拝しながら正しく信行に邁進しゆくことが大切なのである。 」 (広布と人生を語る・3-297) 「Re:池田大作名誉会長・過去の指導」 昭和57年4月25日 「太田の日」記念の集い 立川文化会館 「(五老僧の例を挙げて)同じように現在も、日達上人後遷化の後、、御当代御法主上人猊下を非難している徒がいる。 彼らは、以前には、総本山が根本であると私どもを叱咤しておきながら、いまは手のひらを返して、みずからその根本を破壊しているのである。 言語道断もはなはだしい。 私どもは変わらざる信心できたし、これからも変わらざる信心でいくのである。 」 (広布と人生を語る・3-144) 昭和57年6月25日 厚田支部、旭川・空知圏代表者との懇談会 厚田・戸田記念墓園 「とくに御法主日顕上人猊下の御慈悲により、ここ墓苑内に三師塔も建立され、一昨年には御法主上人の大導師をたまわり開眼法要が営まれ、これ以上の喜びはない。 」(広布と人生を語る・3-198) 昭和57年6月27日 「7・3」記念北海道幹部会 小樽文化会館「日蓮正宗には三大秘法総在の大御本尊が厳然としてまします。 また、法水瀉瓶唯仏与仏の血脈が、厳として受け継がれている。 」 (広布と人生を語る・3-212) 「すべての非難が、一部の皮相的な現象をとらえて、それがさも本質的なものであるかのように思わせたり、全体的なものと見せるものであった。 なかにはつくり話までされる始末である。 いま、御法主上人に師敵対する徒輩等が、また、彼らとくみし、動かしている山崎、原島らが、いかに世間を惑わす論法をもってマスコミ等を動かしたとしても、それはまったく屁理屈であり、眼中におく価値などない。 日蓮正宗の根本たる御法主を訴えたという、この一事だけで、もはやいっさいが崩れさったことを物語っている。 」 (広布と人生を語る・3-213) 「何か事件が起こると、かならず退転者、反逆者が出る。 大なり小なり、どこの世界においても、そうであるかもしれない。 日蓮大聖人御入滅の後、日興上人に師敵対した五老僧がいた。 近くは、日達上人の御遷化の後に、御当代御法主日顕上人猊下に師敵対している正信会が出ている。 在家にあっても、その姿はまた同じである。 」 (広布と人生を語る・3-220) 昭和57年7月20日 東南アジア信心懇談会 東京戸田記念講堂 「このたび香港三百七十六人、タイランド三百六十人、インドネシア五十一人、合計七百八十七人の東南アジアの友人が、総本山参詣のために来日され、私どもは心から歓迎申し上げる。 皆さま方の遠路の参詣登山が有意義であり、平安の旅であられんことを、心からお祈りしている。 大御本尊に御目通りした功徳は大であると確信していただきたい。 」(広布と人生を語る・3-245) 「ご存じのとおり、私どもは日蓮大聖人の仏法を奉ずる信徒である。 その大聖人の仏法は、第二祖日興上人、第三祖日目上人、第四世日道上人、および御歴代上人、そして現在は第六十七世御法主であられる日顕上人猊下まで、法灯連綿と血脈相承されている。 ゆえに日顕上人猊下の御指南を仰ぐべきなのである。 この一貫した仏法の正しき流れを、いささかなりともたがえてはならない。 」 (広布と人生を語る・3-249) 「これからも日蓮正宗の伝統法義を確実にふまえながら、一歩一歩、着実なご発展をお願いしたい。 そして日蓮正宗の、この絶対平和主義の信仰の花の輪を広げながら、ともどもに世界平和へ少しでも寄与していきたいと思うのである。 」 (広布と人生を語る・3-251) 「Re:池田大作名誉会長・過去の指導」 昭和57年3月28日 金城会、破濤会合同窓会 立川文化会館 「近年、御宗門においても、御法主上人猊下に師敵対する徒輩がでた。 彼らは擯斥された。 愚見するに、それは、富士の清流をますます浄化していくにちがいない。 」 (広布と人生を語る・3-96) 「日蓮大聖人の仏法は厳格で厳しい。 この富士の清流は第二祖日興上人、第三祖日目上人、そして現六十七世御法主上人猊下までの御歴代上人方によって厳然と護持されてきた。 そこに貫かれてきたのは『謗法厳誡』である。 他宗教にはまったくみられないものだ。 この謗法厳誡の信心が、私どもの信心である。 いかに時代が変わろうが、社会が変動しようが、この根本精神だけは、絶対に失ってはならない。 その峻厳な謗法厳誡の戦をしていくがゆえに、成仏ができるのである。 正法に妥協はない。 遠くは五老僧が日興上人に師敵対した。 いかに大聖人門下として功労があっても、最後に退転したならば、厳しき原理に照らして悪なのである。 と同様に、われわれの場合も、過去にいかなる功績があったとしても、退転し、謗法者になれば、これまでつんできた尊い福徳をすべて消してしまう。 のみならず、悪因悪果となり堕落してしまうのである。 」 (広布と人生を語る・3-98) 「ここで大事なことは『水の信心』をつらぬきとおしていくことである。 一時の活躍をみせる『火の信心』であってはならない。 その信心とは、本門戒壇の大御本尊を信ずることである。 総本山を中心とすることが根本であり、御法主上人お一人が仏法の師でいらっしゃるのだ。 」 (広布と人生を語る・3-98) 昭和57年4月17日 兵庫県代表幹部信心懇談会 兵庫文化会館 「まず第一に、日蓮正宗の伝統法義をあくまでも信心の基本としていかなければならない。 その基本のうえに立って、大法弘通のための座談会、折伏、教学の行動であっていただきたいのだ。 創価学会の組織は、広布、信心、庶民のための組織である。 また、総本山外護のための組織であり、大法弘通のための組織であることを忘れてはならない。 」 (広布と人生を語る・3-112) 「日蓮大聖人の仏法の教義は、あくまでも御法主上人猊下の御指南こそ根本なのである。 日蓮正宗の法義、伝統のままに、そしてまた、死身弘法の実践があってこそ、はじめてその人の講義は光るのである。 」 (広布と人生を語る・3-117) 昭和57年4月19日 関西戸田記念館での懇談会 関西戸田記念館 「もったいなくも、代々の御法主上人猊下におかれては、日夜、そして丑寅の勤行においても、私ども信徒をはじめ全人類の幸福と平和を御祈念くださっている。 これほどすばらしい宗教の世界がいずこにあろうか、と感動すること、たびたびである。 」 (広布と人生を語る・3-123) 「この私の体験をとおして、願わくは、皆さま方はお子さんとともに、総本山に参詣し、また正宗寺院に参詣して、仏縁のつながりを深くつくっておくことが、いざというときに大切であるということを申し上げておきたい」(広布と人生を語る・3-125) 「御法主上人猊下は、僧俗和合を御指南されている。 もはや信心なき僧も、信心なき俗も去った。 いまこそ、御法主上人の仰せのとおり、万代への僧俗和合が理想的にできうる時代に入ったと思う。 心して、僧俗和合を私どもは強く徹底し、推進し、もって他教団から羨望される前進を、いま再び開始しなければならない。 その証明の第一歩が、宗祖日蓮大聖人第七百御遠忌の二百五十万信徒の総登山であった。 これこそ仏教史上の大壮挙であったことを喜びあうとともに、いっそうの秩序ある前進をしてまいりたいものである。 」(広布と人生を語る・3-132) 「Re:池田大作名誉会長・過去の指導」 昭和57年23月10日 日立会館落成5周年記念勤行会、日立会館 「絶対なるものは、大御本尊のお力である。 また、絶対なるものは、御書である。 そして、仏法の根本を御指南されるのは、あくまでも御法主上人猊下であられる。 御法主上人猊下の御指南にしたがわないものは、もはや日蓮正宗の僧でもなく、俗でもない。 心して、この一点を忘れず、あとは何も恐れず、強盛な信心で、たくましくわが正道を歩んでいただきたい。 私は、この地の僧俗の和合を心からお願いする。 再び、同じ轍を踏むことは許されない。 それは、御法主上人猊下の御指南に反するからである。 」 (広布と人生を語る・3-53) 昭和57年2月21日 「荒川の日」記念大会、東京戸田記念講堂 「日蓮正宗創価学会の世界は、御法主上人猊下の御許に、善知識の和合体なのである。 そして、悪知識と戦うのである。 」 (広布と人生を語る・3-63) 昭和57年3月8日 第二祖日興上人第六百五十回遠忌大法会祝賀の集い、総本山大石寺・大書院 「法水瀉瓶唯授一人であられる御法主日顕上人猊下の大導師によりまして、御開山日興上人の第六百五十回遠忌の儀式の奉修を、本日ここに厳粛かつ盛大に、とどこおりなく終了することができまして、信徒一同を代表しまして、心からお祝い申し上げるものでございます。 」 (広布と人生を語る・3-70) 「末法万年尽未来際への闇を照らしゆく大白法は、いよいよ太陽が煌々と昇りゆくがごとく、未聞の興隆の時が到来していることを強く感ずる一人であります。 これひとえに御法主上人猊下の御威徳のたまものであり、いよいよ私どもは総本山を外護したてまつり、もって御開山日興上人に御報恩申し上げる決意でございます。 」 (広布と人生を語る・3-70) 「昨今、こともあろうに、唯授一人の血脈付法を否定せんとする一部の輩の策謀がみられることは、御開山上人の厳格・清浄な正法御慈の御精神に照らして、断じてあるまじき所業であります。 われらは、これらの法魔をうちくだき、御法主上人猊下の訓諭に仰せのごとく『興目両上人ノ護持弘法ノ精神ヲ以テ愈々宗風ヲ振起シ 以テ一層広布ヘノ前進ニ対スル揺ギナイ基礎ヲ築カネバナリマセン」との御指南を体しまして、一致団結し、広宣流布の聖業にかぎりなく邁進することを、ここに強くお誓い申し上げるものでございます。 」(広布と人生を語る・3-72) 昭和57年3月15日 「3・16」記念青年部最高幹部懇談会、立川文化会館 「この大聖人の仏法を弘めていくのは、私どもしかない。 総本山を外護したてまつるのも、私ども創価学会に、その責任がある。 」 (広布と人生を語る・3-81) 「無名の立場で今日を築いてくださった方々に対して感謝をしなければならない。 あくまでも、その人たちは、総本山外護の精神と、広宣流布への精神を、胸深くもっておられた尊き方々である。 それに対して、善意の学会の庭のなかで、遊びながら幹部となり、いままた宗門、学会を破壊せんとする連中は、結局は仏法を知らないのである。 信心を知らないのである。 御宗門の伝統法義も、学会精神の伝統も本質もまったく知らず、利口げにいい気になって、黒い野望をもったあわれなひとたちである。 」 (広布と人生を語る・3-85) 「Re:池田大作名誉会長・過去の指導」 昭和57年1月10日 秋田文化会館での懇談、秋田文化会館 「当地の寺院である妙華寺、大徳寺、法種院、法説院を外護申し上げ、また御法主上人猊下に御慈命をうけられた御住職を尊び大切にして、理想的な僧俗和合を心からお願いしたい。 もって、秋田ここにありとの心意気で、妙法の王国・秋田を指標として、勇躍の精進をお願いしたい。 」 (広布と人生を語る・3-8) 昭和57年1月12日 秋田文化会館落成記念秋田県幹部会、秋田文化会館 「大聖人の仏法は、末法万年にわたる大仏法である。 いま学会は、総本山を外護したてまつり、その基盤を営々として築いているのだ。 」 (広布と人生を語る・3-19) 昭和57年1月13日 秋田文化会館開館自由勤行会、秋田文化会館 「総本山を中心としながら、また仏勅である広布を進めながら、自己の向上のためへの信心を強力にしていく方途としては、組織活動以外ないことは、皆さま方の実感しているとおりである。 」 (広布と人生を語る・3-22) 昭和57年1月24日 板橋広布25周年記念総会、創価大学体育館 「日蓮正宗における根本は、唯授一人の血脈である。 その血脈相承の御法主上人に随順しゆくことこそ、僧俗の正しいあり方である。 この一点を誤れば、すべてが狂ってくるのである。 創価学会は、御歴代の御法主上人に随順してきたがゆえに、永遠に栄えていくことはまちがいないと確信する」 (広布と人生を語る・3-32) 昭和57年2月8日 茨城文化会館落成記念茨城県幹部会、茨城文化会館 「私は昭和五十四年、会長を勇退し、広布の水戸黄門になるつもりであった。 それは永年務めた重責の会長職から離れて、自由な立場で御宗門、そして大切な地涌の友の皆さま方を、全国を行脚しながら守りぬきたいとの一心であった。 しかし、この世の使命は厳しく、北條前回長は亡くなり、日ましにさまざまな非難と迫害がかさなり、御宗門ももっとも重大な段階に入った。 秋谷会長もまだ新しく、どうしても私が、すべてにわたって守り支えていかなければならない運命に再びなってしまった。 (拍手) 使命は役職のみで決まるわけではない。 これからも御法主上人猊下を厳護申し上げ、皆さまを守るために、この身を捧げてご奉公をしなければならないと深く自覚している。 (拍手)」 (広布と人生を語る・3-41) 「まことに残念であるが、御法主上人猊下に背いた十一人の僧が擯斥となった。 これをみて、私どもが信心のうえでもっとも心すべきことは、『未だ得ざるを為れ得たりと謂い』(御書二二六ページ)との慢心であり、増上慢である。 傲慢、増上慢の人には、もはや求道心がない。 つまり『進まざるを退転』というように、信心が亡くなっている証左なのである。 これらの人々は、広布への責任をもたない。 責任なきがゆえに進歩がない。 進歩がないところに淀みやエゴのふんまんがでてくる。 それが結局は、破壊作業につながっていくことが多いものだ。 」 (広布と人生を語る・3-42) 「心して増上慢におちいらず、かぎりなき信心向上への求道心をもたなければならない。 若くして偉くなったことを、まるで自分の力のごとく錯覚したり、人々を睥睨したりすることは、仏法上もっとも恐れつつしまなければならないことである。 すべて御法主上人猊下の御威徳に守られてのことである。 また、学会の力用によるところである。 それをはきちがえて、本末転倒の狂った人生を歩んではならない。 それじたいもはや堕地獄であるからだ。 」 (広布と人生を語る・3-43) 「Re:池田大作名誉会長・過去の指導」 昭和56年12月20日 宗祖第七百年御遠忌慶讃二百万登山終了奉告法要、総本山大石寺・御影堂 「霊山にまさる多宝富士大日蓮華山大石寺御影堂におきまして、ただいま宗祖日蓮大聖人第七百御遠忌の終了奉告法要が、御法主日顕上人猊下の大導師のもと厳粛に奉修され、とどこおりなく終了いたしました。 諸天も寿ぐなか、本年初頭より本日までの記念登山参詣者数は、法華講四万四千六百九十九人、学会二百四十六万二千百九十人、合計二百五十万六千八百八十九人となり、二百五十万を超えましたことを、ここに謹んで宗祖日蓮大聖人に御報告申し上げるものでございます。 これひとえに御開山日興上人、第三祖日目上人等、御歴代の御上人方の御加護でありますことはとうぜんでありますが、なかんずく第六十七世日顕上人猊下の深き御慈悲と御威徳によるものと、ここに全信徒を代表しまして、謹み伏してお喜び申し上げるものでございます。 昭和五十二年九月、もったいなくも慶讃委員長の大任を拝命し、微力ではありますが、御宗門の歴史的大偉業に不滅の足跡が残せますよう、全魂こめてその準備にあたらせていただきました。 そして本日ここに御遠忌慶讃のいっさいの行事が円満成就できましたことを、私ども信徒一同、かさねてお喜び申し上げるものでございます。 第七百御遠忌慶讃の本年、特に御法主上人におかせられましては、六月のアメリカ、カナダへの海外御親教をはじめ、北は北海道から南は九州・種子島にいたるまで、席のあたたまるいとまもなく、全国各地に尊い慈歩をお運びくださいました。 一月から今日まですでに御親修あそばされた寺院数だけでも、五十一か寺におよんでいるのでございます。 まさしく御遠忌にあたり、広宣流布成就に邁進あそばされた東奔西走の日々であられました。 とりわけ各地の御親修におかれましては、われら信徒に甚深のお言葉ならびに御説法をたまわり、いまなおかぎりない喜びにつつまれているのでございます。 そのなかでも広宣流布に進む私どもに対する誹謗、中傷がなにゆえに競い起こるのかという問いかけをなされ、それは結局、創価学会が本来、広宣流布のためと、総本山を護るという信念をもってこれまで前進してきたがためである、との御指南は、妙法広布に生きぬく私どもの、生涯にわたって心にとどめおくべき重要なお言葉と拝するのでございます。 今後とも、御法主上人猊下の御指南を胸に、総本山外護の誠を固くお誓い申し上げるものであります。 時あたかも本門戒壇の大御本尊、ならびに法灯連綿たる日蓮正宗の根本義たる唯授一人の血脈を否定せんとする愚人の徒輩が、狂い叫ぶように悪口雑言のかぎりをあびせておりますが、われらは、猊下の御指南を体して、ゆうゆうとそれらを乗り越えながら、広宣の誓いをはたし、もって歴史に厳と輝く青史をつくりあげたいと念願するものであります。 日蓮大聖人の御一生は波乱万丈の崇高なる御一生であられました。 いま、私どもは、涅槃経にある満身創痍になりながら覚徳比丘を守りし宇徳王を鑑として、日顕上人猊下をお護り申し上げ、広布に立ちて波乱万丈の一生を飾りたいと願うものであります。 」 (広布と人生を語る・2-1755) 昭和57年1月10日 秋田文化会館での懇談、秋田文化会館 「当地の寺院である妙華寺、大徳寺、法種院、法説院を外護申し上げ、また御法主上人猊下に御慈命をうけられた御住職を尊び大切にして、理想的な僧俗和合を心からお願いしたい。 もって、秋田ここにありとの心意気で、妙法の王国・秋田を指標として、勇躍の精進をお願いしたい。 」 (広布と人生を語る・3-8) 昭和57年1月12日 秋田文化会館落成記念秋田県幹部会、秋田文化会館 「大聖人の仏法は、末法万年にわたる大仏法である。 いま学会は、総本山を外護したてまつり、その基盤を営々として築いているのだ。 」 (広布と人生を語る・3-19) 「Re:池田大作名誉会長・過去の指導」 昭和56年11月24日 福井県代表者会議、武生文化会館 「御法主上人猊下に随順しない人は、どのような理由があるにしても、もはや正宗の僧俗ではない。 これほど根本的な誤りはないからである。 この地にも理想的な僧俗和合をお願いしたい。 」 (広布と人生を語る・2-24) 昭和56年11月27・28日 岐阜県信心懇談会、岐阜文化会館 「だれ人がいかに謀略をめぐらそうとも、七百年の伝統を誇る日蓮正宗は不滅である。 御法主日顕上人猊下の厳とした御威徳のあるかぎり、わが正宗の前途はかぎりなく明るい。 そしてまた、外護したてまつりゆくわが創価学会も、御聖訓に照らし、広宣流布へのためのいよいよの発展を、私は確信してやまない。 」 (広布と人生を語る・2-28) 昭和56年12月12日 熊本・城北圏自由勤行会、阿蘇・白菊講堂 「日蓮正宗の僧俗であるならば、絶対に御法主上人猊下に随順すべきである。 それに反して、随順せず、いな、弓を引く行為をする僧や俗は、もはや日蓮正宗とはいえない。 私どもは無数の讒言や画策をうけながらも、一貫して総本山を外護したてまつり、御法主上人猊下に随順してまいった。 これが真実の信心であるからだ。 それを、増上慢と権威とエゴと野望のために踏みにじっていく僧俗は、まったく信心の二字なき徒輩であり、もはやそれは、日蓮大聖人の『広宣流布をせよ』との御遺命に反した邪信の徒と断ずるほかないのである。 皆さまは絶対に、それらを恐れたり。 また、騙されたり撹乱されてはならない。 」(広布と人生を語る・2-37) 昭和56年12月15日 熊本文化会館落成5周年記念自由勤行会、熊本文化会館 「『消えざるものは ただ誠』--。 総本山外護の誠を貫きたい。 これが信心だからである。 」 (広布と人生を語る・2-52) 「Re:池田大作名誉会長・過去の指導」 昭和56年6月13日 フランス信心懇談会、パリ会館 「ともあれ、御本仏日蓮大聖人から、また御法主日顕上人猊下からおほめいただけるようなフランス日蓮正宗になっていただきたい。 」(広布と人生を語る・2-144) 昭和56年7月5日 NSA合同会議、サンタモニカ・世界文化センター「NSAは、御法主日顕上人猊下の御指南のままに、あくまでもウィリアムス理事長を軸としてそれぞれが信頼しあいながら進んでいただきたい。 」 (広布と人生を語る・2-151) 「日蓮正宗の伝統法義を厳格に守り、われわれ学会の使命である広布の大精神を継承していくことの重要さ、大切さはとうぜんの理といってよい。 その原則のうえに立ってNSAはNSAらしい伝統を築き、たがいに討議と試行錯誤を重ねながら、理想的な運営、会合等のあり方をつみあげていっていただきたい」 (広布と人生を語る・2-155) 昭和56年8月25日 日米友好交換会、ハワイ、イケダ・オーシャン・ビュー・ガーデン 「今日までアメリカならびにハワイのNSAの友は、述べ何万人にもおよぶ方々が、総本山参詣をはじめ日本における研修に参加された。 これらの尊きメンバーに応えて、これからはさらに日本の友も各国への親善交流におもむき、手に手を取りあって正法流布のために精進していくよう努力したい。 」 (広布と人生を語る・2-17) 昭和56年10月16日 宗祖日蓮大聖人第七百遠忌大法会、総本山大石寺御影堂「謹み伏して全信徒を代表しまして、宗祖日蓮大聖人より唯授一人血脈付法の御法主日顕上人猊下に、お祝いの詞を申し述べさせていただきます。 ……これもすべて、御法主日顕上人猊下の御威徳のたまものであると心より感謝申し上げるものであります。 」 (広布と人生を語る・1-77) 「この半世紀のあいだに、総本山に参詣し、本門戒壇の大御本尊に御目通りした信徒の数、日本、そして世界を含め、述べ五千万人に達しましたことを、あわせて御報告申し上げるものであります。 」 (広布と人生を語る・1-78) 「いまやわが日蓮正宗は、世界のすみずみまで現実にその妙法の光が輝き始めております。 御聖訓に照らして化儀の広宣流布の偉大なる前進と相まって三障四魔ともいうべき和合僧破壊の反動があることも、すでに覚悟のうえであります。 私ども勇敢なる地涌の友らは、なにものをも恐れず、ひたすら強盛なる信心ひとすじに法灯連綿たる総本山を外護申し上げ、もって一天四海皆帰妙法広宣流布に邁進することを、ここに再びお誓い申し上げるものであります」 (広布と人生を語る・1-79) 昭和56年11月5日 慶讃登山に寄せて、「聖教新聞」掲載 「いままた、篤信の信徒二百万人の慶讃登山をもって、大盛儀を荘厳申し上げ、仏祖三宝尊に御報恩謝徳の誠をつくすことができましたことは、これ以上の喜びはございません。 これひとえに御本仏日蓮大聖人の広大無辺の大慈悲につつまれてのものであり、御法主日顕上人猊下をはじめ御歴代上人の御威光のたまものであると深く感謝申し上げるものであります」 (広布と人生を語る・1-84) 「世界の信徒の熱願のなかに成し遂げられたこれだけの大偉業は、他宗他門におけるあらゆる報恩会には類例をみない、未曾有のものと確信するものであります。 これ、わが日蓮正宗こそが御本仏日蓮大聖人の正統中の正統であることの証左であります。 」 (広布と人生を語る・1-84) 昭和56年11月9日 徳島講堂落成記念勤行会、徳島講堂「徳島講堂の完成を心からお祝い申し上げる。 いま、私も御法主上人猊下より御下付たまわった御本尊に、皆さま方のご多幸、ご長寿、無量の功徳、さらに広布が無限に開けていくよう深く御祈念させていただいた。 」(広布と人生を語る・2-17) 「Re:池田大作名誉会長・過去の指導」 昭和56年5月18日 西ドイツ信心懇談会、フランクフルト会館 「いまわれわれは、その永遠にして普遍の幸福を創出できうるドアを日蓮正宗に求めた。 すなわち、宇宙根源の法を、そのまま御図顕あそばされた大御本尊に帰依することによって、確実なる実証を得ながら、その道を歩んでいるといってよい。 その大御本尊まします日蓮正宗総本山大石寺が、その原点である。 」 (広布と人生を語る・2-66) 「日本とドイツの文化は、当然異なっているし、風習も伝統も同じく異なっていて当然であるといってよい。 私どもは、あくまでもドイツの文化、風習、伝統を尊重する。 皆さんも、日本の文化を無理に受け入れる必要はないと思う。 ただ一点、信仰の根本義に関してだけは、日蓮正宗の伝統法義を尊重していくべきである。 後は、時刻の風習、伝統に基づいて、自由であっていただきたいのである。 」 (広布と人生を語る・2-69) 昭和56年5月30日 イタリア広布20周年記念勤行会、フィレンツェ 「二座においては、一閻浮提総与、すなわち全人類の平和と成仏をもたらす本門戒壇の大御本尊に御報恩感謝申し上げるのである。 この本門戒壇の大御本尊は、富士大石寺の正本堂に厳然と御安置されている。 三座は、御本仏日蓮大聖人に対する御報恩感謝、ならびに日蓮大聖人の仏法を血脈相承なされ、現在の富士大石寺を御開基なされた第二祖日興上人に対する御報恩感謝である。 さらには、第三祖日目上人をはじめ唯授一人の血脈を受けられた、正法の正師であられる歴代の御法主上人に御報恩感謝申し上げるのである。 現在においては、ご存じのとおり第六十七世日顕上人猊下が厳然と大法を受け継がれ、仏法の師匠としておられるのである。 」 (広布と人生を語る・2-83) 「日蓮正宗の私たちの運動は、この正法にもとづき、絶対平和主義に立って、平和の実現と文化の向上に寄与していくところにある。 したがって戦争を阻止し、幸福と平和と文化の推進をもって、それぞれの家庭と社会の安泰を実現しゆくものである。 それには、その基盤として日蓮正宗の法義伝統をあくまでも踏まえていかなければならない。 」 (広布と人生を語る・2-90) 昭和56年6月7日 ヨーロッパ広布20周年記念総会、フランス・欧州研修道場 「ただいま、ともどもに拝読したこの一節は『諸法実相抄』の最後を飾る結論であり、御法主日顕上人猊下を仏法の師と仰ぎたてまつる私ども、日蓮正宗創価学会の、信心という根本軌道、そして修行という実践軌道を歩みゆくうえで、最極の基本とすべき『信・行・学』の根本路線を、明快にしてあますところなく御指南くだされた御聖訓である。 」 (広布と人生を語る・2-113) 「ともあれ、三大秘法総在の大御本尊--多宝富士大日蓮華山大石寺におわします一閻浮提総与の大御本尊--への勤行・唱題がいっさいのなかの完璧な修行の根幹であることはいうまでもない。 」 (広布と人生を語る・2-118) 「慢こそ仏法者の恥辱である。 いかに正義の弁論をもってわが身を荘厳しようとしても、その根本は無明であるとともに、魔王の生命である。 われわれは、あくまでも本門戒壇の大御本尊を信奉したてまつり、日顕上人猊下に随順し、よって、民衆のなかに--悩める友、法を求める友、より高き人生を希求してやまぬ友の真っただ中に飛びこみ、多くの国々、多くの人々に、この大聖人の 太陽の仏法 の存在を知らしめてゆく、尊くも誇り高い人であるとの自覚をもっていただきたい。 」 (広布と人生を語る・2-122) 「この大仏法の究極唯一の法体は、申すまでもなく、本門戒壇の大御本尊であり、法灯連綿、御歴代の御法主上人がこの大御本尊を厳護したてまつられてここに七百年、そして、あいがたき宗祖日蓮大聖人第七百御遠忌の今日にあっては、第六十七世御法主日顕上人猊下にこの絶対なる血脈は、厳然と承継されているのである。 だれ人がいかなる非難をいたそうが、これは侵しがたき、明確なる事実なのである。 おそれおおくも、遠く日蓮大聖人の時代にあっても、仏法の本源の師であられる大聖人に弓を引く僧があったが、いままた、元日蓮正宗の久保川某をはじめとする一派が、御法主上人に違背叛逆している。 その『心破作七分』の大謗法は、まことに堕地獄の所業であり、正法奉持の厳しさここにきわまれり、と思わざるをえないのである。 」 (広布と人生を語る・2-122) 「Re:池田大作名誉会長・過去の指導」 昭和56年1月21日 第1回NSA信心懇談会、サンタモニカ・世界文化センター 「ただいま、御法主日顕上人猊下よりたまわった『世界平和広宣流布大願成就』の御本尊に勤行・唱題できた。 この御本尊の日付けに、まことに意義深き二月十六日という日蓮大聖人御聖誕の日をお選びくださったことに感銘している。 また脇書におしたためくださった『世界平和広宣流布大願成就』を固く誓って、ご期待にそえるよう、私どもは妙法をもって世界平和への後継の決意をいちだんとみなぎらせていきたい。 」 (広布と人生を語る・1-155) 昭和56年2月16日 日蓮大聖人御聖誕記念勤行会、サンタモニカ・世界文化センター 「きょうは、宗祖第七百御遠忌の年の、日蓮大聖人の御聖誕の佳き日である。 また、御法主日顕上人猊下より『世界平和広宣流布大願成就』の常住御本尊を御下付していただいて一周年の記念すべき日でもある。 私は、この佳き日、この常住御本尊に、皆さまといっしょに御祈念、唱題できて、たいへんにうれしい。 」 (広布と人生を語る・1-164) 「指導の根本は、御法主日顕上人猊下の御指南を拝しながら、御本尊へ御本尊へと導き、幸福へ幸福へと指差して導いていくことが肝要である。 」 (広布と人生を語る・1-166) 昭和56年2月24日 パナマ信心懇談会、パナマ会館 「この三大秘法の御本尊は、総本山富士大石寺に厳然とましまし、七百年の伝統を経て、いま、第六十七世御法主日顕上人に付嘱されている。 その御本尊を御書写されるのは、御法主上人猊下御一人であらせられ、それがいま、皆さま方が信受したてまつる御本尊なのである。 」 (広布と人生を語る・1-185) 昭和56年3月6日 第2回メキシコ信心懇談かい、メキシコ・チャパラ 「皆さま方の信心強盛に成長していくお姿を、御法主日顕上人にも御報告申し上げたい。 私ども日蓮正宗の信徒は、皆、第正人の子供である。 ゆえに皆、御本尊の御威光に照らされ、日顕上人の御慈悲に浴しながら、正法の兄弟として、つねに健康で、つねに精進し、つねに励ましあいながら、仲よく有意義な人生を送っていただきたい。 」 (広布と人生を語る・1-204) 昭和56年3月10日 ハワイでの第2回御書研鑽会、ハワイ会館 「現代においては、いかなる理由があれ、御本仏日蓮大聖人の『遣使還告』であられる血脈付法の御法主日顕上人猊下を非難することは、これらの徒と同じであるといわなければならない。 批判する者は、正法正義の日蓮正宗に対する異流であり、反逆者であるからである。 」 (広布と人生を語る・1-230) 「故に、本門戒壇の大御本尊を根本中の根本とし、日蓮大聖人の御聖訓を拝し、御法主上人猊下の御指南どおりに、『信』と『行』と『学』に励んでいくならば、しぜんに、まことにしぜんに仏界への大道を歩んでいけるのである。 」 (広布と人生を語る・1-236) 拍手数ランキング 過去の発言• icon 2020年• icon 2019年• icon 2018年• icon 2017年• icon 2016年• icon 2015年• icon 2014年• icon 2013年• icon 2012年• icon 2011年• icon 2010年• icon 2009年•

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池田大作名誉会長がメッセージ|創価学会公式サイト

池田 大作 指導

併せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。 最終回となる今回のテーマは「座談会」です。 「大白蓮華」の巻頭言から 「座談会」は、創価学会の伝統であり、今や、「ザダンカイ」として、世界中で開催されています。 池田先生は、世界広布の推進力となってきた座談会の歴史と精神について、折々に指導しています。 牧口常三郎先生は、戦時中、特高刑事の陰険な監視と怒号にも怯まず、忍難弘通の座談会を一貫して断行なされた。 逮捕される直前も、伊豆・下田で座談会を悠然と行われていた。 先生への弾圧の起訴状では、2年間で240回以上にわたって、座談会を開催したことが、その理由の一つとされている。 戸田城聖先生が、出獄後、巌窟王(がんくつおう)のごとく学会再建の火蓋を切られたのも、座談会であった。 昭和21年、戦後最初の座談会で、戸田先生は、殉教の牧口先生と三世永遠に共に戦う決意を天下に宣言なされた。 ゆえに、この広布推進の座談会は、我ら後継の弟子にとって、初代・二代の「不惜身命」の学会精神をたぎらせ、晴れ晴れと意気軒昂に、真剣勝負で臨みゆく師弟一体の法戦場であることを、忘れてはならない。 私は座談会で、大仏法を学び、実践してきた。 私は座談会で、愛する同志と一緒に、日本そして世界へ、広宣流布の拡大を起こしてきた。 私は座談会が、何よりも大好きだ。 法華経の薬王品には、「如清涼池( にょしょうりょうち)」と説かれる。 すなわち、清らかで涼やかな池は、渇きに苦しむ人々の心身も満たすことができる。 その池の如くに、妙法には、生老病死の苦悩から一切衆生を解き放つ大功力が漲(みなぎ)っているという譬喩(ひゆ)である。 御本仏日蓮大聖人は、明快に宣言なされた。 「仏になるみちは善知識にはすぎず」「 善知識たいせちなり」、そしてまた「 而るに善知識に値う事が第一のかたき事なり」(御書1468ページ)と。 「一生成仏」のために、最も大切であり、しかも最も値い難き存在が「善知識」だ。 この善知識たる友と友の集まりこそが、創価の座談会なのである。 老若男女を問わず、皆、大地から躍り出てきた地涌の名優ではないか! 1人1人が汗と涙でつかんだ体験は、何ものにも代え難い「人間革命」の感動のドラマではないか! どんなに悩みを抱え、どんなに疲れ果てていても、必ず元気になれる。 前向きになれる。 勇気が湧いてくる。 これこそが、座談会という幸福劇場なのだ。 今や世界中で、「ザダンカイ」が朗らかに行われている。 あらゆる差異を超え、地球民族の心に生命尊厳の哲理の火を灯し、人生や国土のいかなる試練にも負けない活力と連帯を生み出しているのだ。 人類が待望してやまない新たな「対話の文明」を創造しゆく無限のエネルギーが、座談会にはある。 釈尊は覚りを得た後、5人の旧友との語らいから、説法を開始しました。 大聖人も「 少少の大衆にこれを申しはじめて」(御書894ページ)と、少人数の会座から、末法広宣流布の法戦の幕を開けられたのです。 戦後の学会の再建も、座談会からでした。 ここでは、仏法の集いを開く功徳について学びます。 法華経の随喜功徳品 ずいきくどくほん 第18には、「 勧めて坐 ざ して聴(き) かしめ、若しは座を分 わか かって坐しめば、是の人の功徳は、身を転じて帝釈の坐処 ざしょ 、若しは梵天王の坐処、若しは転輪聖王 てんりんじょうおう の坐する所の処を得ん」(法華経521ページ)とあります。 法座に友を誘い、仏法を聴かせ、座を詰めて座らせる人は、その福徳で未来に梵天・帝釈天・転輪聖王の座を得ることができると示されています。 友人を連れてくる人、妙法の偉大さを示す体験談を語る人、他の人のために自分が詰めて座る場所をつくる人、会場を提供してくださる人など、座談会を成功させようとする人々の真心に、無量の福徳が輝くのです。 現実世界で妙法を弘め、自他共に福徳を積む最極の会座が、創価の座談会なのです。 日蓮大聖人の御書から 「佐渡御書」について 大変な時こそ支え合う 「佐渡御書」は、文永9年(1272年)3月、日蓮大聖人が51歳の時、流罪地の佐渡から、門下一同に与えられたお手紙です。 創価の3代の会長が、心肝に染め、あらゆる迫害を勝ち越えてきた師弟勝利の御書でもあります。 本抄の追伸で大聖人は、「 心ざしあらん人人は寄合 (よりあう) て御覧じ料簡 (りょうけん) 候 (そうらい) て心なぐさませ給へ」(同961ページ)と仰せです。 大変な時だからこそ、孤立するのではなく、励まし合うことが大事なのです。 他の御書でも、「 互につねに・いゐあわせてひまもなく後世ねがわせ給い候へ」(965ページ)等、顔を合わせ、語り合っていくことを促されています。 私たちで言えば「座談会」に集うことです。 人間は得てして、一人だけでは、燃え立つような決意も、時間と共に薄れてしまうものです。 また、どんなに強いと思っていても、思わぬ逆境に遭えば、心が折れてしまうこともあります。 逆に、共に信心の原点を確認し、誓いを共有し、励まし合う同志がいれば、どんな障魔の嵐にも倒れずに、勝利と幸福の軌道を歩み抜くことができるのです。

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楽天ブックス: 池田大作先生指導集 幸福の花束3 平和を創る女性の世紀へ

池田 大作 指導

「信心だけは、好きであろうが、嫌いであろうが、 どうしても必要なものです。 ご飯を食べ、水を飲まなければ生きていけないように、 正しい信心がなければ、絶対に福運ある生涯は送れない。 活力ある、楽しい人生を送ることはできません」 「信心は、究極においては神経質であってはいけません。 罰があろうが功徳があろうが、 「御本尊様は絶対だ。 どんな事態があっても、一切が変毒為薬(へんどくいやく)されるんだ。 何かの意味があって、この現証があるんだ」 こう確信し切って、題目をあげて、あげ抜いていく。 学会活動に一直線に進んでいく。 この人が、本当の信仰者です」 「観念論であってはなりません。 仏法は実証主義です。 現証主義です」 「種(たね)を蒔けば、必ず花が咲く。 10年、20年と信心に励んだ人が、「これほどまでに幸せになった」 「ありがたい、想像もしなかった幸福生活である」となる。 これが所願満足です」 (以上、大白蓮華2014年12月号 飛翔の原点 記念撮影会より) 残業続きの日々。 通勤電車で開いた大白蓮華(だいびゃくれんげ)。 くたくた、よれよれの体に池田先生の指導が染み渡る。 感謝と歓喜が入り混じった血潮が動き始める。 心が温かくなり、こぶしをぎゅっと握りしめる。 私は幸せです。 「本当に功徳はあるのだろうか」と疑いたくもなるでしょう。 でも、全部、解決する。 この信心は、おとぎ話じゃない。 信心は理屈ではありません。 理屈なんか食べることも着ることもできません。 私は理屈で信心なんかしません。 幸せになれるか、なれないか、その一点が重要なんです。 不幸に泣いてばかりいる人生なんか嫌です。 私は幸せになるために信心をしました。 そして「想像もしなかった幸福生活」を得ることができました。 冬を春へと変える。 悲嘆を歓喜に変える。 枯れ木に花を咲かせ、荒涼とした砂漠にオアシスを創る。 自分自身という人生を使って仏法の偉大を証明する。 その決意があるから、私は今も闘争を続けられるのです。 私は必ず、生涯、「所願満足の人生」をまっとうします。 それは、池田先生が望まれている人生だからです。 私は大白のこのシリーズが大好きです。 信心は神経質になってはいけない、何があろうが意味があるととらえてお題目をあげ抜いていく。 人生何がおこるか本当にわかりませんもんねえ。 私は怖がっています。 でも、とにかくお題目がある。 今年の私の本当に苦しかった体調不良もとにかくお題目と仏法対話とまたお題目で乗り越えてこられたと思います。 体調不良のおかげで未入信の母がお題目をあげてくれるようになった事、ここまで回復できたこと、辛い事にも意味があり、この信心にはやっぱり力があること教えてもらいました。 まだまだ心配な事、たくさんありますから、祈って祈って動いていこうと思います。 きっと一番いい方向に進んでいくんだと思います。 外部リンク• 検索 カテゴリ 最新のコメント by そうねん。 at 14:04 by kaisen at 10:49 by sokanomori3 at 05:07 by sokanomori3 at 04:53 by sokanomori3 at 04:32 by そうねん。 at 18:22 by sokanomori3 at 14:54 by sokanomori3 at 14:33 by sokanomori3 at 14:25 by sokanomori3 at 14:11 by sokanomori3 at 13:38 by kaisen at 08:19 by kaisen at 06:00 by 千早 at 19:38 by キョンシー at 08:53 by sokanomori3 at 21:06 by ゆうこらそん at 15:41 by sokanomori3 at 07:01 by sokanomori3 at 17:22 by sokanomori3 at 15:24 リンク.

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