スポーツ クライミング。 スポーツクライミングの3種目

スポーツクライミングとは? ボルダリングとの違いはあるの?

スポーツ クライミング

突起物のついた人口壁を登るスポーツ。 到達地点を争うリード、難易度を重視するボルダリング、速度を競うスピードの3種目がある。 2016年8月3日にリオ・デ・ジャネイロで開催された国際オリンピック委員会 IOC 第129次総会において、20年に行われる東京オリンピック大会での追加競技となることが決定した。 なおIOCに提案されたスポーツは、通常単種目として行われているリード、ボルダリング、スピードを全て行い、これら3種目の合計点で順位がつけられるものとなっている。 リードは12メートル以上の高さの壁を制限時間内にどこまで登ったか、どこで落ちたかを争う種目。 ロープをルートの途中にあると呼ばれる引っかかりに掛けて、安全を確保しながら登っていく。 スタートからまで壁に固定されているいくつもの 人工石の突起物 に番号がつけられており、多くの番号のホールドに到達できた者を上位とする。 安易にゴールに到達してしまうと競技にならないため、最後まで登りきるのが難しいルートが設定されている。 ボルダリングは5メートル以下の高さの壁に固定されているホールドに手や足を掛けて、ロープを使わずによじ登っていく種目。 の課題 コース が設定されており、制限時間内にいかに少ない回数でいくつの課題をできるかを争う。 完登数が同じ場合は、それに要した回数の少ないものを上位とする。 スピードは15メートルの壁をいかに速くゴールまで登り切ることができるかを競う種目。 壁、ホールド、ルートが共通の条件のもと、2人が同時にスタートする形がとられる。 トップレベルの選手は、男子は5秒台、女子は7秒台で駆け登るスプリント種目である。 スポーツクライミングにおける日本人の成績は、14年、15年、16年と3年続けてボルダリングで国別ランキング1位となり、ワールドカップ個人年間ランキングでは、男子リードで3回、ボルダリングで1回、女子ボルダリングで4回1位を獲得している。 16年のワールドカップボルダリング種目で年間1位を獲得した楢崎智亜は、16年9月にパリで行われた世界選手権男子ボルダリングで優勝を成し遂げた。 世界選手権で日本人選手が優勝したのは初めてのことである。 場野守泰 ライター/2016年 出典 株 朝日新聞出版発行「知恵蔵」 知恵蔵について の解説 登山の(岩壁登攀 とうはん )で使われる登攀技術をもとにした競技の総称。 国際競技大会における種目には、 1 リード競技、 2 ボルダリング競技、 3 スピード競技があり、クライミングウォール(人工壁)、クライミングホールド(ホールド)、確保器、ハーネス、ロープ、カラビナ、クイックドロー(両端にカラビナのついた短いロープ)などの設備や用具を使い、登攀技術を競う。 国際統括団体は国際スポーツクライミング連盟International Federation of Sport Climbing(IFSC)で、日本では公益社団法人日本山岳・スポーツクライミング協会Japan Mountaineering and Sport Climbing Association(JMSCA。 2017年に日本山岳協会から改称)が統括する。 IFSC公認の国際大会としては、ワールドカップ・シリーズ、世界選手権、世界ユース選手権が行われている。 日本では、2008年(平成20)から国民体育大会(国体)の山岳競技として、ボルダリング競技が正式種目に加わった。 国体の競技は、2人で1チームを編成し、リードとボルダリングの2種目でチームどうしが競う複合競技として行われている。 日本ではスピード種目は普及していない。 このような競技のほか、趣味として楽しむ運動に、人工の壁や岩を登るインドアクライミングやウォールクライミングがあり、これもスポーツクライミングとよぶことがある。 2020年(令和2)2月時点で、国内の愛好者はおよそ60万人、全国にボルダリングジムが500か所以上ある。 [編集部] リード競技lead climbingリード専用に設計された高さ12メートル以上のオーバーハングの人工壁を利用し、クライマーは壁面の確保支点にロープをかけて安全を確保しながら、最高到達点を目ざして登る。 選手は2人1組となり、1人はクライマーで、もう1人が地面でロープを確保する。 クライマーが登攀ルートに沿って制限時間内に登った最高到達点によって順位が決定される。 [編集部] ボルダリング競技bouldering高さ5メートルほどのボルダリング専用の人工壁にホールドとよばれる突起がつけられており、選手はロープを使用せず、ホールドを手がかりや足がかりとしながら、制限時間内に登る。 一つの壁にはボルダーとよばれる複数のルート(課題)が設定されており、時間内に完登 かんとう したボルダーの数や、ホールドごとに設けられたボーナスポイントの獲得点数などによって順位が決定される。 [編集部] スピード競技speed climbing最上部からロープを垂らしたトップロープの状態の人工壁で行われる競技で、クライマーはトップロープによって安全が確保された状態で登る。 予選は完登所要時間によって成績が決定され、上位16名が決勝ラウンドへ進出。 決勝ラウンドは二人が同時に登り、先に到達したほうが勝者となり、最後まで勝ち残った二人で決勝を行う。 人工壁には高さ10メートル競技用と15メートル競技用の2種類がある。 [編集部] その後の動き2020年のオリンピック・東京大会では、開催都市が実施を提案する追加種目5競技18種目の1競技として、スポーツクライミングが初めて採用されることとなった。 種目はリード、ボルダリング、スピードの複合種目で男女の2種目。 東京・お台場(江東 こうとう 区)の青海 あおみ アーバンスポーツパークで開催される予定である。 [編集部].

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スポーツ クライミング

目 次• 「スポーツ」クライミングという名前のフシギ 2020年東京オリンピックの競技として、スポーツクライミングが採用されました。 しかしよく考えてみると、この「スポーツクライミング」というのは不思議な名前だと思いませんか? オリンピック競技ですからスポーツであるのは当たり前なのに、なぜわざわざ「スポーツ」とついているのでしょうか? 「スポーツバレー」とか「スポーツスキー」なんて、言わないのに……。 また、「スポーツクライミング」と言うからには、スポーツじゃないクライミングもあるのでしょうか? 疑問は尽きません。 それらの疑問に答えるためには、長いクライミングの歴史をひも解いて行かなければなりません。 そこには、多くのクライマーたちによる「理想のクライミング」追求のドラマがあるのです。 スポンサーリンク クライミング(climbing)にもいろいろある そもそも英語のクライミング=「climbing」は、日本語では「登ること」であり、とても広い内容が含まれる言葉です。 たとえば、エベレストなどの高所登山も、climbingの一種ですし、氷瀑(凍った滝)だけを登るアイスクライミング(ice climbing)もクライミングですね。 変わったところでは、ツリークライミング(tree climbing)と呼ばれる木登りも、ひとつのジャンルとして確立していますし、天井からぶら下げた太りロープを登るロープクライミング(rope climbing)は、アメリカでは人気のあるスポーツなんですよ! どうも、欧米人は基本的に登ることが好きみたいですね(笑)。 そういったさまざまなクライミング中でも、もっとも有名なのが、岩壁を登る「ロッククライミング」(rock climbing)です。 普通の人が「クライミング」と聞くと、まずロッククライミングが思い起こされるのではないでしょうか。 そして、スポーツクライミングは、元をただせばロッククライミングから生まれたものです。 そこでロッククライミングからどうやってスポーツクライミングが生まれたか、歴史に沿って振り返ってみましょう。 ロッククライミングの歴史 ロッククライミングはもともとは、高所を登る登山の一つの手段でした。 ヨーロッパの高山は一年中「岩と雪」の世界で、ロッククライミングも、そういった高所登山の一部、あるいは、そのための練習として、主に行われていました。 エベレストをはじめとした世界の高峰がまだ登られていなかった時代には、山頂を目指すことに大きな価値があったので、多くのクライマー(登山家)は、それを目標としたのです。 しかし、エベレストをはじめ、主だった高峰が登られてしまった1950年代になると、「登山の手段として」ではなく、ロッククライミングそのものを遊びとして純粋に楽しもうとする人たち=ロッククライマーが徐々に出てきます。 ロッククライマーはヨーロッパや全米の各地にいました。 そして、アメリカの各地で登っていたクライマーの多くは、シーズンにはヨセミテ国立公園へと集まり、高さ1,000メートルにもおよぶ巨大な岩壁に、いくつものクライミングルートを開拓していきました。 そんなクライマーの中には、世界的なアウトドアブランド「パタゴニア」の創始者・イヴォン・シュイナード氏などもいました。 パタゴニアもそうですが、ザ・ノースフェイス、アークテリクスなど、代表的なアウトドアブランドの創始者は軒並みロッククライマーです。 日本だと、モンベルを創業した辰野勇氏も、中学生のときからロッククライミングをしていたクライマーでした。 「フリークライミング」がヨセミテで生まれる ヨセミテでのクライマーたちの中から、従来のロッククライミングと異なる「フリークライミング」の考え方、スタイルが生まれました。 それは、岩を登ることを純粋に楽しむためには、岩に加工をせず、そして道具を極力使わないスタイルで登ることが正しいという考え方です。 登ることが目的なら「何でもあり」 従来の、登山の一部としてのロッククライミングでは、難しいところでは、手がかりや足がかり(あぶみなど)をセットして登ったり、ロープをつかんで登ったりすることが普通でした。 岩を登ることが目的ではなく、山頂に至ることが目的なら、登る方法は「何でもあり」だったわけです。 極端にいえば、はしごをかけたり、階段をつけて登ってもよいわけです。 実際、日本の登山道にも、そうやって登りやすく整備された岩場がたくさんあります。 道具に頼るのではなく、自分を高めるのがフリークライミング しかし、山頂に登るための手段ではなく、純粋の登ることだけを目的としたロッククライミングなら、「何でもあり」で登っても面白くないし、美しくもないでしょう。 ヨセミテのクライマーたちは、自然の岩をありのままの姿で楽しみ、もし登れないときには、道具を使って克服するのではなく、自分の身体能力や技術を高めることによって克服する、という理想をかかげたのです。 そのスタイルや考え方は、従来のロッククライミングと区別するため、「フリークライミング」(Free climbing)と呼ばれました。 フリークライミングの「フリー」とは、アルコールフリーなどと同じく、「無い」という意味です。 登るために道具を使わないクライミングという意味です。 落ちた時に支えてくれる安全確保のための道具だけは別として、登るために人工的な器具を使わないというのが、フリークライミングの根本的な思想です。 スポーツ的な要素の導入 「何でもあり」だったロッククライミングに、道具を使わないという「ルール」を導入したことによって、フリークライミングはゲーム、あるいはスポーツ的な意味も持つようになってきます。 従来は登山という「冒険」の一部だったクライミングに、ルールに基づいたスポーツの要素を導入したのがフリークライミングだったと言えます。 「クリーンクライミング」と、冒険的本質 クライミングは、滑落した場合に地面まで落ちることを防ぐためにロープを使います。 まずクライマーは(ハーネスなどを使い)体にロープを結び、ロープを途中途中の確保支点(プロテクション)にひっかけながら登ります。 ロープの端は、別の人が持っており、万一クライマーが落ちたときにはロープを押さえて、クライマーが確保支点にぶら下がるような形になります。 岩に痕跡を残さないナチュラルプロテクション ヨセミテで生まれたフリークライミングは、長いルートを登る「マルチピッチ」のクライミングが中心です。 その確保支点には、「クラック」や「リス」と呼ばれる岩の割れ目に「ピトン」という金具を、最初に登るクライマー(リードクライマー)が登りながら打ち込んでいました。 後から登る人(フォロワー)がそれを引っこ抜いて回収します。 そうして「岩になにも残さない、人工的な加工をしない」というクライミングを実践していました。 しかし、抜くとは言え、ピトンを使えば、岩はだんだん削れて、傷ついていきます。 また、中には次に登るときのためにピトンをそのまま残す人も出てきます。 そこで、ピトンの代わりに、「チョック」という小さい粒のようなものを引っかけて登るやり方が登場します。 しばらく後にチョックより安全かつ簡単に取り外しが可能な「フレンズ」などの「ナチュラルプロテクション」が発案され、ピトンを打つスタイルは廃れました。 チョックやフレンズなどのナチュラルプロテクションを使ったクライミングは、「クリーンクライミング」と呼ばれ、当時流行していたカウンターカルチャー的な思想とあいまって、非常に影響力を持ちました。 今風にいえば、「地球にやさしい岩登り」でしょうか? グラウンドアップ、ミニマム・ボルトに見るヨセミテの理想 ナチュラルプロテクションは、主に「クラック」と呼ばれる岩の割れ目に引っかけたりして、セットしていきます。 そこで、当時のクライミングは、主にクラック沿いに登るクラッククライミングでした。 ちなみに、クラックのない面を登るクライミングを「フェイスクライミング」と言います。 ルートの途中で、支点をセットするクラックなどがない岩壁の場合、岩に穴をあけ、支点となるボルトを設置しすることもやむを得ないとされましたが、その場合も登りながら設置し(グラウンド・アップ)、しかもその数は最小限(ミニマム・ボルト)にすべきだという、厳しい倫理的な基準が設けられていました。 上で、フリークライミングは「何でもあり」だったロッククライミングにルールを導入したと書きましたが、ルールブックがあるわけではありませんから、正確には倫理を持ちこんだといういうべきでしょう。 フリークライマーは生身の身体だけで勝負し、なるべく「ズル」をしない、安全の確保でさえ必要最小限にするべきだという厳しい倫理です。 できる限りシンプルに岩と対峙する冒険、それがヨセミテクライマーや、彼らに影響されたフリークライマーの理想のクライミングだったのです。 冒険であるからには、100%安全ということはありえないし、100%安全なクライミングをやっても、それは「はしご」を登っているようなもので、ちっとも称えられることではないし、価値がなく、面白くもないという考えです。

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目 次• 「スポーツ」クライミングという名前のフシギ 2020年東京オリンピックの競技として、スポーツクライミングが採用されました。 しかしよく考えてみると、この「スポーツクライミング」というのは不思議な名前だと思いませんか? オリンピック競技ですからスポーツであるのは当たり前なのに、なぜわざわざ「スポーツ」とついているのでしょうか? 「スポーツバレー」とか「スポーツスキー」なんて、言わないのに……。 また、「スポーツクライミング」と言うからには、スポーツじゃないクライミングもあるのでしょうか? 疑問は尽きません。 それらの疑問に答えるためには、長いクライミングの歴史をひも解いて行かなければなりません。 そこには、多くのクライマーたちによる「理想のクライミング」追求のドラマがあるのです。 スポンサーリンク クライミング(climbing)にもいろいろある そもそも英語のクライミング=「climbing」は、日本語では「登ること」であり、とても広い内容が含まれる言葉です。 たとえば、エベレストなどの高所登山も、climbingの一種ですし、氷瀑(凍った滝)だけを登るアイスクライミング(ice climbing)もクライミングですね。 変わったところでは、ツリークライミング(tree climbing)と呼ばれる木登りも、ひとつのジャンルとして確立していますし、天井からぶら下げた太りロープを登るロープクライミング(rope climbing)は、アメリカでは人気のあるスポーツなんですよ! どうも、欧米人は基本的に登ることが好きみたいですね(笑)。 そういったさまざまなクライミング中でも、もっとも有名なのが、岩壁を登る「ロッククライミング」(rock climbing)です。 普通の人が「クライミング」と聞くと、まずロッククライミングが思い起こされるのではないでしょうか。 そして、スポーツクライミングは、元をただせばロッククライミングから生まれたものです。 そこでロッククライミングからどうやってスポーツクライミングが生まれたか、歴史に沿って振り返ってみましょう。 ロッククライミングの歴史 ロッククライミングはもともとは、高所を登る登山の一つの手段でした。 ヨーロッパの高山は一年中「岩と雪」の世界で、ロッククライミングも、そういった高所登山の一部、あるいは、そのための練習として、主に行われていました。 エベレストをはじめとした世界の高峰がまだ登られていなかった時代には、山頂を目指すことに大きな価値があったので、多くのクライマー(登山家)は、それを目標としたのです。 しかし、エベレストをはじめ、主だった高峰が登られてしまった1950年代になると、「登山の手段として」ではなく、ロッククライミングそのものを遊びとして純粋に楽しもうとする人たち=ロッククライマーが徐々に出てきます。 ロッククライマーはヨーロッパや全米の各地にいました。 そして、アメリカの各地で登っていたクライマーの多くは、シーズンにはヨセミテ国立公園へと集まり、高さ1,000メートルにもおよぶ巨大な岩壁に、いくつものクライミングルートを開拓していきました。 そんなクライマーの中には、世界的なアウトドアブランド「パタゴニア」の創始者・イヴォン・シュイナード氏などもいました。 パタゴニアもそうですが、ザ・ノースフェイス、アークテリクスなど、代表的なアウトドアブランドの創始者は軒並みロッククライマーです。 日本だと、モンベルを創業した辰野勇氏も、中学生のときからロッククライミングをしていたクライマーでした。 「フリークライミング」がヨセミテで生まれる ヨセミテでのクライマーたちの中から、従来のロッククライミングと異なる「フリークライミング」の考え方、スタイルが生まれました。 それは、岩を登ることを純粋に楽しむためには、岩に加工をせず、そして道具を極力使わないスタイルで登ることが正しいという考え方です。 登ることが目的なら「何でもあり」 従来の、登山の一部としてのロッククライミングでは、難しいところでは、手がかりや足がかり(あぶみなど)をセットして登ったり、ロープをつかんで登ったりすることが普通でした。 岩を登ることが目的ではなく、山頂に至ることが目的なら、登る方法は「何でもあり」だったわけです。 極端にいえば、はしごをかけたり、階段をつけて登ってもよいわけです。 実際、日本の登山道にも、そうやって登りやすく整備された岩場がたくさんあります。 道具に頼るのではなく、自分を高めるのがフリークライミング しかし、山頂に登るための手段ではなく、純粋の登ることだけを目的としたロッククライミングなら、「何でもあり」で登っても面白くないし、美しくもないでしょう。 ヨセミテのクライマーたちは、自然の岩をありのままの姿で楽しみ、もし登れないときには、道具を使って克服するのではなく、自分の身体能力や技術を高めることによって克服する、という理想をかかげたのです。 そのスタイルや考え方は、従来のロッククライミングと区別するため、「フリークライミング」(Free climbing)と呼ばれました。 フリークライミングの「フリー」とは、アルコールフリーなどと同じく、「無い」という意味です。 登るために道具を使わないクライミングという意味です。 落ちた時に支えてくれる安全確保のための道具だけは別として、登るために人工的な器具を使わないというのが、フリークライミングの根本的な思想です。 スポーツ的な要素の導入 「何でもあり」だったロッククライミングに、道具を使わないという「ルール」を導入したことによって、フリークライミングはゲーム、あるいはスポーツ的な意味も持つようになってきます。 従来は登山という「冒険」の一部だったクライミングに、ルールに基づいたスポーツの要素を導入したのがフリークライミングだったと言えます。 「クリーンクライミング」と、冒険的本質 クライミングは、滑落した場合に地面まで落ちることを防ぐためにロープを使います。 まずクライマーは(ハーネスなどを使い)体にロープを結び、ロープを途中途中の確保支点(プロテクション)にひっかけながら登ります。 ロープの端は、別の人が持っており、万一クライマーが落ちたときにはロープを押さえて、クライマーが確保支点にぶら下がるような形になります。 岩に痕跡を残さないナチュラルプロテクション ヨセミテで生まれたフリークライミングは、長いルートを登る「マルチピッチ」のクライミングが中心です。 その確保支点には、「クラック」や「リス」と呼ばれる岩の割れ目に「ピトン」という金具を、最初に登るクライマー(リードクライマー)が登りながら打ち込んでいました。 後から登る人(フォロワー)がそれを引っこ抜いて回収します。 そうして「岩になにも残さない、人工的な加工をしない」というクライミングを実践していました。 しかし、抜くとは言え、ピトンを使えば、岩はだんだん削れて、傷ついていきます。 また、中には次に登るときのためにピトンをそのまま残す人も出てきます。 そこで、ピトンの代わりに、「チョック」という小さい粒のようなものを引っかけて登るやり方が登場します。 しばらく後にチョックより安全かつ簡単に取り外しが可能な「フレンズ」などの「ナチュラルプロテクション」が発案され、ピトンを打つスタイルは廃れました。 チョックやフレンズなどのナチュラルプロテクションを使ったクライミングは、「クリーンクライミング」と呼ばれ、当時流行していたカウンターカルチャー的な思想とあいまって、非常に影響力を持ちました。 今風にいえば、「地球にやさしい岩登り」でしょうか? グラウンドアップ、ミニマム・ボルトに見るヨセミテの理想 ナチュラルプロテクションは、主に「クラック」と呼ばれる岩の割れ目に引っかけたりして、セットしていきます。 そこで、当時のクライミングは、主にクラック沿いに登るクラッククライミングでした。 ちなみに、クラックのない面を登るクライミングを「フェイスクライミング」と言います。 ルートの途中で、支点をセットするクラックなどがない岩壁の場合、岩に穴をあけ、支点となるボルトを設置しすることもやむを得ないとされましたが、その場合も登りながら設置し(グラウンド・アップ)、しかもその数は最小限(ミニマム・ボルト)にすべきだという、厳しい倫理的な基準が設けられていました。 上で、フリークライミングは「何でもあり」だったロッククライミングにルールを導入したと書きましたが、ルールブックがあるわけではありませんから、正確には倫理を持ちこんだといういうべきでしょう。 フリークライマーは生身の身体だけで勝負し、なるべく「ズル」をしない、安全の確保でさえ必要最小限にするべきだという厳しい倫理です。 できる限りシンプルに岩と対峙する冒険、それがヨセミテクライマーや、彼らに影響されたフリークライマーの理想のクライミングだったのです。 冒険であるからには、100%安全ということはありえないし、100%安全なクライミングをやっても、それは「はしご」を登っているようなもので、ちっとも称えられることではないし、価値がなく、面白くもないという考えです。

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