さだまさし いのち の 理由 歌詞。 さだまさし / いのちの理由(歌詞)

さだまさしの名曲「いのちの理由」から考える'私が生まれてきた訳'

さだまさし いのち の 理由 歌詞

お盆休みで、義父の実家である山口県は柳井市に帰省した、うちら一家。 親戚一同が集合する機会は、毎年このお盆の時期だ。 柳井は港町で、瀬戸内海の綺麗な海と低山がある素敵な田舎町。 海水浴に釣りにBBQ、岩国の錦帯橋で川遊びなど、都会の雑踏から離れ、毎年大自然を満喫している。 今年は、いつもはないイベントが行われた。 義祖母の十三回忌だ。 お盆の8月15日、お世話になっているお寺さんに親戚一同で向かう。 本堂に入り、住職と雑談しながら法要の準備する。 お経が読み上げられ、順番にお焼香。 読経が終わると、住職から説法をいただく。 信長と本願寺の戦い、 親鸞聖人の法要の話、 地元の話も交えながら、住職は面白おかしく話しをして下さる。 そして、俺はこの後、一連の流れの中で涙を流した。 「浄土真宗は、気付きの宗教なんです。 評価は他人がするもの。 でも、幸せかどうかを決めるのは、自分自身なんです。 普段の何気ない当たり前のことが当たり前ではない人もいます。 当たり前のことが、実は幸せなことなんだと、気付けるようになる。 そんな精神を持った人は、本当に幸せなんだと、私は思います。 」 なるほど。 確かにおばあちゃんは、すごく些細なことも「有り難い。 幸せだ。 」と、自分は幸せ者だといつも繰り返していた。 「さだまさしの『いのちの理由』って歌、知ってますか? どこかのお寺さんが、さだまさしにお願いして作ってもらった曲らしいですが、すごく良い曲なんです。 」 そう言いながら、住職は『いのちの理由』の歌詞が印刷された紙を取り出す。 「ちょっとここで聴いてみましょう。 岩崎宏美さんが歌っているバージョンとさだまさしが歌ってるバージョンとどっちが良いですか? まぁ、さだまさしのにしますかね。 」 なにやら機器を操作し始める住職。 しばらくすると、爆音で『いのちの理由』がお寺の本堂に流れ始める。 良く見ると、Boseのデカいスピーカーが設置されている。 そんな爆音の『いのちの理由』を静かに聴く一同。 私が生まれてきた訳は 父と母とに出会うため 私が生まれてきた訳は きょうだいたちに出会うため 私が生まれてきた訳は 友達みんなに出会うため 私が生まれてきた訳は 愛しいあなたに出会うため 春来れば 花自ずから咲くように 秋くれば 葉は自ずから散るように しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ 悲しみの花の後からは 喜びの実が実るように 「私が生まれてきた訳は、、、」 自分が生まれてきた訳なんて、普段あまり考えたことはない。 でも、いざ考えてみると、何故なのか分からない。 そんな答えがあるようで無いような質問に対する答えがあるのかと、一同、静かに聴く。 みんなに出会うために生まれてきた。 そして、しあわせになるために生まれてきた。 隣に座っている娘たちの顔を見る。 ぽかーんとしている。 が、そんな娘たちの顔を見て、俺は涙を流した。 俺、しあわせなんだな。 住職の説法からの、さだまさしの『いのちの理由』。 しあわせを感じて出た涙。 おばあちゃんもこんな素敵な景色を見て過ごしてたんだね。 なんだか、ありがとう。

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さだまさし いのちの理由 歌詞&動画視聴

さだまさし いのち の 理由 歌詞

どうもっ。 あかりんご()です* 歌手さだまさしさんの名曲 「いのちの理由」 わなわなと心震わせながら聴かせて頂きました。 日頃「なぜ自分は生まれてきたのか?」と考える機会は少ないと思います。 私の経験上、身近な人が亡くなった時には 最大限「命の理由」を考えるチャンス。 生まれてから死ぬまで 長いようで短い人生。 人によってその長さはバラバラで 時には理不尽な人生にやりきれない想いを抱えている人もいる…。 人生山あり谷ありだけど 割と順風満帆に生きていく人。 その反対に「なんで私ばかり!?」というような波乱万丈の人生を送る人。 この違いってなんだろう? さだまさしさんの名曲「いのちの理由」を聴きながら考えてみました。 そして父。 それから兄弟に周りの人。 そのうち友と呼べる人にも出会います。 なぜ出会うのか? それは 与え与えられ、学ぶ為 人と生きていく以上、何かしらの学びがあります。 全人類一人として同じ人間はいないのだから。 それから、人と生きていく以上 何かしら与え与えられて、お互い様で生きているんです。 一人では生きられない理由でもあります。 出会う為に生まれてきた。 学ぶ為に出会った。 与え与えられる為に出会った。 生まれてきた訳は喜怒哀楽を味わう為 歌詞には 傷つけて傷つき、救われて救うとあります。 相反する二つの事柄も、一人ではできないことです。 人は生まれて来る時に、目的を持ってこの世にくるといいますが 「傷つけることが目的」の人はいません。 誰かを傷つけても、その分自分が傷つく。 その代わり、痛みを知る分優しくなれる それは誰かの救いにも繋がる。 そんなメッセージなのではないでしょうか。 まさに 生きている人の特権であり、醍醐味。 愛しい人と会う為に生まれてきた。 命のバトンを繋ぐ為に愛しい人と出会う。 そしてまた愛しい人が増える。 何より愛しい人がいると、 人はもっと強くなれる。 生まれてきた訳は一人一人違う 生まれてきた訳は一人一人違います。 それを「使命」といい、要は 何に命を使うか?ってこと。 命が与えられ、こうして生きている以上 この人生は自分のものです。 その命をどのように使うかは委ねられているのです。 中には「そんなのわからない!」という人もいるでしょう。 そんな時は、この「いのちの理由」を聞いて 思い出して下さい。 私たちはすでに生まれてきた理由を達成してるということを。 朝が必ず来るように人生の晴れ間もやって来る 歌詞の中に 悲しみの海の向こうから 喜びが満ちて来るようにという部分があります。 「悲しみが訪れてもその後には喜びがやってくるよ」というメッセージ。 夜が来て朝が来る そんな当たり前のリズムがあるように、私たちの人生も暗いことばかりではありません。 もし今悲しみの中にいる人がいたら そのことを思い出して欲しいです。 生まれてきた訳は考えなくても知っている 生まれてきた訳… 実は考えなくても 私たちは知っています。 それを本能というのかな? 直感とか。 「あ、なんか良い!」 「これが好き!」 「これが嫌い!」 「こうしたいな!」 そんな感情は、自分の魂のメッセージかも。 だから思うように、思う方向に生きていけば良いと思う。 その先に「あ、私が生まれてきた理由ってこれか」と気付く時がくるでしょう。 生まれてきた喜びと感謝を噛み締めよう! 「いのちの理由」で伝えたいことは 誰もが幸せになる為に生まれてきたんだよ。 ってこと。 いろんな経験して いろんな気持ち味わって 嫌になることもあって それでも 全ての経験は【幸せになる為】のものなんだってことです。 ここまで生まれてきた理由を考えてみたけど シンプルに 喜びと感謝!.

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いのちの理由/さだまさしの歌詞

さだまさし いのち の 理由 歌詞

お盆休みで、義父の実家である山口県は柳井市に帰省した、うちら一家。 親戚一同が集合する機会は、毎年このお盆の時期だ。 柳井は港町で、瀬戸内海の綺麗な海と低山がある素敵な田舎町。 海水浴に釣りにBBQ、岩国の錦帯橋で川遊びなど、都会の雑踏から離れ、毎年大自然を満喫している。 今年は、いつもはないイベントが行われた。 義祖母の十三回忌だ。 お盆の8月15日、お世話になっているお寺さんに親戚一同で向かう。 本堂に入り、住職と雑談しながら法要の準備する。 お経が読み上げられ、順番にお焼香。 読経が終わると、住職から説法をいただく。 信長と本願寺の戦い、 親鸞聖人の法要の話、 地元の話も交えながら、住職は面白おかしく話しをして下さる。 そして、俺はこの後、一連の流れの中で涙を流した。 「浄土真宗は、気付きの宗教なんです。 評価は他人がするもの。 でも、幸せかどうかを決めるのは、自分自身なんです。 普段の何気ない当たり前のことが当たり前ではない人もいます。 当たり前のことが、実は幸せなことなんだと、気付けるようになる。 そんな精神を持った人は、本当に幸せなんだと、私は思います。 」 なるほど。 確かにおばあちゃんは、すごく些細なことも「有り難い。 幸せだ。 」と、自分は幸せ者だといつも繰り返していた。 「さだまさしの『いのちの理由』って歌、知ってますか? どこかのお寺さんが、さだまさしにお願いして作ってもらった曲らしいですが、すごく良い曲なんです。 」 そう言いながら、住職は『いのちの理由』の歌詞が印刷された紙を取り出す。 「ちょっとここで聴いてみましょう。 岩崎宏美さんが歌っているバージョンとさだまさしが歌ってるバージョンとどっちが良いですか? まぁ、さだまさしのにしますかね。 」 なにやら機器を操作し始める住職。 しばらくすると、爆音で『いのちの理由』がお寺の本堂に流れ始める。 良く見ると、Boseのデカいスピーカーが設置されている。 そんな爆音の『いのちの理由』を静かに聴く一同。 私が生まれてきた訳は 父と母とに出会うため 私が生まれてきた訳は きょうだいたちに出会うため 私が生まれてきた訳は 友達みんなに出会うため 私が生まれてきた訳は 愛しいあなたに出会うため 春来れば 花自ずから咲くように 秋くれば 葉は自ずから散るように しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ 悲しみの花の後からは 喜びの実が実るように 「私が生まれてきた訳は、、、」 自分が生まれてきた訳なんて、普段あまり考えたことはない。 でも、いざ考えてみると、何故なのか分からない。 そんな答えがあるようで無いような質問に対する答えがあるのかと、一同、静かに聴く。 みんなに出会うために生まれてきた。 そして、しあわせになるために生まれてきた。 隣に座っている娘たちの顔を見る。 ぽかーんとしている。 が、そんな娘たちの顔を見て、俺は涙を流した。 俺、しあわせなんだな。 住職の説法からの、さだまさしの『いのちの理由』。 しあわせを感じて出た涙。 おばあちゃんもこんな素敵な景色を見て過ごしてたんだね。 なんだか、ありがとう。

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