三重 県 四日市 市 河原田 町 810 日本 アクセス 三重 営業 所。 講習会場アクセス|日本小型船舶免許センター

会社概要|フレッシュ物流株式会社

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8 2. 7 2. 6 2. 5 2. 0 4. 0 4. 0 4. 0 3. 9 3. 9 3. 7 3. 7 3. 7 3. 3 3. 7 4. 0 3. 5 -- 2018年2月28日に閉店。 以下は稼働時の情報。 2015年5月開店。店舗名は公式サイトに合わせています。 閉店時間が早いので注意! 0 1. 5 1. 0 1. 0 1. 7 4. 8 4. 3 4. 7 4. 7 3. 7 3. 1 2. 9 3. 2 4. 5 3. 8 4. 1 4. 0 3. 8 3. 5 3. 2 3.

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変圧器を輸送中の吊り掛け式大物車(オーストリア連邦鉄道車籍・私有貨車、32軸)。 2009年5月2日、ドイツ・コブレンツ付近 大物車は車軸数の多さが特徴である(ドイツ鉄道 Uaai 687. 日本国有鉄道における車種記号は「シ」。 長尺貨物を扱う長物車は基本的に床板(台枠)が平板であるのに対し、大物車はそこに収まりきらない外寸(および重量)の貨物を扱うため、後述するような特殊な台枠形状をしている。 また、大重量を支えるために多くの車輪を備えた構造になっているものが多い。 大物車に積載する貨物は「特大貨物」と呼ばれる。 扱う貨物は、主に発電所用の大型変圧器などである。. 107 関係: 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 、 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。 し、シは、日本語の音節のひとつであり、仮名のひとつである。 1モーラを形成する。 五十音図において第3行第2段(さ行い段)に位置する。 清音の他、濁音(じ、ジ)を持つ。. 新しい!! 新しい!! 変成器(へんせいき)、トランスとも呼ぶ。 電圧だけでなく電流も変化する。 交流電圧の変換(変圧)、インピーダンス整合、平衡系-不平衡系の変換に利用する。. 新しい!! 新しい!! 新しい!! 新しい!! 開通当時は地域の足を独占したものの、紀勢東線開通後に松阪駅 - 射和駅間で紀勢東線松阪駅 - 相可駅間(射和駅と相可駅は櫛田川を挟んで近接)と競合したこととモータリゼーションの進行で、三重交通から三重電気鉄道が分離した翌年に、三重電気鉄道が近畿日本鉄道(近鉄)に合併されて同社の路線となる中、松阪線は譲渡される直前に廃止された。 現在は、三重交通の路線バスが蛸路 - 中万 - 射和間を除き、ほぼ廃線跡沿いを運行し、松阪線の松阪駅舎跡には三交百貨店が建てられた。 また、射和・大石の両バス停は駅の名残を残している。. 新しい!! 新しい!! (鈴鹿駅、2007年8月8日) 伊勢線(いせせん)は、三重県四日市市の河原田駅から三重県津市の津駅に至る伊勢鉄道の鉄道路線である。. 新しい!! , Ltd. )は、福島県福島市に本社を置く重電メーカーである。 東芝グループ企業。 希であるが、当社から松川駅を経由し、大物車を介した大型変圧器の鉄道輸送が行われることがある(松川駅も参照)。. 新しい!! Kfz 205 Maus)は、第二次世界大戦中にドイツで試作された超重戦車である。 「マウス」はドイツ語でネズミを意味するシュピールベルガー『特殊戦闘車両』34頁。. 新しい!! Union Pacific Railroad, UP,NYSE:)は、アメリカ合衆国最大規模の鉄道会社。 1862年設立。 本社はネブラスカ州オマハ。 2016年現在の社長、CEOはLance M. Fritz。 ユニオン・パシフィック鉄道の線路網は、アメリカ合衆国の西部から中部の多くをカバーし、シカゴ西部やニューオーリンズにまで達する。 2007年現在、営業範囲は32,205マイル 51,829km におよび、そのうち26,354マイル 42,413km は自社所有である。 この規模はアメリカ国内での展開する鉄道で最大である。 のちサザン・パシフィック鉄道 などの買収によって成し遂げられた。 競合他社の筆頭としてBNSF鉄道があり、ほぼ同一の地域をカバーしている。 ダウ輸送株20種平均の構成銘柄のうち、前身のDow Jones Average時代を含めて、算出開始以降、現在も選出されている唯一の企業である。. 新しい!! 新しい!! 車体の前後に2基ボギー台車を備えているのがわかる。 国鉄TR71形) 日本国有鉄道シキ160形)。 この場合、3-3軸複式ボギーと称する。 ボギー台車(ボギーだいしゃ)とは、車体に対して水平方向に回転可能な装置をもつ台車の総称である。 またボギー台車を装備した車両をボギー車と呼ぶ。. 新しい!! 専門的には、停車場(駅)の外の線路を運転させる目的で組成された車両のことを特に列車と呼び、同じ車両であっても運転させる目的をもたずに留置されているようなものは列車ではなく、単なる車両である。 条件を満たしていれば、車両数に関係なく、1両であっても列車となりうる。. 新しい!! 無負荷時の鉄損が少ないため、近年採用が増えつつある。 従来の珪素鋼板を使用する変圧器と比較して損失は少ないものの、大きく、重く、騒音がやや大きいという欠点も併せ持つ。. 新しい!! なお「カール」の名は本砲の開発に携わったカール・ベッカー将軍に因む。 試作車も含め計7輛が製造された。 なお、兵器としての名称は「カール」であるが、製造された車両にはそれぞれ固有の名がつけられている。. 新しい!! 新しい!! 新しい!! 日本板硝子所有の私有貨車であった。. 新しい!! 車籍は日本国有鉄道(国鉄)に編入された。 当初は大物車(シ300形)として計画されていたが、製造直前の1965年(昭和40年)12月1日に称号規程が改正され、これにより新設された車運車として落成した。. 新しい!! この項目では、ク5000形の試作車であるク9000形と、同時期に開発されたク9100形についても述べる。. 新しい!! 大正期には明治44年称号規程でホシウ70形に分類されていたが、ホシウ70形の18両のうち、車体長と搭載荷重により昭和3年称号規程で区分した2両(ホシウ83・ホシウ84)が本形式(シ10・シ11)に区分された。 同じホシウ70形から区分されたシ1形と同様に、鉄道車両メーカーが納入先へ鉄道車両を輸送するために製造したものである。 低床式であるが、この低床部分は搭載する鉄道車両の床下機器などを避けるために設けられているもので、この部分に荷重を掛けることはできないものであった。 シ1形に比べて約1 フィート全長が長く、全長15,916 mm(車体長15,240mm)であった。 このためにシ1形と区分されたと考えられている。 構造は類似しており、補強のためのトラス棒を備えており、車体は鋲接で組み立てられていた。 同様に当初は側ブレーキのみであり、昭和30年代になって空気ブレーキを装備した。 製造と所有は田中車輌で、片町駅を常備駅としていた。 後に改称により近畿車輛の所有となり、徳庵駅常備となった。 1976年(昭和51年)4月19日に、2両とも廃車となった。. 新しい!! 大正期には明治44年称号規程のホシウ70形に分類されていたが、同形式の18両のうち、車体長と搭載荷重により昭和3年称号規程で区分した6両が本形式とされた。 また、同称号規程制定後に3両が新造されている。 新しい!! 車籍は日本国有鉄道(国鉄)に編入された。 製造当初は大物車に類別されたが、1965年(昭和40年)12月の称号規程改正により車運車に類別変更され、クム1000形(クム1000)に改称された。. 新しい!! 大正期には明治44年称号規程によりホシウ70形に分類されていたが、ホシウ70形の18両のうち、15トン積みの10両が昭和3年称号規程でシム1形となった。 また、昭和3年称号規程に改正後に24両が新造されている。 新しい!! 車籍は、日本国有鉄道(国鉄)に編入された。 製造当初は、大物車に類別されていたが、1965年(昭和40年)12月1日の称号規程改正により新設された車運車に類別変更のうえ、クム2000形(クム2000 - クム2029)に改称された。. 新しい!! 車籍は、日本国有鉄道(国鉄)に編入されていた。 製造当初は大物車に類別されたが、同年12月の称号規程改正により車運車に類別変更のうえ、クム3000形(クム3000 - クム3009)と改称された。. 新しい!! 新しい!! 製造当初は日本で最大の荷重を持つ貨車であった。 また、第二次世界大戦後に吊り掛け式の梁を製作して使用されたこともある。 車体全長は25,200 mmで、低床部の長さは5,000 mm、低床部のレール面上高さは788 mmであった。 台車は、2軸ボギー台車を外側に、3軸ボギー台車を内側に備えた2-3-3-2複式ボギーで、合計4台車10軸であった。 車体は鋲接で組み立てられていた。 空気ブレーキはKD203形を装備していた。 大戦後に補強工事を受けて、荷重90 トンまで使えるようになった。 また、1954年(昭和29年)3月に富士電機が変圧器の輸送用に本形式の枕枠までを利用して、低床式の荷受梁の代わりに装備する吊り掛け式の梁を日本車輌製造で製造した。 この梁を装備すると、95トン積み吊り掛け式大物車となった。 吊り掛け式の梁はトラス構造になったものであった。 富士電機ではこの梁による輸送の成果を受けて、1955年(昭和30年)にシキ160形を製作して本格的に吊り掛け式による輸送を開始した。 本形式は、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に際して、JR貨物に車籍が承継されたが、1994年度(平成6年)6月に廃車となった。. 新しい!! 全長は17,130 mmで、低床部の長さが5,700 mmとかなり長く、また低床部のレール面上の高さも500 mmと低床式大物車の中でも格段に低い位置にある。 これによって高い使い勝手を確保していた。 しかしこれにより自重が31. 5 トンと重くなり、板台枠式の3軸ボギー台車2基を装備することになっている。 車体は溶接構造で組み立てられており、空気ブレーキはKD254形である。 三菱電機所有の私有貨車で、常備駅は塚口駅であった。 1986年(昭和61年)11月29日に2両とも廃車となった。. 新しい!! 三菱電機所有の私有貨車。 後に1953年(昭和28年)と1958年(昭和33年)に一つずつ吊り掛け式の、1959年(昭和34年)に分割落し込み式の梁が追加で製造されて、これらの方式での輸送もできるようになった。 日本の大物車の中でA梁、B梁、C梁の3種類の梁を装備できる車は本車及びシキ290(シキ290形)の2車のみである。 低床式の梁を装備しているときは全長29,200 mmで、低床部の長さは5,500 mm、レール面上高さは660 mmであった。 低床部の長さと低さにより高い使い勝手を確保していた。 台車は3軸ボギー台車を4台装備しており、台車2台の上に枕枠を装備して、その上に荷受梁を載せていた。 枕枠より上の荷受梁を交換することによって、以下の各種方式に対応するようになっている。 空気ブレーキはKD254形であった。 1953年(昭和28年)に製作された吊り掛け式の梁を装備すると100 トン積み吊り掛け式となった。 この当時はまだ複数の梁形式を区別するためにアルファベット記号を与えていなかったので、シキ120Bという形式となっていない。 荷受梁はトラス構造である。 日本で初めての吊り掛け式輸送として、三菱電機長崎製作所からの発電機固定子輸送に用いられた。 その後この梁がどうなったかは不明である。 1958年(昭和33年)に製作された吊り掛け式の梁を装備すると110 トン積み吊り掛け式となった。 この梁の記号はシキ120Bとされている。 空車時の死重22 トンを含めて自重は68 トンで、また空車時全長は24,000 mmであった。 分割落し込み式としては115トン積みで、シキ120Cと称している。 この梁を装備したときの全長は28,850 mmであった。 側梁の上部に搭載する変圧器の荷重を掛ける仕組みになっていた。 空車回送時は11トンの死重を搭載する仕組みであったが、後に改造を受けて一定荷重以下の積車時にも死重を搭載できるようになった。 製造当初は国鉄所有の貨車を上回って日本の貨車で最大荷重であった。 常備駅は塚口駅であった。 1986年(昭和61年)11月29日に廃車となった。. 新しい!! 東京芝浦電気(東芝)所有の私有貨車で、日本国有鉄道(国鉄)に車籍を編入していた。 日本で初めて荷重が100 トンに到達した貨車である。 また、分割落し込み式としても最初の車両である。 落し込み式では、横梁の間の空間に上方から貨物を落し込んで抱え込むようにして搭載を行うが、このために貨物を一旦上まで持ち上げる必要があった。 分割落し込み式では、横梁を前後の車体から分割して取り外せるようになっており、貨物を横移動するだけで搭載位置へ移動させることができるようになっている。 車体長は28,750 mmで、荷受梁はトラス構造で溶接と鋲接を組み合わせて組み立てられていた。 台車は板台枠式の3軸ボギー台車を2基ずつ前後に振り分けた3-3-3-3軸複式ボギー(12軸)で、2基の台車の間に枕枠を渡し、その上に荷受梁を載せている構成であった。 ブレーキはKD254形を備えていた。 常備駅は当初新芝浦駅で、1983年(昭和58年)1月に貨物駅集約の関係で浅野駅へ移動した。 同年11月11日に東芝物流所有に変更となり、1985年(昭和60年)6月4日に廃車となった。. 新しい!! 日立製作所所有の私有貨車で、当初の常備駅は日立駅、1965年(昭和40年)11月から常陸多賀駅となった。 1959年(昭和34年)2月に追加で低床式の梁が製作され、135トン積み低床式大物車としても使えるようになった。 吊り掛け式の梁はシキ140Bと称し、日立では最初の吊り掛け式であった。 四軸ボギー台車を合計4台備えた、4台車16軸の車両で、2つの台車に跨るように枕枠を載せて、その上に荷受梁が載せられていた。 荷受梁は、低床式の荷受梁の設計を受け継いだもので、縦に4本のプレート上の梁が入った構造であった。 この設計は後の吊り掛け式大物車には受け継がれず、他社製造の吊り掛け式大物車のようにトラス構造に移行している。 空車時の全長は26,500 mmで、貨物の最大長さは8 mとされていた。 低床式の梁はシキ140Aと称し、全長34,000 mm、低床部の長さは5,400 mm、低床部のレール面上高さは900 mmであった。 吊り掛け式とは、枕枠より下部を共用し、荷受梁だけを交換して使用できるようになっていた。 1958年(昭和33年)にシキ280形に脱線事故が発生し、その対策として1960年(昭和35年)に改造を受けて、台車の心皿をかさ上げするなどした。 これにより低床部高さは925 mmに上昇している。 1984年(昭和59年)1月31日に廃車となった。. 新しい!! 番号はシキ150 - シキ152と振られていた。 私有貨車で、鉄道省、後に日本国有鉄道(国鉄)に車籍を編入していた。 第二次世界大戦に際して、石油の不足を補うために石炭を液化して人造石油を製造することが計画され、北海道の滝川に北海道人造石油が設立され、工場が建設された。 本形式は、人造石油生産に必要とされる合成炉をメーカーから人造石油工場まで輸送するために製造された。 合成炉の生産は三井造船玉野事業所で行われており、宇野駅から滝川駅まで多数の合成炉の輸送が行われていた。 車体は全長17,120 mmで、台車はアーチバー式の2軸ボギー台車TR20を4台備えた合計8軸の構成であった。 2台の台車の間に枕枠を渡し、その上に魚腹形の荷受梁を載せた、2-2-2-2軸複式ボギーである。 積荷の合成炉は円筒状で、直径2,780 mm、長さ7,065 mmあり、これを横倒しにして荷受梁の落し込み部に搭載していた。 ブレーキはKD203形であった。 所有は北海道人造石油で、常備駅は滝川駅であった。 1949年(昭和24年)3月に日本人造石油、同年9月に滝川化学工業、1952年(昭和27年)6月に運輸機材と所有者が変化した。 またこの頃タンク車に改造する計画が立てられ、実際にシキ151はタキ300形のタキ1305・タキ1306となった。 しかし他の2両の改造は中止となり、1954年(昭和29年)1月30日に所有者の造機車輌への社名変更の後、1957年度(昭和32年度)に国鉄に買い上げられて国鉄貨車となった。 1972年度(昭和47年度)に廃車となった。. 新しい!! 同社所有の私有貨車であった。 全長は18,600 mm(車体長17,800mm)で、低床部の長さは7,000 mm、レール面上高さは690 mmであった。 低床部とレール面のクリアランスが小さすぎるために、操車場のハンプ通過は積車空車にかかわらず禁止されていた。 台車はボールドウィンタイプの釣合梁式3軸ボギー台車2基を装備していた。 常備駅は日立駅で、変圧器の輸送などに用いられていた。 本車の構造は国鉄基本のものと異なるため一般検査、局部検査、甲修繕及び乙修繕は国鉄職員立ち会いのもと日立製作所の工場で行なわれた。 車体塗色は黒で、1968年(昭和43年)10月1日ダイヤ改正以前の1965年(昭和40年)3月に廃車となったため、黄1号の帯を巻かれる事はなかった。. 新しい!! 富士電機(後に日本AEパワーシステムズ)所有の私有貨車で、当初は日本国有鉄道、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化後は日本貨物鉄道に車籍編入されていた。. 新しい!! 東芝所有の私有貨車で、当初の常備駅は新芝浦駅であった。 吊り掛け式の梁はシキ170Bと称し、製作当初は日本で最大の荷重を持つ貨車であった。 四軸ボギー台車を合計4台備えた、4台車16軸の車両で、2つの台車に跨るように枕枠を載せて、その上に荷受梁が載せられていた。 荷受梁はトラス構造を形成しており、上から見ると貨物側が広く車端側がすぼまった形をしている。 空車時の車体長は27,600 mmで、貨物の最大長さは8 mとされていた。 連結器は両端の台車に接続されているが、車体長1 mあたりの軸重制限の対策で、車体から1 m以上はみ出して設置されているという珍しい形態であった。 低床式の梁は2つあり、先に製作されたものは当初シキ170Aと称していたが、もう1つの低床式梁が製作されたことに伴い先に製作されたものをシキ170A1と改称した。 シキ170A1は135トン積みで、枕枠より下を共用して荷受梁を交換することで使用した。 車体の全長は35,000 mmで、低床部の長さは5,500 mm、低床部のレール面上高さは1,050 mmとやや高いものであった。 後に製作されたシキ170A2は70トン積み低床式で、枕枠と内側の台車2台は使用せず、車端側の台車2台の上に直接低床式の梁を載せる構造であった。 全長は21,500 mm、低床部長さは6,000 mm、レール面上高さは750 mmであった。 日本の中型大物車として唯一の四軸ボギー台車採用車であるが、蛇行動を起こしやすい欠点があったとされる。 これでは実用にならないことから、両端台車に死重を搭載し連結器の張り出しを緩和するなどの対策工事を実施した。 さらに1961年(昭和36年)12月に脱線対策の再改造が行われて、張り出し部分は完全に撤去された。 1977年(昭和52年)10月には、保守困難となった中空式の車軸を廃して12トン短軸と860 mm径車輪に交換する工事が行われ、これに伴う自重増により荷重がA1・A2・B梁とも10トンずつ減少した。 1981年(昭和56年)11月に神奈川臨海鉄道末広町駅に常備駅が変更され、さらに1983年(昭和58年)11月11日に所有者が東芝物流に変更となった。 1987年(昭和62年)3月にシキ170A1・シキ170A2の低床式の梁が2つとも廃車された。 残ったシキ170Bも、老朽化によりシキ800形のシキ810に置き換えられて、2003年(平成15年)に廃車となった。. 新しい!! 1957年(昭和32年)に同じシキ180という名前の47トン積み平床式大物車が製作されているが、全くの別車両である。. 新しい!! アメリカ陸軍輸送隊所有の私有貨車で、車籍は日本国有鉄道に編入された。 1965年(昭和40年)に同じシキ180という同形式番号の80トン積み低床式大物車が製作されているが、全くの別車両である。 在日米軍の戦車を輸送するために製造された。 重量が大きい戦車は、それまでシキ60形にしか搭載できず積車時の最高速度が制限されたことから、本形式が開発された。 外見上は魚腹式台枠を備えた長物車である。 車体長は15,700 mmで、戦車搭載時の軸重制限の問題から三軸ボギー台車を備えていた。 番号はシキ180・シキ181で、軍番号は800054・800055であった。 常備駅は赤羽駅であった。 製造2年後の1959年(昭和34年)6月に日本国有鉄道からは除籍されたが、その後韓国へ移動したものとされている。. 新しい!! 日立製作所所有の私有貨車で、当初は日本国有鉄道(国鉄)、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化後は日本貨物鉄道(JR貨物)に車籍を編入していた。 全長は19,860 mm、落し込み部の寸法は長さ6,800 mm、幅2,250 mmである。 台車は、ベッテンドルフ式の2軸ボギー台車C-1形を合計4台備えた8軸車である。 2台の台車の上に枕枠を渡し、その上に荷受梁を載せる構造は一般的な4台車の大物車の構成どおりであるが、この形式では枕枠が中梁のみで構成されており、両側に広がっていないというのが特徴である。 このことから、台車の雨除けの板が取り付けられていた。 荷受梁はガーダー構造で構成されていた。 当初の設計では第一種縮小車両限界を採用していたが、電車区間の高いプラットホームに荷受梁が抵触することを避けるために、特殊な輸送のとき以外は心皿部分に追加の部材を挿入して200 mm高くできるようにした。 これに伴う自重増加により、荷重が2 トン減少したことから、73 トン積みという半端な荷重になっている。 ブレーキはKD254形を装備している。 常備駅は常陸多賀駅であったが、貨物駅集約の関係で1984年(昭和59年)2月から1988年(昭和63年)1月の間は日立駅常備となっていた。 国鉄分割民営化後もJR貨物に車籍を承継されたが、1990年(平成2年)1月31日に廃車となった。. 新しい!! 1981年(昭和56年)に低床式の梁を新製して、55 トン積み低床式大物車としても使用できるようになった。 車籍は当初日本国有鉄道で、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に際しては、日本貨物鉄道(JR貨物)に継承された。 落し込み式梁は、低床式梁の製作以後はシキ195Cと称されている。 このときは全長20,020 mmで、貨物を搭載する落し込み部は幅2,423 mm、前後方向はピン間で6,600 mmである。 分割落し込み式であり、貨物を搭載する中間梁は吊り掛け梁から取り外すことができるようになっている。 吊り掛け梁はガーダー構造、中間梁はトラス構造である。 台車はベッテンドルフ式2軸ボギー台車NC-3A形で、これを2台組み合わせたものに枕枠を載せて、それに荷受梁を載せる、全部で4台車8軸の構成であった。 空気ブレーキはA制御弁を用いる積空切り替え可能なASD180-254形であった。 低床式梁は、1981年(昭和56年)3月17日に日本車輌製造で新規製作した梁を、従来の落し込み式梁の枕枠以下に組み合わせたもので、シキ195Aと称している。 このときの全長は22,120 mmで、低床部の長さは6,000 mm、レール面上高さは660 mmである。 東京芝浦電気(1984年(昭和59年)から東芝)の所有する私有貨車であった。 常備駅は当初新芝浦駅で、その後浅野駅を経て安善駅へ移動したが、これは貨物駅の統廃合に伴うもので、実際の留置場所は変化していなかった。 2001年(平成13年)1月にA梁・C梁ともに廃車となった。. 新しい!! 同じ形式・番号のシキ1形がこれ以前に存在していたが、全く異なる車両で関係はない。 私有貨車で、日本国有鉄道(国鉄)に車籍を編入していた。. 新しい!! 当初は明治44年称号規程での無蓋車材木車兼用のオトチ6490形のオトチ6490 - オトチ6493で、1915年(大正4年)4月に重量品運搬車のオシウ35形に形式変更され、オシウ35 - オシウ38となった。 さらに1928年(昭和3年)に称号規定改正により、シキ1 - シキ4となった。 なお、シキ1については、後にフレキシバン輸送用の車両で同じ形式・番号を付けた国鉄シキ1形貨車 2代 が存在するが、全く異なる車両である。 全長6,001 mm(車体長5,442mm)と短い車体ながらボギー車で、菱枠台車(後にTR15形となる)を装備していた。 この台車の中心間距離は2,819 mmと非常に短いものであった。 主に橋桁などの重量物を2両のシキ1形の間に渡しかけて搭載する形で輸送するためのもので、曲線走行時の位置変化を吸収するための回転枕木を車体中央に備えていた。 また単独で使用する際は回転枕木を除去した状態で貨物を固定して使用していた。 1932年(昭和7年)に4両とも廃車となった。. 新しい!! 初代と2代のシキ200形が存在するが、類似しており同じ項目で説明する。 日本鋼管では、浅野駅のそばに鶴見製鉄所を、浜川崎駅のそばに川崎製鉄所を運営していた。 鶴見製鉄所には高炉がなく、その平炉で使用する銑鉄は川崎製鉄所の高炉で生産したものを利用していた。 艀や自動車で冷えた状態の銑鉄(冷銑)を輸送していたが、1949年(昭和24年)に重油節約の目的で高炉から出した溶けた状態のままの溶銑の輸送に切り替えることになり、構内で溶銑輸送に用いられていた混銑車を国鉄の車籍に編入して鶴見線での輸送に用いることになった。 初代のシキ200形は、1949年(昭和24年)10月-11月にシキ200 - シキ204の5両、さらに1951年(昭和26年)6月にシキ205・シキ206の2両の合計7両が国鉄の車籍に編入された。 しかし同年12月10日に7両すべてが一旦車籍から外れた。 また初代は浅野造船所(1940年(昭和15年)に日本鋼管と合併)製である 2代のシキ200形は1953年(昭和28年)2月6日にシキ200 - シキ205の6両が車籍編入された。 さらにその後1964年(昭和39年)11月30日に、損耗したシキ200・シキ204の補充としてシキ206・シキ207が日本車輌製造支店で製造された。 1964年に追加製造された2両は形態が異なっているが、それ以外の初代と2代の車両の形態は同じである。 初代と2代の番号の対照は不明である。 1964年製の2両以外は、全長は6,200 mmで自重は約14 トン、荷重は35 トンの車両である。 1964年製の2両は全長は6,900 mmで、溶銑の搭載量を20 トン以下に限定する確認書を提出することで、荷重30 トンに改定された。 また、この2両は国鉄除籍後に構内輸送で75 トン混銑車として使用することができる設計となっている。 どちらも二軸台車を2台備えたボギー車で、車体中央部に低床部を備えており、ここに溶銑を入れた取鍋を搭載する。 取鍋の回転軸を支える受け台が車体側に取り付けられており、ここに取鍋をクレーンで脱着していた。 構内輸送では通常は蓋をせずに輸送しているが、鶴見線での輸送時には必ず蓋をしていた。 ブレーキは、1964年製の2両はKD254形空気ブレーキを装備していたが、それ以外は空気ブレーキの配管があるだけでブレーキシリンダーを搭載しておらず、この車両に対して制動力を作用させることはできなかった。 溶銑を入れる取鍋は鋼板で製作された巨大なバケツのような構造物で、容積は4. 5 立方メートル、自重6. 2 トンでこれに保温材として石綿(アスベスト)や耐火煉瓦などが合計6. 8 トン巻かれており、合わせて13 トンであった。 1,400 度の溶銑を最大23. 5 トン搭載する。 取鍋自体も鉄道の貨物としては荷重に含めて考えられるので、本形式の荷重は35 トン(1964年製の2両は30 トン)とされている。 1950年(昭和25年)1月までは2両編成、以降は3両編成で運転され、軸重の関係上前後に冷銑を搭載した無蓋車を連結していた。 1955年(昭和30年)8月からは昼間輸送が開始され、浜川崎12時28分発、浅野12時54分着のダイヤで運転されていた。 2代のシキ200・シキ204は1965年(昭和40年)3月15日に廃車となった。 これを代替したシキ206・シキ207も同年12月11日には除籍されて、当初の予定通り構内輸送用に転用されたものとされている。 それ以外の4両は、1973年(昭和48年)頃まで在籍していたが、あまり使用されずに保管されており、高炉の休止時など必要なときだけ運行されていた。. 新しい!! 神戸製鋼所所有の私有貨車で、鉄道省(後に日本国有鉄道)に車籍編入された。 神戸製鋼所が製造している海軍の潜水艦用ディーゼルエンジンを、造船を担当している川崎造船所まで輸送するために製造された。 外形は魚腹形台枠を備えた長物車のような構造である。 全長は14,860 mm(車体長14,000mm)で、車体中央部に穴が開けられており、ここに貨物を落し込んで積載する構造であった。 台車は釣合梁式の三軸ボギー台車を2基備えており、KD254形のブレーキを備えていた。 また、特認を得て660 mmの小径車輪を使用していたことが大きな特徴で、これにより台枠の高さを959 mmと低く抑えていた。 特認の関係上、小野浜駅 - 神戸港駅間に運用が限定されていた。 常備駅は当初小野浜駅で、神戸港駅を経て高砂駅へ移動した。 1961年(昭和36年)10月19日に廃車となった。. 新しい!! 東京芝浦電気(東芝)所有の私有貨車で、日本国有鉄道(国鉄)に車籍編入された。 東芝が製造した大型の変流器や変圧器を輸送するために用いられた。 魚腹形台枠を備えた長物車のような構造である。 全長は18,480 mm(車体長17,600mm)で、車体中央部に長さ約8,000mm、幅2,160 mmの穴が開けられており、ここに貨物を落し込んで積載する構造であった。 台車はベッテンドルフ式の3軸ボギー台車であるTR92を2基備えており、ASD254-356形の手動積空切り替え式ブレーキを備えていた。 1961年(昭和36年)に信越本線を走行中に、車両限界抵触が原因の接触事故を起こした。 この対策として同年改造が行われ、台枠の側梁下部が切り詰められて、それに伴う剛性低下を補う補強が行われた。 常備駅は当初新芝浦駅で、社名変更により1984年(昭和59年)5月に東芝所有となった。 貨物駅集約の関係で名目上常備駅が浅野駅を経て安善駅へ移動したが、実際の留置場所は変更されていなかった。 2002年(平成14年)12月に廃車となった。. 新しい!! 1960年(昭和35年)に追加の梁が製作されて、この梁を用いると165 トン積み吊り掛け式大物車となった。 シキ280形は変圧器のような特大貨物を輸送するために製造された貨車である。 シキ160形の増備車として製作したもので、搭載方法は同じく吊掛式(シュナーベル式)である。 走行性に難のある多軸台車を使用した走り装置をやめて、2軸の日車NC-3形ボギー台車を2つ備えた台車上枠を2つ備えた枕枠になった。 つまり、全部で8つの台車を備えた16軸車である。 貨物を搭載しない状態では、車体長25,796 mm(改造後25,876mm)であった。 荷受梁はトラス構造で鋲接と溶接を併用して組み立てられている。 空気ブレーキは手動で積空変更を行う仕組みのKD203形であった。 初めての輸送についた帰りに、1958年(昭和33年)3月18日に東海道本線の蒲郡 - 幸田間で脱線事故を起こした。 これでは実用的な運用が困難であるため、本格的な対策として心皿の改造と死重の搭載が行われた。 同様の対策は同じ時期に吊り掛け式大物車全般に対して行われた。 このときの死重搭載により、荷重は125 トン積みに変更された。 1960年(昭和35年)7月13日に、同じく日本車輌製造支店で新しい荷受梁を製作して、165 トン積み吊り掛け式としても使えるようになった。 このときに、新しく製作した165 トン積みの梁をシキ280B1、元からの135 トン(改造後125 トン)積みの梁をシキ280B2と、製造順と逆順の番号が振られている。 空車時の車体長は26,000 mmである。 荷受梁はやはりトラス構造となっている。 富士電機所有の私有貨車であった。 製造当初は安善駅常備で、富士電機製造川崎工場で製造された変圧器を各地へ輸送していたが、1962年(昭和37年)の千葉工場の開設と1963年(昭和38年)の京葉臨海鉄道の開業を受けて京葉市原駅常備に変更され、千葉工場からの出荷を担当するようになった。 2001年(平成13年)に日本AEパワーシステムズの発足に伴って同社の所有となった。 2005年(平成17年)に全検切れとなり除籍された後も、試験用という形で工場内で保管されている。 2012年(平成24年)8月18日、千葉貨物駅までシキ600と共に回送され、翌8月19日には千葉貨物駅で行われた京葉臨海鉄道50周年記念イベントで展示公開された。 イベント終了後は、当日中に2両とも返却された。. 新しい!! 先に製作されたシキ290の方は梁の交換により80 トン積み低床式、115 トン積み分割落し込み式、165 トン積み吊り掛け式のいずれかとして使用することができた。 日本の大物車の中でA梁、B梁、C梁の3種類の梁を装備できる車は本車(シキ290)及びシキ120(シキ120形)の2車のみである。 後に製作されたシキ291の方は、分割落し込み式のみで使用された。 車籍は当初日本国有鉄道で、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に際しては、日本貨物鉄道(JR貨物)に継承された。 低床式梁はシキ290Aと称している。 車体長は32,650 mm(改造後32,520mm)で、低床部の長さは5,000 mm、低床部のレール面上高さは780 mmである。 車体は溶接構造である。 台車はベッテンドルフ式2軸ボギー台車NC-3B形を8台備えた、2-2-2-2-2-2-2-2軸複式ボギー(合計16軸)である。 2軸台車8台の構成は、日本の低床式大物車では唯一のものである。 空気ブレーキは手動で積空切り替えを行うASD方式のものであった。 連結器は台車上枠に装備されている。 枕枠より下部の走行部分は落し込み式と共用しているが、荷受枠を枕枠に載せる心皿は2箇所あり、曲線での偏倚量減少のために低床式のときは中央側の心皿を使用していた。 落し込み式梁は、1960年製作のものはシキ290Cと称している。 また1964年製作のものは、A梁・B梁がないため単にシキ291と称している。 荷受梁はトラス構造で構成されており、貨物の搭載部は全長約7,000 mm、幅2,262 mmである。 シキ290の荷受梁は溶接と鋲接を組み合わせて組み立てているが、シキ291は全溶接構造である。 シキ291では枕枠の構造が改良されており、シキ290Cは全長33,350 mm、シキ291は全長33,220 mmと少し全長が異なっていた。 吊り掛け式梁はシキ290Bと称している、A梁・C梁に遅れて1970年(昭和45年)9月に追加で製造された。 吊り掛け式の荷受梁もトラス構造で、空車時の車体長は26,030 mmであった。 またこのときに枕枠をシキ291類似のものに交換し、台車上枠の改造をしている。 シキ290は明電舎、シキ291は高岳製作所所有の私有貨車であった。 シキ290の当初の常備駅は大崎駅であったが、1961年(昭和36年)4月に工場移転により沼津駅へ移動した。 シキ291の常備駅は小山駅であった。 シキ290Aは1980年(昭和55年)4月に、シキ290B・シキ290Cは2003年(平成15年)2月に廃車となり解体された。 シキ291は2004年(平成16年)4月に廃車となった。. 新しい!! 175 トン積み低床式または210 トン積み吊り掛け式として使用することができた。 車籍は当初日本国有鉄道で、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に際しては、日本貨物鉄道(JR貨物)に継承された。 低床式梁はシキ300Aと称している。 175 トンの荷重は、日本の低床式大物車としては史上最大のものである。 全長の37,700 mm、自重の101 トンも日本の貨車史上最大であった。 車端側に四軸ボギー台車を、車両中央側に六軸ボギー台車を備えた、全部で4台車20軸構成の車両であった。 この六軸ボギー台車は日本唯一のもので、第2軸・第5軸以外の車軸が横移動できるようになっており、また第1軸・第6軸は特殊な踏面形状を採用していた。 また軸距の短縮に特に注意が払われている。 空気ブレーキは積空手動切り替え式のKD203形を装備している。 吊り掛け式梁はシキ300Bと称している。 空車時の全長は27,300 mmであった。 荷受梁はトラス構造で溶接組み立てであった。 シキ300は日立製作所所有の私有貨車であった。 常備駅は当初日立駅で、1965年(昭和40年)11月から常陸多賀駅となり、さらに1984年(昭和59年)2月に日立駅、1988年(昭和63年)11月に常陸多賀駅と2回行き来している。 1992年(平成4年)11月にA梁・B梁とも同時に廃車となった。. 新しい!! 当初は明治44年称号規程でのオシウ50形であったが、1928年(昭和3年)の称号規定改正によりシキ30形のシキ30 - シキ32となった。 全長は11,876 mm(車体長11,200mm)で、低床部の長さは3,960 mm、レール面上高さは802 mmであった。 低床部の幅を広くする設計を採ったが、このために低い部分での車両限界を支障しないように低床部が高くなってしまった。 これはかえってこの車両の使い勝手を落とすことになってしまった。 当初は手ブレーキのみ装備しており、後に改造で空気ブレーキを装備した。 台車はTR16形ボギー台車を装備していた。 1964年(昭和39年)度から1968年(昭和43年)度にかけて、順次廃車となった。. 新しい!! 車籍は日本国有鉄道であった。 低床式の梁は、溶接構造で組み立てられている。 全長は26,000 mm、低床部の長さは5,500 mm、低床部のレール面上高さは780 mmである。 荷受梁は枕枠の上部側でも心皿より外側まで伸ばされており、柵を立てて長尺ものの貨物を輸送できるようになっている。 台車は、二軸台車を車端側に、三軸台車を車体中央側に備えた合計4台車10軸の構成である。 空気ブレーキはKD254形であった。 シキ310は三菱造船所有の私有貨車で、1964年(昭和39年)の合併で三菱重工業となった。 常備駅は下祇園駅であった。 1975年(昭和50年)7月28日に日本通運に売却されて沼津駅へ移動し、さらに1977年(昭和52年)3月に西浜信号場へ移動した。 1987年(昭和62年)1月12日に廃車となった。. 新しい!! 番号はシキ35・シキ36であった。 同社所有の私有貨車であった。 全長は14,300 mm(車体長13,500mm)で、外見は長物車のような構造であるが、2両を連結してその間に渡しかけるように長い貨物を搭載することを目的としており、車体上に曲線走行時の変位を吸収できるようにするための回転枕木を装備していた。 この回転枕木は心皿の装備位置が二箇所あって、うち一箇所のときに荷重が35 トン、もう一箇所のときは20 トンであった。 2両つないで使用することを想定しているが、1両単位でも使用できた。 台車はベッテンドルフ式2軸ボギー台車TR41Cで、ブレーキはKD254形を装備していた。 主に化学プラントなどの長い貨物を輸送していた。 1965年(昭和40年)2月24日に会社の合併で所有者が三菱重工業となった。 常備駅は終始糸崎駅であった。 1984年(昭和59年)1月31日に2両とも廃車となった。. 新しい!! シキ370形は変圧器などの特大貨物を輸送するために製造された貨車で、搭載方法は吊り掛け式(シュナーベル式)である。 シキ280形と同様の構造を採用しており、ベッテンドルフ式の2軸ボギー台車日車NC-3形を2つ備えた台車上枠を2つ備えた枕枠になっている。 全部で8つの台車を備えた16軸車である。 貨物を搭載しない状態では、全長26,030 mmであった。 荷受梁はトラス構造となっている。 空気ブレーキは手動で積空変更を行う仕組みで、A弁とUC形シリンダー2台を組み合わせたものになっている。 シキ280形では、初回の輸送時に発生した脱線事故の対策として改造が行われているが、シキ370形では当初から対策を織り込んで製造されている。 また、シキ280形と同様の走り装置を使いながら、最大荷重を5 トン大きくできているのは、荷受梁の交換を想定せずに設計したために枕枠設計を最適化できているからである。 明電舎所有の私有貨車であった。 常備駅は終始沼津駅で、JR貨物へも承継されたが、2003年(平成15年)2月に廃車となり、同じく沼津駅常備であったシキ290とともに解体された。. 新しい!! 当初から2つの吊り掛け式梁を持っており、240トン積みのものがシキ400B1、170トン積みのものがシキ400B2である。 B1梁・B2梁ともに、それまでの吊り掛け式大物車の荷受梁で多く採用されていたトラス構造ではなく、ガーダー構造を採用している。 これは、その後の日本の大型吊り掛け式大物車でも踏襲された。 B1梁では空車時全長33,860mm、貨物の最大長さは8. 5m、空車自重107トン(うち回送用死重23トン)である。 B2梁では空車時全長24,096mm、貨物の最大長さは8m、空車自重90トン(うち回送用死重42トン)である。 台車は4軸ボギー台車を備えている。 この台車は、ブニョー Beugniot 式という左右動を許した可動軸受を採用しており、多くの鉄道車両の車軸は軸受が車輪より外側になっているのに対して、車輪の内側に軸受を備えているというものである。 これにより、車軸に妨げられずに車輪が多数並んで見える独特の外観となった。 これは、多軸台車のカーブ通過時の横方向の圧力を軽減するために考えられた構造であったが、軸焼けが多発する原因となった。 B1梁を装備するときは、2つの4軸台車の上に台車上枠を載せて、これともう1つの4軸台車の間に枕枠を載せて、その上に荷受梁を載せる構造になっていた。 片側に3つの4軸台車合計12軸で、全部で6台車24軸の構成である。 これに対してB2梁のときは枕枠と片側1つずつの台車を取り外して、台車上枠の上に直接荷受梁を載せる、合計4台車16軸の構成となった。 空気ブレーキは手動積空切り替え式で、K弁とUC形シリンダーを組み合わせていた。 軸焼け対策のために数回の改造が繰り返されている。 三菱電機所有の私有貨車であった。 常備駅は当初塚口駅で、1972年(昭和47年)4月に西浜信号場へ移動した。 特殊構造のために早く淘汰され、シキ610形に置き換えられて1976年(昭和51年)9月24日に廃車となった。 なお車両は廃車前に塚口駅側線に移動し、その後長らく留置されたのちに解体された。. 新しい!! 間に他の形式が入ってしまっているため番号は飛んでおり、シキ40 - シキ59、シキ240 - シキ261となっている。 このうち最後の2両にあたるシキ260・シキ261は太平洋戦争の本土決戦に備えて大砲の砲身輸送などに用いるために日本陸軍が用意した私有貨車であった。 全長は12,300 mm(車体長11,500mm)で、従来の大物車とほぼ同じであったが、台枠構造の工夫により低床部はずっと長い4,800 mmを確保した。 また低床部のレール面上高さは690 mmと低く、これによって高い使い勝手を確保して、荷主からの評価が高い大物車となった。 これによってシキ40形は大量に増備されることになった。 台車はアーチバー式の2軸ボギー台車TR20形を2基装備し、空気ブレーキはKD180形であった。 シキ40 - シキ43は国鉄苗穂工場、シキ44 - シキ49は国鉄浜松工場、シキ50 - シキ59は田中車輌、シキ240 - シキ249は日本車輌製造、シキ250 - 259は川崎車輛、シキ260・シキ261は日立製作所がそれぞれ製造した。 このうちシキ49までは昭和初期の製造であるが、シキ50以降は第二次世界大戦末期の製造であった。 シキ260・シキ261については大阪陸軍造兵廠所有で、常備駅は吹田駅であった。 シキ260は戦災により喪失した。 シキ261については、終戦後大蔵省所管となった後、1958年(昭和33年)に国鉄が買い上げて他のシキ40形と同様の扱いとされた。 1966年度(昭和41年度)から1982年度(昭和57年度)にかけて順次廃車となった。. 新しい!! 国鉄が所有する貨車としては最大の荷重を持つ車両であった。 私有貨車では、この車両が製作された時点で既にこれを上回る荷重のものが存在していた。 設計はシキ100形をベースにしたものとなっている。 低床式の梁は、溶接構造で組み立てられている。 全長は27,200 mm、低床部の長さは6,000 mm、低床部のレール面上高さは892 mmである。 低床部を長くしたために幅は狭くなり、レール面上高さも高くなった。 これが使い勝手を悪くしたとされる。 台車は、板台枠式の三軸ボギー台車を合計4台車12軸備えた構成である。 空気ブレーキはKD254形であった。 使い勝手が悪く使用頻度は低かった。 日本貨物鉄道(JR貨物)へ承継されたが、1993年(平成5年)9月に廃車となった。. 新しい!! 新しい!! 当初は明治44年称号規程での重量品運搬車のオシウ30形であったが、1928年(昭和3年)の称号規定改正により、シキ5形のシキ5 - シキ9となった。 明治44年称号規程での重量品運搬車に類別された最初の車両であり、また低床式大物車として日本で最初の車両であった。 全長は11,862 mm(車体長11,278mm)、低床部の長さは3,962 mm、レール面上高さは692 mmであった。 菱枠台車(後にTR15形となる)を装備していた。 空気ブレーキはなく、側ブレーキのみを装備していた。 荷重は、当時の建設規定での総重量40 トン以内にあわせるために26 トンで計画されていたが、特認を得て30 トンとなった。 シキ70形に置き換えられる形で、1959年(昭和34年)8月から1965年(昭和40年)2月にかけて順次廃車となった。. 新しい!! 新しい!! 低床式のほかに、梁を交換することで平床式・落し込み式としても使用することができる車両であった。 当初は明治44年称号規程によるオシウ40形として、オシウ40 - オシウ42の番号が与えられており、1928年(昭和3年)に称号規程改正によりシキ60形のシキ60 - シキ62となった。 その後シキ63 - シキ67の5両が追加で製造された。 大正時代に製造されたシキ60 - シキ62の3両は、鉄道省浜松工場が製造した。 戦時中の特大貨物輸送急増に対応して田中車輛で1944年(昭和19年)7月 - 8月にシキ63 - シキ67の5両が追加新造された。 日本の貨車として、初めて複式ボギー台車を採用していた。 後にTR16形として類別される菱枠台車を2台装備した枕枠を、荷受梁の前後にそれぞれ1台ずつ備える、全部で4台車8軸の車両で、当時としてはかなり大きな貨車であった。 全長は18,540 mm(車体長17,600mm)で、このうち荷受梁の部分の長さが12,600 mm、低床部の長さが4,100 mm、低床部のレール面上高さが764 mmであった。 空気ブレーキは装備されておらず、側ブレーキのみを装備していた。 枕枠の長さは5,600 mmあった。 枕枠の部分は、それだけを分離した形で貨車として利用できるようになっており、荷受梁の部分に形式番号が書かれているほかに、枕枠にも形式番号が「シキ60甲」「シキ61乙」のように甲乙を付けて書き込まれていた。 また、枕枠には回転枕木の装備ができるようになっており、車体中央側にも連結器を装備可能になっていた。 枕枠のみで利用しているときは30 トン積み平床式大物車の扱いで、回転枕木を利用して曲線通過時の変位を吸収しながら、2台の間に長い貨物を渡しかけて輸送することができた。 また、落し込み式の梁も用意されていた。 これは1936年(昭和11年)に鉄道省が自営の信濃川発電所を建設するに際して、変圧器の輸送用に大宮工場で製作したものである。 全長は19,174 mm(車体長18,234mm)で、中央に全長4,450 mm、幅1,700 mmの穴が開けられており、この部分に貨物と落し込んで輸送するものであった。 信濃川発電所への輸送に使用された後は、一般の貨物輸送用にも転用された。 この他に、陸軍省所有の専用の荷受梁が用意されていた。 これは、本形式2両を使用して要塞砲を輸送するためのもので、低床式の荷受梁の中央に心皿を仮設し、その上に2両に渡しかけるように専用荷受梁を搭載することで、都合8台車16軸の大物車として使用できるようになっていた。 このときは荷重100 トンであるが、専用荷受梁が20 トンあるので実際の荷重は80 トンであった。 荷受梁を取り外す、あるいは復元する作業は、苗穂・大宮・名古屋・吹田・鷹取・小倉の各工場でのみ行えることになっていた。 特に落し込み式梁への交換作業は大宮のみに限定されていた。 1966年度(昭和41年度)から1972年度(昭和47年度)にかけて順次廃車となった。. 新しい!! 新しい!! 1974年(昭和49年)9月26日に日本車輌製造にて110 トン積み分割落し込み式の梁が追加されて、当初からの吊り掛け式梁がシキ670B、追加された分割落し込み式梁がシキ670Cとなっている。 車籍は当初日本国有鉄道で、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に際しては、日本貨物鉄道(JR貨物)に継承された。 足回りは、タキ43000形などと同じベッテンドルフ式のTR210形二軸ボギー台車を合計6台12軸装備している。 車端側に台車2台に渡した台車上枠を装備しており、この台車上枠の中心と車体中央側の台車の間に渡しかけた枕枠があって、この上に荷受梁を載せている。 空気ブレーキはK弁とUC形シリンダーを組み合わせた手動積空切り替え方式のものである。 B梁は、ガーダー構造の全溶接組み立てでできている。 空車時全長は19,580 mmである。 C梁は、全長28,080 mmで、貨物積載部の長さは12,000 mm、幅は2,010 mmであった。 三菱電機所有の私有貨車で、常備駅は西浜信号場であった。 2003年(平成15年)11月に上組所有に変更となり、2005年(平成17年)5月にB梁・C梁ともに廃車となったが、その後も工場車庫内で保管されている。. 新しい!! 新しい!! シキ70 - シキ77、シキ270 - シキ277の番号が付けられていた。 シキ78・シキ79が欠番となった理由は不明である。 シキ5形やシキ30形などの老朽取り替え用に製作された。 シキ40形とほぼ同一の仕様で造られており、全長は同じ12,300 mm(車体長11,500mm)である。 ただし、台車の位置を外側にずらすことで、低床部の長さを5,100 mmと300 mm拡大している。 低床部のレール面上高さは695 mmでこれはシキ40形と同じである。 鋲接で組み立てられていたシキ40形と異なり溶接で組み立てられており、これにより自重は約3 トン軽い13. 4 トンになった。 台車はベッテンドルフ式2軸ボギー台車のTR41Cを2基装備し、空気ブレーキはKD180形である。 このクラスの輸送需要は自動車輸送に転移したことから、1978年度(昭和53年度)から1986年度(昭和61年度)にかけて順次廃車となった。 廃車後もシキ74が沼津で、シキ277が浪速で留置されていた。 前者は2003年(平成15年)頃にシキ290やシキ370とともに解体となり、後者は浪速貨物駅廃止前に神戸市内に移されトラ148523やトラ149195ともに2007年(平成19年)初頭まで放置されていた。. 新しい!! 1973年に製造されたのがシキ800で、B梁が2つ(シキ800B1・シキ800B2)とC梁が1つ(シキ800C)である。 1974年に製造されたのがシキ801で、シキ801B2とされ、このときにシキ800B1が一旦除籍されてシキ801用に転用され、シキ801B1となった。 1996年に製造された車両は、期間が長く開いた間の改良を反映したことから番号を飛ばしてシキ810としている。 シキ810に装備している梁はB2梁と同等である。 シキ800形は発電所や変電所に設置される特大の変圧器を輸送するための貨車である。 こうした貨車は、従来重電メーカー各社がそれぞれ保有していたが、利用頻度が低いことから各社で共通利用することが計画された。 この経緯はシキ610形と同様である。 ただし、シキ610形のときは東芝・日立製作所・富士電機の3社については共通の荷受梁を用意できたが、三菱電機のみヒンジの形状が異なることから別な荷受梁を用意して交換して使用することになった。 シキ800形では、アタッチメントとなる継手を利用し、また側梁部分を可動式にすることで、異なる寸法と形状のヒンジに対応できるように工夫された。 さらにB2梁にC梁を組み合わせると、140 トン積み分割落し込み式大物車となる、リバーシブル大物車ともいうべき万能性を備えている。 シキ800・シキ801については、台車はベッテンドルフ式の2軸ボギー台車NC-3C形を合計8台16軸装備している。 台車2台の上に台車上枠を載せ、2つの台車上枠に跨るように枕枠を装備して、その上に荷受梁を載せる構造である。 ブレーキはK弁とUC形シリンダーを組み合わせた手動積空切り替え方式のものである。 これに対してシキ810では台車はTR213F形を装備し、大物車として初めてのCSD方式のブレーキを備えている。 シキ810でも台車上枠や枕枠の基本的な構造は同じである。 後年、シキ810が廃車されB2梁・台車・台枠・まくら枠等がシキ801に移植されている。 移植後のシキ801はB1梁や一部の部品を除いて実際にはほぼ全てが元シキ810の物となっている。 荷受梁はガーダー構造で構成されており、全溶接構造である。 B1梁のときの空車全長は25,920 mm、B2梁のときは25,800 mmで、どちらでも貨物の最大長さは11,120 mmとなっている。 側梁を移動させて必要な間隔に設定できるようになっており、B1梁ではねじで、B2梁では油圧ジャッキで移動させるようになっている。 C梁を装備すると全長は33,550 mmとなる。 このとき、B2梁と組み合わせることでC梁を構成するようになっており、C梁用に用意されている部材は分割落し込み式で分割される横梁の部分だけである。 このことから、シキ800B2のナンバープレートを裏返しにするとシキ800Cという表記に変わるようになっている。 シキ800・シキ801は大物車としての通例どおり黒に塗装されているが、シキ810は四国旅客鉄道(JR四国)のコーポレートカラーと同じスカイブルー(青26号)となっていた。 シキ800・シキ801は日本通運所有の、私有貨車である。 シキ800の常備駅は当初梅田駅で、1976年(昭和51年)4月に多気駅に移動した。 シキ801の常備駅は当初新芝浦駅で、1982年(昭和57年)2月に末広町駅に移動し、1985年(昭和60年)1月に小山駅へ移動した。 2009年(平成21年)時点では2両が在籍するが、2017年(平成29年)時点でも存在が確認され、運用中である。 シキ810は東芝物流所有の私有貨車であったが、2006年(平成18年)2月に名義変更され日本通運所有となった。 大物車の中では経年の浅い車両であったが、2009年(平成21年)にシキ801に台車・台枠・まくら枠等の部品が提供され廃車された。 常備駅は末広町駅であった。 ファイル:JRF Shiki810. jpg 青い車体のシキ810(高岳製作所小山工場 2007年) ファイル:JRF Shiki810-TR213F. jpg シキ810のTR213F形台車(2007年) ファイル:JRF Shiki810-2. jpg シキ810と高岳製作所の荷重試験専用車(2007年). 新しい!! 鉄道省が自営の信濃川発電所を建設するに際して資材輸送を行うことを目的として製造したものである。 魚腹形台枠を備えた長物車のような構造である。 全長は11,800 mm(車体長11,000mm)で、車体中央部に長さ4,500 mm、幅2,140 mmの亀甲形の穴が開けられており、ここに貨物を落し込んで積載する構造であった。 落し込み穴の底に着脱可能な横梁が設けられていて、これで積み込んだ貨物の重さを一部負担するようになっていたが、許容荷重が低くてしばしば折損事故を起こした。 横梁の本数は車両によって異なっている。 台車はアーチバー式の2軸ボギー台車TR20形を2基備えており、KD180形のブレーキを備えていた。 低床式の大物車がトレーラーに置き換えられていく中、鉄道輸送の特性に適合した落し込み式大物車は長く利用され続けた。 しかし1986年度(昭和61年度)にシキ80形の最後の2両が廃車となり、形式消滅となった。. 新しい!! 1977年(昭和52年)4月15日に同じく日本車輌製造で分割低床式の梁が追加製造され、荷受梁を交換することで85 トン積み分割低床式大物車としても使用できるようになった。 分割落し込み式の梁がシキ850C、分割低床式の梁がシキ850Dである。 日本通運所有の私有貨車で、日本国有鉄道(国鉄)、後に日本貨物鉄道(JR貨物)に車籍を編入している。 台車は直径800mm車輪を用いたNC-7形のイコライザー式三軸ボギー台車を4台装備し、合計12軸の車両である。 2台の台車の間に枕梁を渡し、枕梁同士の間に荷受梁を渡す構造となっている。 ブレーキは手動積空切り替え式のKSD方式のものを装備している。 シキ1000形と並び、従来形式の大物車が脱線対策などで積車時の運行速度が低く制限されていたことを改善した、高性能大物車となっている。 分割落し込み式のC梁を装備した状態では、車体全長22,650 mmで、落し込み部の搭載寸法は長さ6,800 mm、幅2,700 mmである。 圧延鋼を溶接で組み立てたガーダー構造の荷受梁となっている。 分割落し込み式で、横梁の部分を両端の構造から分離することができるが、取り付けるヒンジは内外に2箇所あり、どちらに横梁を取り付けても115 トンの荷重である。 分割低床式のD梁を装備した状態では、荷重85 トン、車体全長25,550 mmで、低床部の有効長さは6,500 mm、低床部のレール面上高さは630 mmである。 C梁とD梁の交換に際しては、枕枠より下部を共通利用し、荷受梁より上は全て取り替える。 低床部を支える両側の構造は、吊り掛け式大物車のシュナーベルに類似したものとなっており、溶接で組み立てたガーダー構造となっている。 低床部は、取り外したときに貨物を搭載してコロで移動できるように、下面も平坦となるように設計されている。 また左右に2分割されており、それぞれをボルトで固定する構造になっている。 取り付けたとき、中央部に640 mmの隙間が生じる構造である。 また、ジャッキアップする受け座が用意されている。 日本通運所有の私有貨車で、常備駅は末広町駅である。 2009年4月の時点では1両が在籍するが、その後の消息についてはJR貨物からは特に公表されていない。. 新しい!! シキ90、シキ92・93の3両は、日本国有鉄道(国鉄)浜松工場で製造された国鉄所有車両で、シキ91は東京芝浦電気(東芝)が自社で製造した私有貨車であった。 構造としては、第二次世界大戦前に製造されたシキ80形をほぼそのまま引き継いでいる。 魚腹形台枠を備えた長物車のような構造である。 全長は11,800 mm(車体長11,000mm)で、車体中央部に長さ4,800 mm、幅2,140 mmの亀甲形の穴が開けられており、ここに貨物を落し込んで積載する構造であった。 車体の大きさはシキ80形と変わっていないのに、落し込み穴は長さが300 mm延長されているが、これは軸距を短縮して台車中心間距離が長くなったことを利用したものである。 またシキ80形では、落し込み穴の底に設置して貨物を支えるために利用できる横梁の強度が低く折損事故をしばしば起こしていたが、本形式では最初から許容荷重を増やす対策を行っている。 台車はベッテンドルフ式2軸ボギー台車TR41Cを2基備えており、KD180形のブレーキを備えていた。 水圧鉄管などの輸送に用いられていた。 私有貨車のシキ91については、当初は常備駅は新芝浦駅であった。 後に1983年(昭和58年)1月に浅野駅へ移動し、1984年(昭和59年)5月に社名変更により東芝所有となった。 同年12月28日に廃車となった。 国鉄所有の3両についても1985年度(昭和60年度)から翌年度にかけて順次廃車となった。. 新しい!! 全長12,300 mm(車体長11,500mm)、低床面の長さは5,100 mm、低床部のレール面上高さは695 mmで、これはシキ70形とほぼ同じものであった。 低床部に変圧器固定用の装置を備えており、変圧器側の固定穴と連結棒を結ぶことで簡単に固定することができるようになっていた。 台車は、ベッテンドルフ式の2軸ボギー台車TR41Cを装備した。 日立製作所製造・所有の私有貨車であった。 常備駅は常陸多賀駅であった。 1983年(昭和58年)5月16日に廃車となった。. 新しい!! 全長12,300 mm(車体長11,500mm)、低床面の長さは4,800 mmで、これはシキ40形とほぼ同じものであった。 しかし低床部に貨物積載用に穴が開けられており、これがシキ40形と異なる点であった。 側梁が魚腹形で低床部だけ下に折れ曲がっている構造であるが、この部分の床板は全くなく、枕木方向に横梁が4本通されているのみであった。 台車は、当時の標準型であったベッテンドルフ式のTR41Aを2基装備する。 ブレーキ装置は、KD形を前後の台車別に2組装備した。 当初は酒井鉄工所所有の私有貨車であった。 常備駅は湊町駅であった。 黒部川第四発電所向けに水圧鉄管を輸送する目的で製造されたものと考えられており、信濃大町駅まで2週間に1回の割合で輸送を行っていた。 酒井鉄工所の所有した唯一の私有貨車であった。 1963年(昭和38年)に東京芝浦電気(東芝)へ譲渡され、三重工場そばにある朝明信号場常備となった。 以後は鉄板で開口部を塞ぐ形で変圧器などの輸送に用いられた。 1981年(昭和56年)6月11日に廃車となった。. 新しい!! 新しい!! BNSFとは、その前身であるバーリントン・ノーザン・サンタフェ鉄道 英Burlington Northern Santa Fe Railway の略称に由来する。. 新しい!! なお本項では正式な路線名を示す場合をのぞいて、東海道本線のうち大阪駅から京都方面はJR京都線、尼崎駅から三ノ宮方面についてはJR神戸線の愛称で記述する。. 新しい!! 日本石油輸送所有のタンク車で、所有者名と社章が車体に標記されている。 ホキ9500形。 小野田セメント(現:太平洋セメント)所有のホッパ車 私有貨車(しゆうかしゃ)とは、鉄道事業者以外の一般企業等が固有の財産として所有し、車籍のみを各鉄道事業者が編入・管理している貨車のことを指す。 当項目では貨車以外における同種車両も含めて日本における事例を主題として解説している。. 新しい!! 新しい!! 亀山駅 - 新宮駅間は東海旅客鉄道(JR東海)、新宮駅 - 和歌山市駅間は西日本旅客鉄道(JR西日本)の管轄で、JR西日本の区間のうち新宮駅 - 和歌山駅間には「きのくに線」という愛称が付いている - 西日本旅客鉄道。. 新しい!! 対義語は有蓋車である。 旧日本国有鉄道および日本貨物鉄道(JR貨物)の記号はトラック(Truck)の「ト」。. 新しい!! 本稿では、その中でも日本の鉄鋼業の主流である、鉄鉱石から鉄を取り出すところから最終製品の製造までを一つの敷地内で行う(間接製鋼法による)銑鋼一貫製鉄所を取り上げる。 日本における事実上の銑鋼一貫製鉄所は、新日鐵住金7(室蘭・鹿島・君津・和歌山・名古屋・八幡・大分)、JFEスチール4(千葉、京浜、倉敷、福山)、神戸製鋼所1(神戸・加古川)、日新製鋼1(呉)の13か所である(2017年現在)。 日本初の銑鋼一貫製鉄所としては一般的に北九州の官営八幡製鐵所(1901年(明治34年)操業開始)が挙げられるが、操業当初には生産が不安定で、開始の翌年から2年間稼動が停止(1904年まで)されている。 一方、民間では岩手県の釜石鉱山田中製鉄所(1887年(明治20年)創業)が1903年(明治36年)より銑鋼一貫製鉄所となって稼動しているので、こちらの方が時期的に早い。. 新しい!! 赤穂線に属する唯一の貨物駅である。. 新しい!! 新しい!! 日本では、かつて小荷物・郵便物は旅客輸送の対象としていたが、現在ではほとんど廃れたことや運送の形態により、これらが「貨物」として含まれることもある。 自走式電動貨車(貨物電車)については電車を参照。. 新しい!! 車票と略称される。 発駅で作成され、途中駅での貨車の仕分けや着駅での積み荷の引き渡しにあたって参照される。 貨車の両側面には、車票を掲出するための額縁として車票サシが設けられている。 新富士駅) 放射性物質、危険品など、特別な注意を要する貨物を積載する貨車には、その旨を表示するために、車票に加えて貨車表示票が使用される。 貨車の車票サシのそばには、貨車表示票を挿入するための表示票サシが設けられている。 発駅の駅長は、貨物の積み付け、封印などに異常がないことを確認したうえで車票および表示票をそれぞれ車票サシおよび表示票サシに挿入する。 着駅の駅長は、貨物の取り卸しが終わったときに車票および表示票を貨車から取り除く。 車票はコレクションの対象となっており、鉄道会社のイベントで販売されたり、インターネット上のオークションで取引されたりしている。 輸送中の貨車から車票が抜き取られる盗難事件も発生し、問題となっている。 なお、中国語の「車票」は「乘車票」の略称であり、乗車券を意味する。. 新しい!! 現在は不動産関連事業者であるが、社名が示すように元は鉄道事業者および軌道事業者であり、東日本旅客鉄道(JR東日本)鶴見線の前身にあたる鉄道路線などを建設・運営していたが、1943年に戦時買収により国有化された。 鉄道・軌道事業から完全に撤退した後も会社自体はそのまま存続し、社名を変更することなく現在に至っている。. 新しい!! 当初は鶴見臨港鉄道の車籍であったが、同社が1943年(昭和18年)7月1日に戦時買収されたことにより、鉄道省(後に日本国有鉄道)に継承され、シム20形となった。 芝浦製作所(後の東芝)所有の私有貨車であった。 常備駅は新芝浦駅であった。 大物車は通常、大きな荷重を分散させるために多数の車軸を備えているのが一般的であるが、この車両は二軸車という珍しい構造であった。 車軸間で台枠が下部へ低く折り曲げられている低床式で、なおかつ低床部分の中央に穴が開けられており、重量がかさむ貨物ではなく特に背が高い貨物をこの穴の部分に落としこんで輸送することを目的としていた。 主な輸送物品は変流機などの電気製品である。 1977年(昭和52年)4月7日に廃車となった。. 新しい!! この項目では翌1937年(昭和12年)7月に同じく汽車製造東京支店で35トン積み低床式大物車として1両が製作された鶴見臨港鉄道シキ200形貨車、およびシキ100形を補強してシキ200形と同一仕様にした鶴見臨港鉄道シキ300形貨車についても説明する。 いずれも鶴見臨港鉄道の戦時買収により、1944年(昭和19年)2月に国鉄の車籍に編入されてシキ110形となった。 どちらの車両もシキ40形に似た設計で、全長は12,300 mm(車体長11,500mm)、低床部長さは4,800 mm、低床部のレール面上高さは645 mmであった。 台車はアーチバー式の2軸ボギー台車TR20を2基装備し、空気ブレーキはKD180形であった。 国有化時に、シキ200はシキ110、シキ300はシキ111となった。 これにより、実際の製造年次とは逆順の番号を付けられることになった。 東京芝浦製作所(東芝)所有の私有貨車で、常備駅は新芝浦駅であった。 シキ111は1946年(昭和21年)6月に、シキ110は1982年(昭和57年)12月24日にそれぞれ廃車となった。. 新しい!! このため、フェリーで自動車を輸送(車両航送)する場合も広義の車両輸送に含まれる。 しかし、一般には自動車・オートバイ等を輸送専用車で輸送する場合や大型な鉄道車両などを輸送する場合を指す場合が多い。. 新しい!! 日本国有鉄道(国鉄)と日本貨物鉄道(JR貨物)における形式記号は「ク」で、車のクが由来とされる。. 新しい!! 貨物は積載しない。 主に貨物列車の最後尾に連結されていた。 デッキに手ブレーキを持つ。 なお、貨物を積載し、車掌も乗務できる車両は「緩急車(かんきゅうしゃ)」と呼ばれる。 本項では日本の車掌車について解説し、日本国外のものについては緩急車の項でまとめて扱うものとする。. 新しい!! 新しい!! 略称は黒鉄(くろてつ)。. 新しい!! 新しい!! 新しい!! JR東日本の常磐線と、東武鉄道の野田線(愛称「東武アーバンパークライン」)が乗り入れ、接続駅となっている。 JR東日本の駅には、快速線を走る特急・中距離電車および常磐線快速電車と、緩行線を走る常磐線各駅停車が停車する。. 新しい!! 新しい!! 新しい!! 新しい!! 竣工は社名変更前であるが、既に側面幕板部にMATUZAKA ELECTRIC RAILWAY(松阪電気鉄道)とレタリングされている。 出荷のため台車を外し大物車に積載状態。 松阪鉄道デ31形電車(まつざかてつどうデ31がたでんしゃ)は松阪鉄道(松阪電気鉄道への改名を経て三重交通へ合併。 後に鉄道事業は三重電気鉄道へ分社)が自社線(後の三重電気鉄道松阪線)電化の際に新造した荷物合造電車の1形式。 電化から全線廃止まで松阪線の主力電動客車として使用された後、電装を解除されて三重電気鉄道の鉄道事業を継承した近畿日本鉄道(近鉄)にて内部・八王子線で使用された。 本項目では同時期に松阪鉄道が製造した、同系の付随車であるフ21形についても併せて記述する。. 新しい!! 新しい!! 多摩運河を挟んだ対岸の川崎区小島町付近も含める。 末広町駅駅名標. 新しい!! JR東海の駅番号はCF07。. 新しい!! 新しい!! 駅番号はJI 51。. 新しい!! 新しい!! , Ltd. )は、大手物流業者である。 総合物流国内最大手で、災害対策基本法における指定公共機関。 通称は「日通」「NIPPON EXPRESS」など。. 新しい!! 新しい!! 新しい!!

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変圧器を輸送中の吊り掛け式大物車(オーストリア連邦鉄道車籍・私有貨車、32軸)。 2009年5月2日、ドイツ・コブレンツ付近 大物車は車軸数の多さが特徴である(ドイツ鉄道 Uaai 687. 日本国有鉄道における車種記号は「シ」。 長尺貨物を扱う長物車は基本的に床板(台枠)が平板であるのに対し、大物車はそこに収まりきらない外寸(および重量)の貨物を扱うため、後述するような特殊な台枠形状をしている。 また、大重量を支えるために多くの車輪を備えた構造になっているものが多い。 大物車に積載する貨物は「特大貨物」と呼ばれる。 扱う貨物は、主に発電所用の大型変圧器などである。. 107 関係: 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 、 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。 し、シは、日本語の音節のひとつであり、仮名のひとつである。 1モーラを形成する。 五十音図において第3行第2段(さ行い段)に位置する。 清音の他、濁音(じ、ジ)を持つ。. 新しい!! 新しい!! 変成器(へんせいき)、トランスとも呼ぶ。 電圧だけでなく電流も変化する。 交流電圧の変換(変圧)、インピーダンス整合、平衡系-不平衡系の変換に利用する。. 新しい!! 新しい!! 新しい!! 新しい!! 開通当時は地域の足を独占したものの、紀勢東線開通後に松阪駅 - 射和駅間で紀勢東線松阪駅 - 相可駅間(射和駅と相可駅は櫛田川を挟んで近接)と競合したこととモータリゼーションの進行で、三重交通から三重電気鉄道が分離した翌年に、三重電気鉄道が近畿日本鉄道(近鉄)に合併されて同社の路線となる中、松阪線は譲渡される直前に廃止された。 現在は、三重交通の路線バスが蛸路 - 中万 - 射和間を除き、ほぼ廃線跡沿いを運行し、松阪線の松阪駅舎跡には三交百貨店が建てられた。 また、射和・大石の両バス停は駅の名残を残している。. 新しい!! 新しい!! (鈴鹿駅、2007年8月8日) 伊勢線(いせせん)は、三重県四日市市の河原田駅から三重県津市の津駅に至る伊勢鉄道の鉄道路線である。. 新しい!! , Ltd. )は、福島県福島市に本社を置く重電メーカーである。 東芝グループ企業。 希であるが、当社から松川駅を経由し、大物車を介した大型変圧器の鉄道輸送が行われることがある(松川駅も参照)。. 新しい!! Kfz 205 Maus)は、第二次世界大戦中にドイツで試作された超重戦車である。 「マウス」はドイツ語でネズミを意味するシュピールベルガー『特殊戦闘車両』34頁。. 新しい!! Union Pacific Railroad, UP,NYSE:)は、アメリカ合衆国最大規模の鉄道会社。 1862年設立。 本社はネブラスカ州オマハ。 2016年現在の社長、CEOはLance M. Fritz。 ユニオン・パシフィック鉄道の線路網は、アメリカ合衆国の西部から中部の多くをカバーし、シカゴ西部やニューオーリンズにまで達する。 2007年現在、営業範囲は32,205マイル 51,829km におよび、そのうち26,354マイル 42,413km は自社所有である。 この規模はアメリカ国内での展開する鉄道で最大である。 のちサザン・パシフィック鉄道 などの買収によって成し遂げられた。 競合他社の筆頭としてBNSF鉄道があり、ほぼ同一の地域をカバーしている。 ダウ輸送株20種平均の構成銘柄のうち、前身のDow Jones Average時代を含めて、算出開始以降、現在も選出されている唯一の企業である。. 新しい!! 新しい!! 車体の前後に2基ボギー台車を備えているのがわかる。 国鉄TR71形) 日本国有鉄道シキ160形)。 この場合、3-3軸複式ボギーと称する。 ボギー台車(ボギーだいしゃ)とは、車体に対して水平方向に回転可能な装置をもつ台車の総称である。 またボギー台車を装備した車両をボギー車と呼ぶ。. 新しい!! 専門的には、停車場(駅)の外の線路を運転させる目的で組成された車両のことを特に列車と呼び、同じ車両であっても運転させる目的をもたずに留置されているようなものは列車ではなく、単なる車両である。 条件を満たしていれば、車両数に関係なく、1両であっても列車となりうる。. 新しい!! 無負荷時の鉄損が少ないため、近年採用が増えつつある。 従来の珪素鋼板を使用する変圧器と比較して損失は少ないものの、大きく、重く、騒音がやや大きいという欠点も併せ持つ。. 新しい!! なお「カール」の名は本砲の開発に携わったカール・ベッカー将軍に因む。 試作車も含め計7輛が製造された。 なお、兵器としての名称は「カール」であるが、製造された車両にはそれぞれ固有の名がつけられている。. 新しい!! 新しい!! 新しい!! 日本板硝子所有の私有貨車であった。. 新しい!! 車籍は日本国有鉄道(国鉄)に編入された。 当初は大物車(シ300形)として計画されていたが、製造直前の1965年(昭和40年)12月1日に称号規程が改正され、これにより新設された車運車として落成した。. 新しい!! この項目では、ク5000形の試作車であるク9000形と、同時期に開発されたク9100形についても述べる。. 新しい!! 大正期には明治44年称号規程でホシウ70形に分類されていたが、ホシウ70形の18両のうち、車体長と搭載荷重により昭和3年称号規程で区分した2両(ホシウ83・ホシウ84)が本形式(シ10・シ11)に区分された。 同じホシウ70形から区分されたシ1形と同様に、鉄道車両メーカーが納入先へ鉄道車両を輸送するために製造したものである。 低床式であるが、この低床部分は搭載する鉄道車両の床下機器などを避けるために設けられているもので、この部分に荷重を掛けることはできないものであった。 シ1形に比べて約1 フィート全長が長く、全長15,916 mm(車体長15,240mm)であった。 このためにシ1形と区分されたと考えられている。 構造は類似しており、補強のためのトラス棒を備えており、車体は鋲接で組み立てられていた。 同様に当初は側ブレーキのみであり、昭和30年代になって空気ブレーキを装備した。 製造と所有は田中車輌で、片町駅を常備駅としていた。 後に改称により近畿車輛の所有となり、徳庵駅常備となった。 1976年(昭和51年)4月19日に、2両とも廃車となった。. 新しい!! 大正期には明治44年称号規程のホシウ70形に分類されていたが、同形式の18両のうち、車体長と搭載荷重により昭和3年称号規程で区分した6両が本形式とされた。 また、同称号規程制定後に3両が新造されている。 新しい!! 車籍は日本国有鉄道(国鉄)に編入された。 製造当初は大物車に類別されたが、1965年(昭和40年)12月の称号規程改正により車運車に類別変更され、クム1000形(クム1000)に改称された。. 新しい!! 大正期には明治44年称号規程によりホシウ70形に分類されていたが、ホシウ70形の18両のうち、15トン積みの10両が昭和3年称号規程でシム1形となった。 また、昭和3年称号規程に改正後に24両が新造されている。 新しい!! 車籍は、日本国有鉄道(国鉄)に編入された。 製造当初は、大物車に類別されていたが、1965年(昭和40年)12月1日の称号規程改正により新設された車運車に類別変更のうえ、クム2000形(クム2000 - クム2029)に改称された。. 新しい!! 車籍は、日本国有鉄道(国鉄)に編入されていた。 製造当初は大物車に類別されたが、同年12月の称号規程改正により車運車に類別変更のうえ、クム3000形(クム3000 - クム3009)と改称された。. 新しい!! 新しい!! 製造当初は日本で最大の荷重を持つ貨車であった。 また、第二次世界大戦後に吊り掛け式の梁を製作して使用されたこともある。 車体全長は25,200 mmで、低床部の長さは5,000 mm、低床部のレール面上高さは788 mmであった。 台車は、2軸ボギー台車を外側に、3軸ボギー台車を内側に備えた2-3-3-2複式ボギーで、合計4台車10軸であった。 車体は鋲接で組み立てられていた。 空気ブレーキはKD203形を装備していた。 大戦後に補強工事を受けて、荷重90 トンまで使えるようになった。 また、1954年(昭和29年)3月に富士電機が変圧器の輸送用に本形式の枕枠までを利用して、低床式の荷受梁の代わりに装備する吊り掛け式の梁を日本車輌製造で製造した。 この梁を装備すると、95トン積み吊り掛け式大物車となった。 吊り掛け式の梁はトラス構造になったものであった。 富士電機ではこの梁による輸送の成果を受けて、1955年(昭和30年)にシキ160形を製作して本格的に吊り掛け式による輸送を開始した。 本形式は、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に際して、JR貨物に車籍が承継されたが、1994年度(平成6年)6月に廃車となった。. 新しい!! 全長は17,130 mmで、低床部の長さが5,700 mmとかなり長く、また低床部のレール面上の高さも500 mmと低床式大物車の中でも格段に低い位置にある。 これによって高い使い勝手を確保していた。 しかしこれにより自重が31. 5 トンと重くなり、板台枠式の3軸ボギー台車2基を装備することになっている。 車体は溶接構造で組み立てられており、空気ブレーキはKD254形である。 三菱電機所有の私有貨車で、常備駅は塚口駅であった。 1986年(昭和61年)11月29日に2両とも廃車となった。. 新しい!! 三菱電機所有の私有貨車。 後に1953年(昭和28年)と1958年(昭和33年)に一つずつ吊り掛け式の、1959年(昭和34年)に分割落し込み式の梁が追加で製造されて、これらの方式での輸送もできるようになった。 日本の大物車の中でA梁、B梁、C梁の3種類の梁を装備できる車は本車及びシキ290(シキ290形)の2車のみである。 低床式の梁を装備しているときは全長29,200 mmで、低床部の長さは5,500 mm、レール面上高さは660 mmであった。 低床部の長さと低さにより高い使い勝手を確保していた。 台車は3軸ボギー台車を4台装備しており、台車2台の上に枕枠を装備して、その上に荷受梁を載せていた。 枕枠より上の荷受梁を交換することによって、以下の各種方式に対応するようになっている。 空気ブレーキはKD254形であった。 1953年(昭和28年)に製作された吊り掛け式の梁を装備すると100 トン積み吊り掛け式となった。 この当時はまだ複数の梁形式を区別するためにアルファベット記号を与えていなかったので、シキ120Bという形式となっていない。 荷受梁はトラス構造である。 日本で初めての吊り掛け式輸送として、三菱電機長崎製作所からの発電機固定子輸送に用いられた。 その後この梁がどうなったかは不明である。 1958年(昭和33年)に製作された吊り掛け式の梁を装備すると110 トン積み吊り掛け式となった。 この梁の記号はシキ120Bとされている。 空車時の死重22 トンを含めて自重は68 トンで、また空車時全長は24,000 mmであった。 分割落し込み式としては115トン積みで、シキ120Cと称している。 この梁を装備したときの全長は28,850 mmであった。 側梁の上部に搭載する変圧器の荷重を掛ける仕組みになっていた。 空車回送時は11トンの死重を搭載する仕組みであったが、後に改造を受けて一定荷重以下の積車時にも死重を搭載できるようになった。 製造当初は国鉄所有の貨車を上回って日本の貨車で最大荷重であった。 常備駅は塚口駅であった。 1986年(昭和61年)11月29日に廃車となった。. 新しい!! 東京芝浦電気(東芝)所有の私有貨車で、日本国有鉄道(国鉄)に車籍を編入していた。 日本で初めて荷重が100 トンに到達した貨車である。 また、分割落し込み式としても最初の車両である。 落し込み式では、横梁の間の空間に上方から貨物を落し込んで抱え込むようにして搭載を行うが、このために貨物を一旦上まで持ち上げる必要があった。 分割落し込み式では、横梁を前後の車体から分割して取り外せるようになっており、貨物を横移動するだけで搭載位置へ移動させることができるようになっている。 車体長は28,750 mmで、荷受梁はトラス構造で溶接と鋲接を組み合わせて組み立てられていた。 台車は板台枠式の3軸ボギー台車を2基ずつ前後に振り分けた3-3-3-3軸複式ボギー(12軸)で、2基の台車の間に枕枠を渡し、その上に荷受梁を載せている構成であった。 ブレーキはKD254形を備えていた。 常備駅は当初新芝浦駅で、1983年(昭和58年)1月に貨物駅集約の関係で浅野駅へ移動した。 同年11月11日に東芝物流所有に変更となり、1985年(昭和60年)6月4日に廃車となった。. 新しい!! 日立製作所所有の私有貨車で、当初の常備駅は日立駅、1965年(昭和40年)11月から常陸多賀駅となった。 1959年(昭和34年)2月に追加で低床式の梁が製作され、135トン積み低床式大物車としても使えるようになった。 吊り掛け式の梁はシキ140Bと称し、日立では最初の吊り掛け式であった。 四軸ボギー台車を合計4台備えた、4台車16軸の車両で、2つの台車に跨るように枕枠を載せて、その上に荷受梁が載せられていた。 荷受梁は、低床式の荷受梁の設計を受け継いだもので、縦に4本のプレート上の梁が入った構造であった。 この設計は後の吊り掛け式大物車には受け継がれず、他社製造の吊り掛け式大物車のようにトラス構造に移行している。 空車時の全長は26,500 mmで、貨物の最大長さは8 mとされていた。 低床式の梁はシキ140Aと称し、全長34,000 mm、低床部の長さは5,400 mm、低床部のレール面上高さは900 mmであった。 吊り掛け式とは、枕枠より下部を共用し、荷受梁だけを交換して使用できるようになっていた。 1958年(昭和33年)にシキ280形に脱線事故が発生し、その対策として1960年(昭和35年)に改造を受けて、台車の心皿をかさ上げするなどした。 これにより低床部高さは925 mmに上昇している。 1984年(昭和59年)1月31日に廃車となった。. 新しい!! 番号はシキ150 - シキ152と振られていた。 私有貨車で、鉄道省、後に日本国有鉄道(国鉄)に車籍を編入していた。 第二次世界大戦に際して、石油の不足を補うために石炭を液化して人造石油を製造することが計画され、北海道の滝川に北海道人造石油が設立され、工場が建設された。 本形式は、人造石油生産に必要とされる合成炉をメーカーから人造石油工場まで輸送するために製造された。 合成炉の生産は三井造船玉野事業所で行われており、宇野駅から滝川駅まで多数の合成炉の輸送が行われていた。 車体は全長17,120 mmで、台車はアーチバー式の2軸ボギー台車TR20を4台備えた合計8軸の構成であった。 2台の台車の間に枕枠を渡し、その上に魚腹形の荷受梁を載せた、2-2-2-2軸複式ボギーである。 積荷の合成炉は円筒状で、直径2,780 mm、長さ7,065 mmあり、これを横倒しにして荷受梁の落し込み部に搭載していた。 ブレーキはKD203形であった。 所有は北海道人造石油で、常備駅は滝川駅であった。 1949年(昭和24年)3月に日本人造石油、同年9月に滝川化学工業、1952年(昭和27年)6月に運輸機材と所有者が変化した。 またこの頃タンク車に改造する計画が立てられ、実際にシキ151はタキ300形のタキ1305・タキ1306となった。 しかし他の2両の改造は中止となり、1954年(昭和29年)1月30日に所有者の造機車輌への社名変更の後、1957年度(昭和32年度)に国鉄に買い上げられて国鉄貨車となった。 1972年度(昭和47年度)に廃車となった。. 新しい!! 同社所有の私有貨車であった。 全長は18,600 mm(車体長17,800mm)で、低床部の長さは7,000 mm、レール面上高さは690 mmであった。 低床部とレール面のクリアランスが小さすぎるために、操車場のハンプ通過は積車空車にかかわらず禁止されていた。 台車はボールドウィンタイプの釣合梁式3軸ボギー台車2基を装備していた。 常備駅は日立駅で、変圧器の輸送などに用いられていた。 本車の構造は国鉄基本のものと異なるため一般検査、局部検査、甲修繕及び乙修繕は国鉄職員立ち会いのもと日立製作所の工場で行なわれた。 車体塗色は黒で、1968年(昭和43年)10月1日ダイヤ改正以前の1965年(昭和40年)3月に廃車となったため、黄1号の帯を巻かれる事はなかった。. 新しい!! 富士電機(後に日本AEパワーシステムズ)所有の私有貨車で、当初は日本国有鉄道、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化後は日本貨物鉄道に車籍編入されていた。. 新しい!! 東芝所有の私有貨車で、当初の常備駅は新芝浦駅であった。 吊り掛け式の梁はシキ170Bと称し、製作当初は日本で最大の荷重を持つ貨車であった。 四軸ボギー台車を合計4台備えた、4台車16軸の車両で、2つの台車に跨るように枕枠を載せて、その上に荷受梁が載せられていた。 荷受梁はトラス構造を形成しており、上から見ると貨物側が広く車端側がすぼまった形をしている。 空車時の車体長は27,600 mmで、貨物の最大長さは8 mとされていた。 連結器は両端の台車に接続されているが、車体長1 mあたりの軸重制限の対策で、車体から1 m以上はみ出して設置されているという珍しい形態であった。 低床式の梁は2つあり、先に製作されたものは当初シキ170Aと称していたが、もう1つの低床式梁が製作されたことに伴い先に製作されたものをシキ170A1と改称した。 シキ170A1は135トン積みで、枕枠より下を共用して荷受梁を交換することで使用した。 車体の全長は35,000 mmで、低床部の長さは5,500 mm、低床部のレール面上高さは1,050 mmとやや高いものであった。 後に製作されたシキ170A2は70トン積み低床式で、枕枠と内側の台車2台は使用せず、車端側の台車2台の上に直接低床式の梁を載せる構造であった。 全長は21,500 mm、低床部長さは6,000 mm、レール面上高さは750 mmであった。 日本の中型大物車として唯一の四軸ボギー台車採用車であるが、蛇行動を起こしやすい欠点があったとされる。 これでは実用にならないことから、両端台車に死重を搭載し連結器の張り出しを緩和するなどの対策工事を実施した。 さらに1961年(昭和36年)12月に脱線対策の再改造が行われて、張り出し部分は完全に撤去された。 1977年(昭和52年)10月には、保守困難となった中空式の車軸を廃して12トン短軸と860 mm径車輪に交換する工事が行われ、これに伴う自重増により荷重がA1・A2・B梁とも10トンずつ減少した。 1981年(昭和56年)11月に神奈川臨海鉄道末広町駅に常備駅が変更され、さらに1983年(昭和58年)11月11日に所有者が東芝物流に変更となった。 1987年(昭和62年)3月にシキ170A1・シキ170A2の低床式の梁が2つとも廃車された。 残ったシキ170Bも、老朽化によりシキ800形のシキ810に置き換えられて、2003年(平成15年)に廃車となった。. 新しい!! 1957年(昭和32年)に同じシキ180という名前の47トン積み平床式大物車が製作されているが、全くの別車両である。. 新しい!! アメリカ陸軍輸送隊所有の私有貨車で、車籍は日本国有鉄道に編入された。 1965年(昭和40年)に同じシキ180という同形式番号の80トン積み低床式大物車が製作されているが、全くの別車両である。 在日米軍の戦車を輸送するために製造された。 重量が大きい戦車は、それまでシキ60形にしか搭載できず積車時の最高速度が制限されたことから、本形式が開発された。 外見上は魚腹式台枠を備えた長物車である。 車体長は15,700 mmで、戦車搭載時の軸重制限の問題から三軸ボギー台車を備えていた。 番号はシキ180・シキ181で、軍番号は800054・800055であった。 常備駅は赤羽駅であった。 製造2年後の1959年(昭和34年)6月に日本国有鉄道からは除籍されたが、その後韓国へ移動したものとされている。. 新しい!! 日立製作所所有の私有貨車で、当初は日本国有鉄道(国鉄)、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化後は日本貨物鉄道(JR貨物)に車籍を編入していた。 全長は19,860 mm、落し込み部の寸法は長さ6,800 mm、幅2,250 mmである。 台車は、ベッテンドルフ式の2軸ボギー台車C-1形を合計4台備えた8軸車である。 2台の台車の上に枕枠を渡し、その上に荷受梁を載せる構造は一般的な4台車の大物車の構成どおりであるが、この形式では枕枠が中梁のみで構成されており、両側に広がっていないというのが特徴である。 このことから、台車の雨除けの板が取り付けられていた。 荷受梁はガーダー構造で構成されていた。 当初の設計では第一種縮小車両限界を採用していたが、電車区間の高いプラットホームに荷受梁が抵触することを避けるために、特殊な輸送のとき以外は心皿部分に追加の部材を挿入して200 mm高くできるようにした。 これに伴う自重増加により、荷重が2 トン減少したことから、73 トン積みという半端な荷重になっている。 ブレーキはKD254形を装備している。 常備駅は常陸多賀駅であったが、貨物駅集約の関係で1984年(昭和59年)2月から1988年(昭和63年)1月の間は日立駅常備となっていた。 国鉄分割民営化後もJR貨物に車籍を承継されたが、1990年(平成2年)1月31日に廃車となった。. 新しい!! 1981年(昭和56年)に低床式の梁を新製して、55 トン積み低床式大物車としても使用できるようになった。 車籍は当初日本国有鉄道で、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に際しては、日本貨物鉄道(JR貨物)に継承された。 落し込み式梁は、低床式梁の製作以後はシキ195Cと称されている。 このときは全長20,020 mmで、貨物を搭載する落し込み部は幅2,423 mm、前後方向はピン間で6,600 mmである。 分割落し込み式であり、貨物を搭載する中間梁は吊り掛け梁から取り外すことができるようになっている。 吊り掛け梁はガーダー構造、中間梁はトラス構造である。 台車はベッテンドルフ式2軸ボギー台車NC-3A形で、これを2台組み合わせたものに枕枠を載せて、それに荷受梁を載せる、全部で4台車8軸の構成であった。 空気ブレーキはA制御弁を用いる積空切り替え可能なASD180-254形であった。 低床式梁は、1981年(昭和56年)3月17日に日本車輌製造で新規製作した梁を、従来の落し込み式梁の枕枠以下に組み合わせたもので、シキ195Aと称している。 このときの全長は22,120 mmで、低床部の長さは6,000 mm、レール面上高さは660 mmである。 東京芝浦電気(1984年(昭和59年)から東芝)の所有する私有貨車であった。 常備駅は当初新芝浦駅で、その後浅野駅を経て安善駅へ移動したが、これは貨物駅の統廃合に伴うもので、実際の留置場所は変化していなかった。 2001年(平成13年)1月にA梁・C梁ともに廃車となった。. 新しい!! 同じ形式・番号のシキ1形がこれ以前に存在していたが、全く異なる車両で関係はない。 私有貨車で、日本国有鉄道(国鉄)に車籍を編入していた。. 新しい!! 当初は明治44年称号規程での無蓋車材木車兼用のオトチ6490形のオトチ6490 - オトチ6493で、1915年(大正4年)4月に重量品運搬車のオシウ35形に形式変更され、オシウ35 - オシウ38となった。 さらに1928年(昭和3年)に称号規定改正により、シキ1 - シキ4となった。 なお、シキ1については、後にフレキシバン輸送用の車両で同じ形式・番号を付けた国鉄シキ1形貨車 2代 が存在するが、全く異なる車両である。 全長6,001 mm(車体長5,442mm)と短い車体ながらボギー車で、菱枠台車(後にTR15形となる)を装備していた。 この台車の中心間距離は2,819 mmと非常に短いものであった。 主に橋桁などの重量物を2両のシキ1形の間に渡しかけて搭載する形で輸送するためのもので、曲線走行時の位置変化を吸収するための回転枕木を車体中央に備えていた。 また単独で使用する際は回転枕木を除去した状態で貨物を固定して使用していた。 1932年(昭和7年)に4両とも廃車となった。. 新しい!! 初代と2代のシキ200形が存在するが、類似しており同じ項目で説明する。 日本鋼管では、浅野駅のそばに鶴見製鉄所を、浜川崎駅のそばに川崎製鉄所を運営していた。 鶴見製鉄所には高炉がなく、その平炉で使用する銑鉄は川崎製鉄所の高炉で生産したものを利用していた。 艀や自動車で冷えた状態の銑鉄(冷銑)を輸送していたが、1949年(昭和24年)に重油節約の目的で高炉から出した溶けた状態のままの溶銑の輸送に切り替えることになり、構内で溶銑輸送に用いられていた混銑車を国鉄の車籍に編入して鶴見線での輸送に用いることになった。 初代のシキ200形は、1949年(昭和24年)10月-11月にシキ200 - シキ204の5両、さらに1951年(昭和26年)6月にシキ205・シキ206の2両の合計7両が国鉄の車籍に編入された。 しかし同年12月10日に7両すべてが一旦車籍から外れた。 また初代は浅野造船所(1940年(昭和15年)に日本鋼管と合併)製である 2代のシキ200形は1953年(昭和28年)2月6日にシキ200 - シキ205の6両が車籍編入された。 さらにその後1964年(昭和39年)11月30日に、損耗したシキ200・シキ204の補充としてシキ206・シキ207が日本車輌製造支店で製造された。 1964年に追加製造された2両は形態が異なっているが、それ以外の初代と2代の車両の形態は同じである。 初代と2代の番号の対照は不明である。 1964年製の2両以外は、全長は6,200 mmで自重は約14 トン、荷重は35 トンの車両である。 1964年製の2両は全長は6,900 mmで、溶銑の搭載量を20 トン以下に限定する確認書を提出することで、荷重30 トンに改定された。 また、この2両は国鉄除籍後に構内輸送で75 トン混銑車として使用することができる設計となっている。 どちらも二軸台車を2台備えたボギー車で、車体中央部に低床部を備えており、ここに溶銑を入れた取鍋を搭載する。 取鍋の回転軸を支える受け台が車体側に取り付けられており、ここに取鍋をクレーンで脱着していた。 構内輸送では通常は蓋をせずに輸送しているが、鶴見線での輸送時には必ず蓋をしていた。 ブレーキは、1964年製の2両はKD254形空気ブレーキを装備していたが、それ以外は空気ブレーキの配管があるだけでブレーキシリンダーを搭載しておらず、この車両に対して制動力を作用させることはできなかった。 溶銑を入れる取鍋は鋼板で製作された巨大なバケツのような構造物で、容積は4. 5 立方メートル、自重6. 2 トンでこれに保温材として石綿(アスベスト)や耐火煉瓦などが合計6. 8 トン巻かれており、合わせて13 トンであった。 1,400 度の溶銑を最大23. 5 トン搭載する。 取鍋自体も鉄道の貨物としては荷重に含めて考えられるので、本形式の荷重は35 トン(1964年製の2両は30 トン)とされている。 1950年(昭和25年)1月までは2両編成、以降は3両編成で運転され、軸重の関係上前後に冷銑を搭載した無蓋車を連結していた。 1955年(昭和30年)8月からは昼間輸送が開始され、浜川崎12時28分発、浅野12時54分着のダイヤで運転されていた。 2代のシキ200・シキ204は1965年(昭和40年)3月15日に廃車となった。 これを代替したシキ206・シキ207も同年12月11日には除籍されて、当初の予定通り構内輸送用に転用されたものとされている。 それ以外の4両は、1973年(昭和48年)頃まで在籍していたが、あまり使用されずに保管されており、高炉の休止時など必要なときだけ運行されていた。. 新しい!! 神戸製鋼所所有の私有貨車で、鉄道省(後に日本国有鉄道)に車籍編入された。 神戸製鋼所が製造している海軍の潜水艦用ディーゼルエンジンを、造船を担当している川崎造船所まで輸送するために製造された。 外形は魚腹形台枠を備えた長物車のような構造である。 全長は14,860 mm(車体長14,000mm)で、車体中央部に穴が開けられており、ここに貨物を落し込んで積載する構造であった。 台車は釣合梁式の三軸ボギー台車を2基備えており、KD254形のブレーキを備えていた。 また、特認を得て660 mmの小径車輪を使用していたことが大きな特徴で、これにより台枠の高さを959 mmと低く抑えていた。 特認の関係上、小野浜駅 - 神戸港駅間に運用が限定されていた。 常備駅は当初小野浜駅で、神戸港駅を経て高砂駅へ移動した。 1961年(昭和36年)10月19日に廃車となった。. 新しい!! 東京芝浦電気(東芝)所有の私有貨車で、日本国有鉄道(国鉄)に車籍編入された。 東芝が製造した大型の変流器や変圧器を輸送するために用いられた。 魚腹形台枠を備えた長物車のような構造である。 全長は18,480 mm(車体長17,600mm)で、車体中央部に長さ約8,000mm、幅2,160 mmの穴が開けられており、ここに貨物を落し込んで積載する構造であった。 台車はベッテンドルフ式の3軸ボギー台車であるTR92を2基備えており、ASD254-356形の手動積空切り替え式ブレーキを備えていた。 1961年(昭和36年)に信越本線を走行中に、車両限界抵触が原因の接触事故を起こした。 この対策として同年改造が行われ、台枠の側梁下部が切り詰められて、それに伴う剛性低下を補う補強が行われた。 常備駅は当初新芝浦駅で、社名変更により1984年(昭和59年)5月に東芝所有となった。 貨物駅集約の関係で名目上常備駅が浅野駅を経て安善駅へ移動したが、実際の留置場所は変更されていなかった。 2002年(平成14年)12月に廃車となった。. 新しい!! 1960年(昭和35年)に追加の梁が製作されて、この梁を用いると165 トン積み吊り掛け式大物車となった。 シキ280形は変圧器のような特大貨物を輸送するために製造された貨車である。 シキ160形の増備車として製作したもので、搭載方法は同じく吊掛式(シュナーベル式)である。 走行性に難のある多軸台車を使用した走り装置をやめて、2軸の日車NC-3形ボギー台車を2つ備えた台車上枠を2つ備えた枕枠になった。 つまり、全部で8つの台車を備えた16軸車である。 貨物を搭載しない状態では、車体長25,796 mm(改造後25,876mm)であった。 荷受梁はトラス構造で鋲接と溶接を併用して組み立てられている。 空気ブレーキは手動で積空変更を行う仕組みのKD203形であった。 初めての輸送についた帰りに、1958年(昭和33年)3月18日に東海道本線の蒲郡 - 幸田間で脱線事故を起こした。 これでは実用的な運用が困難であるため、本格的な対策として心皿の改造と死重の搭載が行われた。 同様の対策は同じ時期に吊り掛け式大物車全般に対して行われた。 このときの死重搭載により、荷重は125 トン積みに変更された。 1960年(昭和35年)7月13日に、同じく日本車輌製造支店で新しい荷受梁を製作して、165 トン積み吊り掛け式としても使えるようになった。 このときに、新しく製作した165 トン積みの梁をシキ280B1、元からの135 トン(改造後125 トン)積みの梁をシキ280B2と、製造順と逆順の番号が振られている。 空車時の車体長は26,000 mmである。 荷受梁はやはりトラス構造となっている。 富士電機所有の私有貨車であった。 製造当初は安善駅常備で、富士電機製造川崎工場で製造された変圧器を各地へ輸送していたが、1962年(昭和37年)の千葉工場の開設と1963年(昭和38年)の京葉臨海鉄道の開業を受けて京葉市原駅常備に変更され、千葉工場からの出荷を担当するようになった。 2001年(平成13年)に日本AEパワーシステムズの発足に伴って同社の所有となった。 2005年(平成17年)に全検切れとなり除籍された後も、試験用という形で工場内で保管されている。 2012年(平成24年)8月18日、千葉貨物駅までシキ600と共に回送され、翌8月19日には千葉貨物駅で行われた京葉臨海鉄道50周年記念イベントで展示公開された。 イベント終了後は、当日中に2両とも返却された。. 新しい!! 先に製作されたシキ290の方は梁の交換により80 トン積み低床式、115 トン積み分割落し込み式、165 トン積み吊り掛け式のいずれかとして使用することができた。 日本の大物車の中でA梁、B梁、C梁の3種類の梁を装備できる車は本車(シキ290)及びシキ120(シキ120形)の2車のみである。 後に製作されたシキ291の方は、分割落し込み式のみで使用された。 車籍は当初日本国有鉄道で、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に際しては、日本貨物鉄道(JR貨物)に継承された。 低床式梁はシキ290Aと称している。 車体長は32,650 mm(改造後32,520mm)で、低床部の長さは5,000 mm、低床部のレール面上高さは780 mmである。 車体は溶接構造である。 台車はベッテンドルフ式2軸ボギー台車NC-3B形を8台備えた、2-2-2-2-2-2-2-2軸複式ボギー(合計16軸)である。 2軸台車8台の構成は、日本の低床式大物車では唯一のものである。 空気ブレーキは手動で積空切り替えを行うASD方式のものであった。 連結器は台車上枠に装備されている。 枕枠より下部の走行部分は落し込み式と共用しているが、荷受枠を枕枠に載せる心皿は2箇所あり、曲線での偏倚量減少のために低床式のときは中央側の心皿を使用していた。 落し込み式梁は、1960年製作のものはシキ290Cと称している。 また1964年製作のものは、A梁・B梁がないため単にシキ291と称している。 荷受梁はトラス構造で構成されており、貨物の搭載部は全長約7,000 mm、幅2,262 mmである。 シキ290の荷受梁は溶接と鋲接を組み合わせて組み立てているが、シキ291は全溶接構造である。 シキ291では枕枠の構造が改良されており、シキ290Cは全長33,350 mm、シキ291は全長33,220 mmと少し全長が異なっていた。 吊り掛け式梁はシキ290Bと称している、A梁・C梁に遅れて1970年(昭和45年)9月に追加で製造された。 吊り掛け式の荷受梁もトラス構造で、空車時の車体長は26,030 mmであった。 またこのときに枕枠をシキ291類似のものに交換し、台車上枠の改造をしている。 シキ290は明電舎、シキ291は高岳製作所所有の私有貨車であった。 シキ290の当初の常備駅は大崎駅であったが、1961年(昭和36年)4月に工場移転により沼津駅へ移動した。 シキ291の常備駅は小山駅であった。 シキ290Aは1980年(昭和55年)4月に、シキ290B・シキ290Cは2003年(平成15年)2月に廃車となり解体された。 シキ291は2004年(平成16年)4月に廃車となった。. 新しい!! 175 トン積み低床式または210 トン積み吊り掛け式として使用することができた。 車籍は当初日本国有鉄道で、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に際しては、日本貨物鉄道(JR貨物)に継承された。 低床式梁はシキ300Aと称している。 175 トンの荷重は、日本の低床式大物車としては史上最大のものである。 全長の37,700 mm、自重の101 トンも日本の貨車史上最大であった。 車端側に四軸ボギー台車を、車両中央側に六軸ボギー台車を備えた、全部で4台車20軸構成の車両であった。 この六軸ボギー台車は日本唯一のもので、第2軸・第5軸以外の車軸が横移動できるようになっており、また第1軸・第6軸は特殊な踏面形状を採用していた。 また軸距の短縮に特に注意が払われている。 空気ブレーキは積空手動切り替え式のKD203形を装備している。 吊り掛け式梁はシキ300Bと称している。 空車時の全長は27,300 mmであった。 荷受梁はトラス構造で溶接組み立てであった。 シキ300は日立製作所所有の私有貨車であった。 常備駅は当初日立駅で、1965年(昭和40年)11月から常陸多賀駅となり、さらに1984年(昭和59年)2月に日立駅、1988年(昭和63年)11月に常陸多賀駅と2回行き来している。 1992年(平成4年)11月にA梁・B梁とも同時に廃車となった。. 新しい!! 当初は明治44年称号規程でのオシウ50形であったが、1928年(昭和3年)の称号規定改正によりシキ30形のシキ30 - シキ32となった。 全長は11,876 mm(車体長11,200mm)で、低床部の長さは3,960 mm、レール面上高さは802 mmであった。 低床部の幅を広くする設計を採ったが、このために低い部分での車両限界を支障しないように低床部が高くなってしまった。 これはかえってこの車両の使い勝手を落とすことになってしまった。 当初は手ブレーキのみ装備しており、後に改造で空気ブレーキを装備した。 台車はTR16形ボギー台車を装備していた。 1964年(昭和39年)度から1968年(昭和43年)度にかけて、順次廃車となった。. 新しい!! 車籍は日本国有鉄道であった。 低床式の梁は、溶接構造で組み立てられている。 全長は26,000 mm、低床部の長さは5,500 mm、低床部のレール面上高さは780 mmである。 荷受梁は枕枠の上部側でも心皿より外側まで伸ばされており、柵を立てて長尺ものの貨物を輸送できるようになっている。 台車は、二軸台車を車端側に、三軸台車を車体中央側に備えた合計4台車10軸の構成である。 空気ブレーキはKD254形であった。 シキ310は三菱造船所有の私有貨車で、1964年(昭和39年)の合併で三菱重工業となった。 常備駅は下祇園駅であった。 1975年(昭和50年)7月28日に日本通運に売却されて沼津駅へ移動し、さらに1977年(昭和52年)3月に西浜信号場へ移動した。 1987年(昭和62年)1月12日に廃車となった。. 新しい!! 番号はシキ35・シキ36であった。 同社所有の私有貨車であった。 全長は14,300 mm(車体長13,500mm)で、外見は長物車のような構造であるが、2両を連結してその間に渡しかけるように長い貨物を搭載することを目的としており、車体上に曲線走行時の変位を吸収できるようにするための回転枕木を装備していた。 この回転枕木は心皿の装備位置が二箇所あって、うち一箇所のときに荷重が35 トン、もう一箇所のときは20 トンであった。 2両つないで使用することを想定しているが、1両単位でも使用できた。 台車はベッテンドルフ式2軸ボギー台車TR41Cで、ブレーキはKD254形を装備していた。 主に化学プラントなどの長い貨物を輸送していた。 1965年(昭和40年)2月24日に会社の合併で所有者が三菱重工業となった。 常備駅は終始糸崎駅であった。 1984年(昭和59年)1月31日に2両とも廃車となった。. 新しい!! シキ370形は変圧器などの特大貨物を輸送するために製造された貨車で、搭載方法は吊り掛け式(シュナーベル式)である。 シキ280形と同様の構造を採用しており、ベッテンドルフ式の2軸ボギー台車日車NC-3形を2つ備えた台車上枠を2つ備えた枕枠になっている。 全部で8つの台車を備えた16軸車である。 貨物を搭載しない状態では、全長26,030 mmであった。 荷受梁はトラス構造となっている。 空気ブレーキは手動で積空変更を行う仕組みで、A弁とUC形シリンダー2台を組み合わせたものになっている。 シキ280形では、初回の輸送時に発生した脱線事故の対策として改造が行われているが、シキ370形では当初から対策を織り込んで製造されている。 また、シキ280形と同様の走り装置を使いながら、最大荷重を5 トン大きくできているのは、荷受梁の交換を想定せずに設計したために枕枠設計を最適化できているからである。 明電舎所有の私有貨車であった。 常備駅は終始沼津駅で、JR貨物へも承継されたが、2003年(平成15年)2月に廃車となり、同じく沼津駅常備であったシキ290とともに解体された。. 新しい!! 当初から2つの吊り掛け式梁を持っており、240トン積みのものがシキ400B1、170トン積みのものがシキ400B2である。 B1梁・B2梁ともに、それまでの吊り掛け式大物車の荷受梁で多く採用されていたトラス構造ではなく、ガーダー構造を採用している。 これは、その後の日本の大型吊り掛け式大物車でも踏襲された。 B1梁では空車時全長33,860mm、貨物の最大長さは8. 5m、空車自重107トン(うち回送用死重23トン)である。 B2梁では空車時全長24,096mm、貨物の最大長さは8m、空車自重90トン(うち回送用死重42トン)である。 台車は4軸ボギー台車を備えている。 この台車は、ブニョー Beugniot 式という左右動を許した可動軸受を採用しており、多くの鉄道車両の車軸は軸受が車輪より外側になっているのに対して、車輪の内側に軸受を備えているというものである。 これにより、車軸に妨げられずに車輪が多数並んで見える独特の外観となった。 これは、多軸台車のカーブ通過時の横方向の圧力を軽減するために考えられた構造であったが、軸焼けが多発する原因となった。 B1梁を装備するときは、2つの4軸台車の上に台車上枠を載せて、これともう1つの4軸台車の間に枕枠を載せて、その上に荷受梁を載せる構造になっていた。 片側に3つの4軸台車合計12軸で、全部で6台車24軸の構成である。 これに対してB2梁のときは枕枠と片側1つずつの台車を取り外して、台車上枠の上に直接荷受梁を載せる、合計4台車16軸の構成となった。 空気ブレーキは手動積空切り替え式で、K弁とUC形シリンダーを組み合わせていた。 軸焼け対策のために数回の改造が繰り返されている。 三菱電機所有の私有貨車であった。 常備駅は当初塚口駅で、1972年(昭和47年)4月に西浜信号場へ移動した。 特殊構造のために早く淘汰され、シキ610形に置き換えられて1976年(昭和51年)9月24日に廃車となった。 なお車両は廃車前に塚口駅側線に移動し、その後長らく留置されたのちに解体された。. 新しい!! 間に他の形式が入ってしまっているため番号は飛んでおり、シキ40 - シキ59、シキ240 - シキ261となっている。 このうち最後の2両にあたるシキ260・シキ261は太平洋戦争の本土決戦に備えて大砲の砲身輸送などに用いるために日本陸軍が用意した私有貨車であった。 全長は12,300 mm(車体長11,500mm)で、従来の大物車とほぼ同じであったが、台枠構造の工夫により低床部はずっと長い4,800 mmを確保した。 また低床部のレール面上高さは690 mmと低く、これによって高い使い勝手を確保して、荷主からの評価が高い大物車となった。 これによってシキ40形は大量に増備されることになった。 台車はアーチバー式の2軸ボギー台車TR20形を2基装備し、空気ブレーキはKD180形であった。 シキ40 - シキ43は国鉄苗穂工場、シキ44 - シキ49は国鉄浜松工場、シキ50 - シキ59は田中車輌、シキ240 - シキ249は日本車輌製造、シキ250 - 259は川崎車輛、シキ260・シキ261は日立製作所がそれぞれ製造した。 このうちシキ49までは昭和初期の製造であるが、シキ50以降は第二次世界大戦末期の製造であった。 シキ260・シキ261については大阪陸軍造兵廠所有で、常備駅は吹田駅であった。 シキ260は戦災により喪失した。 シキ261については、終戦後大蔵省所管となった後、1958年(昭和33年)に国鉄が買い上げて他のシキ40形と同様の扱いとされた。 1966年度(昭和41年度)から1982年度(昭和57年度)にかけて順次廃車となった。. 新しい!! 国鉄が所有する貨車としては最大の荷重を持つ車両であった。 私有貨車では、この車両が製作された時点で既にこれを上回る荷重のものが存在していた。 設計はシキ100形をベースにしたものとなっている。 低床式の梁は、溶接構造で組み立てられている。 全長は27,200 mm、低床部の長さは6,000 mm、低床部のレール面上高さは892 mmである。 低床部を長くしたために幅は狭くなり、レール面上高さも高くなった。 これが使い勝手を悪くしたとされる。 台車は、板台枠式の三軸ボギー台車を合計4台車12軸備えた構成である。 空気ブレーキはKD254形であった。 使い勝手が悪く使用頻度は低かった。 日本貨物鉄道(JR貨物)へ承継されたが、1993年(平成5年)9月に廃車となった。. 新しい!! 新しい!! 当初は明治44年称号規程での重量品運搬車のオシウ30形であったが、1928年(昭和3年)の称号規定改正により、シキ5形のシキ5 - シキ9となった。 明治44年称号規程での重量品運搬車に類別された最初の車両であり、また低床式大物車として日本で最初の車両であった。 全長は11,862 mm(車体長11,278mm)、低床部の長さは3,962 mm、レール面上高さは692 mmであった。 菱枠台車(後にTR15形となる)を装備していた。 空気ブレーキはなく、側ブレーキのみを装備していた。 荷重は、当時の建設規定での総重量40 トン以内にあわせるために26 トンで計画されていたが、特認を得て30 トンとなった。 シキ70形に置き換えられる形で、1959年(昭和34年)8月から1965年(昭和40年)2月にかけて順次廃車となった。. 新しい!! 新しい!! 低床式のほかに、梁を交換することで平床式・落し込み式としても使用することができる車両であった。 当初は明治44年称号規程によるオシウ40形として、オシウ40 - オシウ42の番号が与えられており、1928年(昭和3年)に称号規程改正によりシキ60形のシキ60 - シキ62となった。 その後シキ63 - シキ67の5両が追加で製造された。 大正時代に製造されたシキ60 - シキ62の3両は、鉄道省浜松工場が製造した。 戦時中の特大貨物輸送急増に対応して田中車輛で1944年(昭和19年)7月 - 8月にシキ63 - シキ67の5両が追加新造された。 日本の貨車として、初めて複式ボギー台車を採用していた。 後にTR16形として類別される菱枠台車を2台装備した枕枠を、荷受梁の前後にそれぞれ1台ずつ備える、全部で4台車8軸の車両で、当時としてはかなり大きな貨車であった。 全長は18,540 mm(車体長17,600mm)で、このうち荷受梁の部分の長さが12,600 mm、低床部の長さが4,100 mm、低床部のレール面上高さが764 mmであった。 空気ブレーキは装備されておらず、側ブレーキのみを装備していた。 枕枠の長さは5,600 mmあった。 枕枠の部分は、それだけを分離した形で貨車として利用できるようになっており、荷受梁の部分に形式番号が書かれているほかに、枕枠にも形式番号が「シキ60甲」「シキ61乙」のように甲乙を付けて書き込まれていた。 また、枕枠には回転枕木の装備ができるようになっており、車体中央側にも連結器を装備可能になっていた。 枕枠のみで利用しているときは30 トン積み平床式大物車の扱いで、回転枕木を利用して曲線通過時の変位を吸収しながら、2台の間に長い貨物を渡しかけて輸送することができた。 また、落し込み式の梁も用意されていた。 これは1936年(昭和11年)に鉄道省が自営の信濃川発電所を建設するに際して、変圧器の輸送用に大宮工場で製作したものである。 全長は19,174 mm(車体長18,234mm)で、中央に全長4,450 mm、幅1,700 mmの穴が開けられており、この部分に貨物と落し込んで輸送するものであった。 信濃川発電所への輸送に使用された後は、一般の貨物輸送用にも転用された。 この他に、陸軍省所有の専用の荷受梁が用意されていた。 これは、本形式2両を使用して要塞砲を輸送するためのもので、低床式の荷受梁の中央に心皿を仮設し、その上に2両に渡しかけるように専用荷受梁を搭載することで、都合8台車16軸の大物車として使用できるようになっていた。 このときは荷重100 トンであるが、専用荷受梁が20 トンあるので実際の荷重は80 トンであった。 荷受梁を取り外す、あるいは復元する作業は、苗穂・大宮・名古屋・吹田・鷹取・小倉の各工場でのみ行えることになっていた。 特に落し込み式梁への交換作業は大宮のみに限定されていた。 1966年度(昭和41年度)から1972年度(昭和47年度)にかけて順次廃車となった。. 新しい!! 新しい!! 1974年(昭和49年)9月26日に日本車輌製造にて110 トン積み分割落し込み式の梁が追加されて、当初からの吊り掛け式梁がシキ670B、追加された分割落し込み式梁がシキ670Cとなっている。 車籍は当初日本国有鉄道で、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に際しては、日本貨物鉄道(JR貨物)に継承された。 足回りは、タキ43000形などと同じベッテンドルフ式のTR210形二軸ボギー台車を合計6台12軸装備している。 車端側に台車2台に渡した台車上枠を装備しており、この台車上枠の中心と車体中央側の台車の間に渡しかけた枕枠があって、この上に荷受梁を載せている。 空気ブレーキはK弁とUC形シリンダーを組み合わせた手動積空切り替え方式のものである。 B梁は、ガーダー構造の全溶接組み立てでできている。 空車時全長は19,580 mmである。 C梁は、全長28,080 mmで、貨物積載部の長さは12,000 mm、幅は2,010 mmであった。 三菱電機所有の私有貨車で、常備駅は西浜信号場であった。 2003年(平成15年)11月に上組所有に変更となり、2005年(平成17年)5月にB梁・C梁ともに廃車となったが、その後も工場車庫内で保管されている。. 新しい!! 新しい!! シキ70 - シキ77、シキ270 - シキ277の番号が付けられていた。 シキ78・シキ79が欠番となった理由は不明である。 シキ5形やシキ30形などの老朽取り替え用に製作された。 シキ40形とほぼ同一の仕様で造られており、全長は同じ12,300 mm(車体長11,500mm)である。 ただし、台車の位置を外側にずらすことで、低床部の長さを5,100 mmと300 mm拡大している。 低床部のレール面上高さは695 mmでこれはシキ40形と同じである。 鋲接で組み立てられていたシキ40形と異なり溶接で組み立てられており、これにより自重は約3 トン軽い13. 4 トンになった。 台車はベッテンドルフ式2軸ボギー台車のTR41Cを2基装備し、空気ブレーキはKD180形である。 このクラスの輸送需要は自動車輸送に転移したことから、1978年度(昭和53年度)から1986年度(昭和61年度)にかけて順次廃車となった。 廃車後もシキ74が沼津で、シキ277が浪速で留置されていた。 前者は2003年(平成15年)頃にシキ290やシキ370とともに解体となり、後者は浪速貨物駅廃止前に神戸市内に移されトラ148523やトラ149195ともに2007年(平成19年)初頭まで放置されていた。. 新しい!! 1973年に製造されたのがシキ800で、B梁が2つ(シキ800B1・シキ800B2)とC梁が1つ(シキ800C)である。 1974年に製造されたのがシキ801で、シキ801B2とされ、このときにシキ800B1が一旦除籍されてシキ801用に転用され、シキ801B1となった。 1996年に製造された車両は、期間が長く開いた間の改良を反映したことから番号を飛ばしてシキ810としている。 シキ810に装備している梁はB2梁と同等である。 シキ800形は発電所や変電所に設置される特大の変圧器を輸送するための貨車である。 こうした貨車は、従来重電メーカー各社がそれぞれ保有していたが、利用頻度が低いことから各社で共通利用することが計画された。 この経緯はシキ610形と同様である。 ただし、シキ610形のときは東芝・日立製作所・富士電機の3社については共通の荷受梁を用意できたが、三菱電機のみヒンジの形状が異なることから別な荷受梁を用意して交換して使用することになった。 シキ800形では、アタッチメントとなる継手を利用し、また側梁部分を可動式にすることで、異なる寸法と形状のヒンジに対応できるように工夫された。 さらにB2梁にC梁を組み合わせると、140 トン積み分割落し込み式大物車となる、リバーシブル大物車ともいうべき万能性を備えている。 シキ800・シキ801については、台車はベッテンドルフ式の2軸ボギー台車NC-3C形を合計8台16軸装備している。 台車2台の上に台車上枠を載せ、2つの台車上枠に跨るように枕枠を装備して、その上に荷受梁を載せる構造である。 ブレーキはK弁とUC形シリンダーを組み合わせた手動積空切り替え方式のものである。 これに対してシキ810では台車はTR213F形を装備し、大物車として初めてのCSD方式のブレーキを備えている。 シキ810でも台車上枠や枕枠の基本的な構造は同じである。 後年、シキ810が廃車されB2梁・台車・台枠・まくら枠等がシキ801に移植されている。 移植後のシキ801はB1梁や一部の部品を除いて実際にはほぼ全てが元シキ810の物となっている。 荷受梁はガーダー構造で構成されており、全溶接構造である。 B1梁のときの空車全長は25,920 mm、B2梁のときは25,800 mmで、どちらでも貨物の最大長さは11,120 mmとなっている。 側梁を移動させて必要な間隔に設定できるようになっており、B1梁ではねじで、B2梁では油圧ジャッキで移動させるようになっている。 C梁を装備すると全長は33,550 mmとなる。 このとき、B2梁と組み合わせることでC梁を構成するようになっており、C梁用に用意されている部材は分割落し込み式で分割される横梁の部分だけである。 このことから、シキ800B2のナンバープレートを裏返しにするとシキ800Cという表記に変わるようになっている。 シキ800・シキ801は大物車としての通例どおり黒に塗装されているが、シキ810は四国旅客鉄道(JR四国)のコーポレートカラーと同じスカイブルー(青26号)となっていた。 シキ800・シキ801は日本通運所有の、私有貨車である。 シキ800の常備駅は当初梅田駅で、1976年(昭和51年)4月に多気駅に移動した。 シキ801の常備駅は当初新芝浦駅で、1982年(昭和57年)2月に末広町駅に移動し、1985年(昭和60年)1月に小山駅へ移動した。 2009年(平成21年)時点では2両が在籍するが、2017年(平成29年)時点でも存在が確認され、運用中である。 シキ810は東芝物流所有の私有貨車であったが、2006年(平成18年)2月に名義変更され日本通運所有となった。 大物車の中では経年の浅い車両であったが、2009年(平成21年)にシキ801に台車・台枠・まくら枠等の部品が提供され廃車された。 常備駅は末広町駅であった。 ファイル:JRF Shiki810. jpg 青い車体のシキ810(高岳製作所小山工場 2007年) ファイル:JRF Shiki810-TR213F. jpg シキ810のTR213F形台車(2007年) ファイル:JRF Shiki810-2. jpg シキ810と高岳製作所の荷重試験専用車(2007年). 新しい!! 鉄道省が自営の信濃川発電所を建設するに際して資材輸送を行うことを目的として製造したものである。 魚腹形台枠を備えた長物車のような構造である。 全長は11,800 mm(車体長11,000mm)で、車体中央部に長さ4,500 mm、幅2,140 mmの亀甲形の穴が開けられており、ここに貨物を落し込んで積載する構造であった。 落し込み穴の底に着脱可能な横梁が設けられていて、これで積み込んだ貨物の重さを一部負担するようになっていたが、許容荷重が低くてしばしば折損事故を起こした。 横梁の本数は車両によって異なっている。 台車はアーチバー式の2軸ボギー台車TR20形を2基備えており、KD180形のブレーキを備えていた。 低床式の大物車がトレーラーに置き換えられていく中、鉄道輸送の特性に適合した落し込み式大物車は長く利用され続けた。 しかし1986年度(昭和61年度)にシキ80形の最後の2両が廃車となり、形式消滅となった。. 新しい!! 1977年(昭和52年)4月15日に同じく日本車輌製造で分割低床式の梁が追加製造され、荷受梁を交換することで85 トン積み分割低床式大物車としても使用できるようになった。 分割落し込み式の梁がシキ850C、分割低床式の梁がシキ850Dである。 日本通運所有の私有貨車で、日本国有鉄道(国鉄)、後に日本貨物鉄道(JR貨物)に車籍を編入している。 台車は直径800mm車輪を用いたNC-7形のイコライザー式三軸ボギー台車を4台装備し、合計12軸の車両である。 2台の台車の間に枕梁を渡し、枕梁同士の間に荷受梁を渡す構造となっている。 ブレーキは手動積空切り替え式のKSD方式のものを装備している。 シキ1000形と並び、従来形式の大物車が脱線対策などで積車時の運行速度が低く制限されていたことを改善した、高性能大物車となっている。 分割落し込み式のC梁を装備した状態では、車体全長22,650 mmで、落し込み部の搭載寸法は長さ6,800 mm、幅2,700 mmである。 圧延鋼を溶接で組み立てたガーダー構造の荷受梁となっている。 分割落し込み式で、横梁の部分を両端の構造から分離することができるが、取り付けるヒンジは内外に2箇所あり、どちらに横梁を取り付けても115 トンの荷重である。 分割低床式のD梁を装備した状態では、荷重85 トン、車体全長25,550 mmで、低床部の有効長さは6,500 mm、低床部のレール面上高さは630 mmである。 C梁とD梁の交換に際しては、枕枠より下部を共通利用し、荷受梁より上は全て取り替える。 低床部を支える両側の構造は、吊り掛け式大物車のシュナーベルに類似したものとなっており、溶接で組み立てたガーダー構造となっている。 低床部は、取り外したときに貨物を搭載してコロで移動できるように、下面も平坦となるように設計されている。 また左右に2分割されており、それぞれをボルトで固定する構造になっている。 取り付けたとき、中央部に640 mmの隙間が生じる構造である。 また、ジャッキアップする受け座が用意されている。 日本通運所有の私有貨車で、常備駅は末広町駅である。 2009年4月の時点では1両が在籍するが、その後の消息についてはJR貨物からは特に公表されていない。. 新しい!! シキ90、シキ92・93の3両は、日本国有鉄道(国鉄)浜松工場で製造された国鉄所有車両で、シキ91は東京芝浦電気(東芝)が自社で製造した私有貨車であった。 構造としては、第二次世界大戦前に製造されたシキ80形をほぼそのまま引き継いでいる。 魚腹形台枠を備えた長物車のような構造である。 全長は11,800 mm(車体長11,000mm)で、車体中央部に長さ4,800 mm、幅2,140 mmの亀甲形の穴が開けられており、ここに貨物を落し込んで積載する構造であった。 車体の大きさはシキ80形と変わっていないのに、落し込み穴は長さが300 mm延長されているが、これは軸距を短縮して台車中心間距離が長くなったことを利用したものである。 またシキ80形では、落し込み穴の底に設置して貨物を支えるために利用できる横梁の強度が低く折損事故をしばしば起こしていたが、本形式では最初から許容荷重を増やす対策を行っている。 台車はベッテンドルフ式2軸ボギー台車TR41Cを2基備えており、KD180形のブレーキを備えていた。 水圧鉄管などの輸送に用いられていた。 私有貨車のシキ91については、当初は常備駅は新芝浦駅であった。 後に1983年(昭和58年)1月に浅野駅へ移動し、1984年(昭和59年)5月に社名変更により東芝所有となった。 同年12月28日に廃車となった。 国鉄所有の3両についても1985年度(昭和60年度)から翌年度にかけて順次廃車となった。. 新しい!! 全長12,300 mm(車体長11,500mm)、低床面の長さは5,100 mm、低床部のレール面上高さは695 mmで、これはシキ70形とほぼ同じものであった。 低床部に変圧器固定用の装置を備えており、変圧器側の固定穴と連結棒を結ぶことで簡単に固定することができるようになっていた。 台車は、ベッテンドルフ式の2軸ボギー台車TR41Cを装備した。 日立製作所製造・所有の私有貨車であった。 常備駅は常陸多賀駅であった。 1983年(昭和58年)5月16日に廃車となった。. 新しい!! 全長12,300 mm(車体長11,500mm)、低床面の長さは4,800 mmで、これはシキ40形とほぼ同じものであった。 しかし低床部に貨物積載用に穴が開けられており、これがシキ40形と異なる点であった。 側梁が魚腹形で低床部だけ下に折れ曲がっている構造であるが、この部分の床板は全くなく、枕木方向に横梁が4本通されているのみであった。 台車は、当時の標準型であったベッテンドルフ式のTR41Aを2基装備する。 ブレーキ装置は、KD形を前後の台車別に2組装備した。 当初は酒井鉄工所所有の私有貨車であった。 常備駅は湊町駅であった。 黒部川第四発電所向けに水圧鉄管を輸送する目的で製造されたものと考えられており、信濃大町駅まで2週間に1回の割合で輸送を行っていた。 酒井鉄工所の所有した唯一の私有貨車であった。 1963年(昭和38年)に東京芝浦電気(東芝)へ譲渡され、三重工場そばにある朝明信号場常備となった。 以後は鉄板で開口部を塞ぐ形で変圧器などの輸送に用いられた。 1981年(昭和56年)6月11日に廃車となった。. 新しい!! 新しい!! BNSFとは、その前身であるバーリントン・ノーザン・サンタフェ鉄道 英Burlington Northern Santa Fe Railway の略称に由来する。. 新しい!! なお本項では正式な路線名を示す場合をのぞいて、東海道本線のうち大阪駅から京都方面はJR京都線、尼崎駅から三ノ宮方面についてはJR神戸線の愛称で記述する。. 新しい!! 日本石油輸送所有のタンク車で、所有者名と社章が車体に標記されている。 ホキ9500形。 小野田セメント(現:太平洋セメント)所有のホッパ車 私有貨車(しゆうかしゃ)とは、鉄道事業者以外の一般企業等が固有の財産として所有し、車籍のみを各鉄道事業者が編入・管理している貨車のことを指す。 当項目では貨車以外における同種車両も含めて日本における事例を主題として解説している。. 新しい!! 新しい!! 亀山駅 - 新宮駅間は東海旅客鉄道(JR東海)、新宮駅 - 和歌山市駅間は西日本旅客鉄道(JR西日本)の管轄で、JR西日本の区間のうち新宮駅 - 和歌山駅間には「きのくに線」という愛称が付いている - 西日本旅客鉄道。. 新しい!! 対義語は有蓋車である。 旧日本国有鉄道および日本貨物鉄道(JR貨物)の記号はトラック(Truck)の「ト」。. 新しい!! 本稿では、その中でも日本の鉄鋼業の主流である、鉄鉱石から鉄を取り出すところから最終製品の製造までを一つの敷地内で行う(間接製鋼法による)銑鋼一貫製鉄所を取り上げる。 日本における事実上の銑鋼一貫製鉄所は、新日鐵住金7(室蘭・鹿島・君津・和歌山・名古屋・八幡・大分)、JFEスチール4(千葉、京浜、倉敷、福山)、神戸製鋼所1(神戸・加古川)、日新製鋼1(呉)の13か所である(2017年現在)。 日本初の銑鋼一貫製鉄所としては一般的に北九州の官営八幡製鐵所(1901年(明治34年)操業開始)が挙げられるが、操業当初には生産が不安定で、開始の翌年から2年間稼動が停止(1904年まで)されている。 一方、民間では岩手県の釜石鉱山田中製鉄所(1887年(明治20年)創業)が1903年(明治36年)より銑鋼一貫製鉄所となって稼動しているので、こちらの方が時期的に早い。. 新しい!! 赤穂線に属する唯一の貨物駅である。. 新しい!! 新しい!! 日本では、かつて小荷物・郵便物は旅客輸送の対象としていたが、現在ではほとんど廃れたことや運送の形態により、これらが「貨物」として含まれることもある。 自走式電動貨車(貨物電車)については電車を参照。. 新しい!! 車票と略称される。 発駅で作成され、途中駅での貨車の仕分けや着駅での積み荷の引き渡しにあたって参照される。 貨車の両側面には、車票を掲出するための額縁として車票サシが設けられている。 新富士駅) 放射性物質、危険品など、特別な注意を要する貨物を積載する貨車には、その旨を表示するために、車票に加えて貨車表示票が使用される。 貨車の車票サシのそばには、貨車表示票を挿入するための表示票サシが設けられている。 発駅の駅長は、貨物の積み付け、封印などに異常がないことを確認したうえで車票および表示票をそれぞれ車票サシおよび表示票サシに挿入する。 着駅の駅長は、貨物の取り卸しが終わったときに車票および表示票を貨車から取り除く。 車票はコレクションの対象となっており、鉄道会社のイベントで販売されたり、インターネット上のオークションで取引されたりしている。 輸送中の貨車から車票が抜き取られる盗難事件も発生し、問題となっている。 なお、中国語の「車票」は「乘車票」の略称であり、乗車券を意味する。. 新しい!! 現在は不動産関連事業者であるが、社名が示すように元は鉄道事業者および軌道事業者であり、東日本旅客鉄道(JR東日本)鶴見線の前身にあたる鉄道路線などを建設・運営していたが、1943年に戦時買収により国有化された。 鉄道・軌道事業から完全に撤退した後も会社自体はそのまま存続し、社名を変更することなく現在に至っている。. 新しい!! 当初は鶴見臨港鉄道の車籍であったが、同社が1943年(昭和18年)7月1日に戦時買収されたことにより、鉄道省(後に日本国有鉄道)に継承され、シム20形となった。 芝浦製作所(後の東芝)所有の私有貨車であった。 常備駅は新芝浦駅であった。 大物車は通常、大きな荷重を分散させるために多数の車軸を備えているのが一般的であるが、この車両は二軸車という珍しい構造であった。 車軸間で台枠が下部へ低く折り曲げられている低床式で、なおかつ低床部分の中央に穴が開けられており、重量がかさむ貨物ではなく特に背が高い貨物をこの穴の部分に落としこんで輸送することを目的としていた。 主な輸送物品は変流機などの電気製品である。 1977年(昭和52年)4月7日に廃車となった。. 新しい!! この項目では翌1937年(昭和12年)7月に同じく汽車製造東京支店で35トン積み低床式大物車として1両が製作された鶴見臨港鉄道シキ200形貨車、およびシキ100形を補強してシキ200形と同一仕様にした鶴見臨港鉄道シキ300形貨車についても説明する。 いずれも鶴見臨港鉄道の戦時買収により、1944年(昭和19年)2月に国鉄の車籍に編入されてシキ110形となった。 どちらの車両もシキ40形に似た設計で、全長は12,300 mm(車体長11,500mm)、低床部長さは4,800 mm、低床部のレール面上高さは645 mmであった。 台車はアーチバー式の2軸ボギー台車TR20を2基装備し、空気ブレーキはKD180形であった。 国有化時に、シキ200はシキ110、シキ300はシキ111となった。 これにより、実際の製造年次とは逆順の番号を付けられることになった。 東京芝浦製作所(東芝)所有の私有貨車で、常備駅は新芝浦駅であった。 シキ111は1946年(昭和21年)6月に、シキ110は1982年(昭和57年)12月24日にそれぞれ廃車となった。. 新しい!! このため、フェリーで自動車を輸送(車両航送)する場合も広義の車両輸送に含まれる。 しかし、一般には自動車・オートバイ等を輸送専用車で輸送する場合や大型な鉄道車両などを輸送する場合を指す場合が多い。. 新しい!! 日本国有鉄道(国鉄)と日本貨物鉄道(JR貨物)における形式記号は「ク」で、車のクが由来とされる。. 新しい!! 貨物は積載しない。 主に貨物列車の最後尾に連結されていた。 デッキに手ブレーキを持つ。 なお、貨物を積載し、車掌も乗務できる車両は「緩急車(かんきゅうしゃ)」と呼ばれる。 本項では日本の車掌車について解説し、日本国外のものについては緩急車の項でまとめて扱うものとする。. 新しい!! 新しい!! 略称は黒鉄(くろてつ)。. 新しい!! 新しい!! 新しい!! JR東日本の常磐線と、東武鉄道の野田線(愛称「東武アーバンパークライン」)が乗り入れ、接続駅となっている。 JR東日本の駅には、快速線を走る特急・中距離電車および常磐線快速電車と、緩行線を走る常磐線各駅停車が停車する。. 新しい!! 新しい!! 新しい!! 新しい!! 竣工は社名変更前であるが、既に側面幕板部にMATUZAKA ELECTRIC RAILWAY(松阪電気鉄道)とレタリングされている。 出荷のため台車を外し大物車に積載状態。 松阪鉄道デ31形電車(まつざかてつどうデ31がたでんしゃ)は松阪鉄道(松阪電気鉄道への改名を経て三重交通へ合併。 後に鉄道事業は三重電気鉄道へ分社)が自社線(後の三重電気鉄道松阪線)電化の際に新造した荷物合造電車の1形式。 電化から全線廃止まで松阪線の主力電動客車として使用された後、電装を解除されて三重電気鉄道の鉄道事業を継承した近畿日本鉄道(近鉄)にて内部・八王子線で使用された。 本項目では同時期に松阪鉄道が製造した、同系の付随車であるフ21形についても併せて記述する。. 新しい!! 新しい!! 多摩運河を挟んだ対岸の川崎区小島町付近も含める。 末広町駅駅名標. 新しい!! JR東海の駅番号はCF07。. 新しい!! 新しい!! 駅番号はJI 51。. 新しい!! 新しい!! , Ltd. )は、大手物流業者である。 総合物流国内最大手で、災害対策基本法における指定公共機関。 通称は「日通」「NIPPON EXPRESS」など。. 新しい!! 新しい!! 新しい!!

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