ロッキード 事件。 ロッキード事件(ロッキードじけん)とは

ロッキード事件:田中元首相逮捕

ロッキード 事件

田中逮捕から40年を迎えるのにあわせて刊行された1冊。 朝日新聞で長年記者を務めてきた著者が、近年秘密解除されて公開されたアメリカ政府の内文書を丹念に読み解くとともに、関係者の取材を行ない、事件の真相に迫る その日は1976年7月27日、これが前首相・田中角栄の東京地検出頭の瞬間であった。 このあと7時50分には田中に対して外国為替管理法違反の容疑で逮捕状が執行される。 同年2月に発覚したロッキード事件では、すでに全日空や商社・丸紅の幹部が逮捕されていたが、政治家としては田中が最初の逮捕者となった。 それからきょうでちょうど40年が経つ。 ロッキード事件は、アメリカからもたらされた。 アメリカ上院・外交委員会の多国籍企業小委員会(通称・チャーチ小委員会)は、アメリカの航空機メーカーであるノースロップ社のサウジアラビアへの違法献金を追及するなかで、しだいにロッキード社に矛先を向けるようになる。 調べてみると、同社は旅客機トライスターなどの売りこみのため各国で不正工作を行なっていたことが判明、さらに疑惑は日本へとおよんだ。 1976年2月には、チャーチ小委員会の公聴会で、ロッキード社の副社長コーチャンが日本人に対する贈賄について証言し、事件は発覚する。 発覚から5カ月あまり。 そのあいだに多くの政治家に対し疑惑が浮上していた。 マスコミ各社は、検察の描く事件の構図の中心に田中がいるとにらんではいたが、捜査がおよぶにしても、それはほかの政治家のあとだろうと予想していた。 それだけに、いきなりの前首相逮捕は青天の霹靂であったらしい。 朝日新聞では「前首相逮捕」を想定した予定稿は用意しておらず、号外に載せる解説記事を、司法クラブキャップの記者が頭のなかで組み立てながら電話で読み上げて送稿したという。 いわゆる「勧進帳」だ(村山治・松本正・小俣一平.

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ロッキード事件(ロッキードじけん)とは

ロッキード 事件

ロッキード事件とは、アメリカの大手航空機メーカーであるロッキード社(現ロッキード・マーチン社)の航空機売り込みに絡んだ汚職事件です。 ロッキード社の自社航空機売り込み工作は、日本以外にもドイツ(当時は西ドイツ)、オランダ、トルコなどでも同様の疑獄が報じられました。 日本だけでもこの事件では30億円を超える資金が動いたと言われていて、この贈収賄に関わったとされる逮捕者は18人にも及び、そのうちの16人が起訴され、戦後最大の汚職事件と言われています。 逮捕者は元首相の田中角栄をはじめとする政治家、官僚、民間人で、田中角栄には一審の東京地方裁判所が懲役4年、追徴5億円の実刑判決を下しました。 田中角栄はこれを不服とし控訴しましたが、東京高等裁判所がこれを棄却したため最高裁判所に上告しました。 しかし最高裁判所の審判が下る前に田中角栄が死去し、控訴は棄却されました。 ロッキード事件の一連の判決では、起訴された16人のうち田中角栄を含む5人が公判中に死亡し、控訴棄却となっています。 その他にもこの事件には不可解な点が多くあり、事件はアメリカ合衆国政府が仕掛けた陰謀だとする「アメリカ陰謀説」の他、諸説が飛び交っています。 この事件は未解決事件とも呼ばれていることからもわかるように、事件発覚から40年余りがたった今でも多くの謎に包まれた「未解決事件」と位置づけられています。 この謎多き戦後最大の汚職事件、ロッキード事件を、できるだけ分かりやすく解説していきます。 ロッキード事件のように大規模な汚職スキャンダルはどのようにして発覚したのでしょうか。 ロッキード社(現ロッキード・マーチン社)は、カリフォルニア州バーバンクスに本社を置き、軍用航空機のトップクラスメーカーとして第二次世界大戦で大躍進を遂げたアメリカの企業です。 同社は、当時アメリカ軍需産業界のトップを走る企業に成長したものの、民間機市場では苦戦を強いられたこともあり、同社は総力を挙げてジェット旅客機「L-1011トライスター」の開発を手がけました。 L-1011トライスターは、ロッキード社の持つ軍用機製造のノウハウを駆使し、当時としては他企業を圧倒するほど先進的な装備が取り付けられていました。 同社は当時アメリカ軍需産業界のトップを走る企業に成長したものの、民間機市場では苦戦を強いられました。 技術面での失敗や他社との激しい販売競争などからL-1011トライスターの販売実績は予想を大幅に下回るものでした。 さらにベトナム戦争が終結したことで、ロッキード社は軍需産業部門でも事業が停滞し、ますます厳しい財政難に陥りました。 アメリカ政府は、下請け企業などの連鎖倒産を防ぐために、ロッキード社に対してUS195億ドルの債務保証を行うことを決定し、倒産の危機を救いました。 救済にあたり、「アメリカ政府緊急融資保証委員会」はロッキード社に対し、同社の業務報告、対外支出報告を義務付けました。 そんな中、「アメリカ上院外交委員会多国籍企業小委員会」宛に小包が届きました。 その小包の中には、日本を含む外国の政府機関や企業に対するロッキード社の収賄を裏付ける資料など、同社の極秘資料がぎっしり詰まっていました。 これを機に、日本の戦後史上最大の汚職事件、ロッキード事件はが明るみになったわけです。 一体この小包の送り主は誰だったのでしょうか。 ロッキード事件に関与した人物としてまず先に名前があがるのが、元首相の田中角栄でしょう。 田中角栄は新潟県出身の政治家で、1947年に衆議院議員総選挙で初当選し、1990年に政界を引退するまで衆議院議員として勤め、閣僚、党幹部を歴任しました。 田中角栄は小学生の頃から成績優秀で「天才」と呼ばれていました。 しかし実家が貧しかったため大学はおろか高校進学もできなかったといわれています。 当時から政治家には大卒者が多く、高等教育を受けていない田中角栄は異色の政治家だったといえます。 田中角栄は第1次田中内閣発足の折には、内閣支持率は70%という圧倒的な支持を集めました。 しかしながら、田中角栄の金脈問題は繰り返しメディアなどで取り沙汰され、1974年には内閣総辞職を表明し首相の座を退いています。 そして1976年にロッキード事件が明るみに出ると、田中角栄はロッキード社より航空機売り込みのリベートとして5億円を受け取ったとし、受託収賄罪と外国為替・外国貿易管理法違反の容疑で逮捕されました。 1983年に行われたロッキード事件の一審で、東京地方裁判所から懲役4年、追徴金5億円の実刑判決を受けましたが、この判決を不服として即日控訴しました。 1987年にロッキード事件の二審で、東京高等裁判所は一審判決を支持して、田中角栄の控訴を棄却しました。 そして二審での判決も上告しましたが、1993年に最高裁判所の判決を待たずに75歳で死去したため、公訴棄却となりました。 児玉誉士夫は右翼活動家として知られ、政界、財界との間に強い人脈を持っていました。 また、児玉は自らCIA(アメリカ中央情報局)対日工作員であったことを告白しています。 日中戦争が始まった際に海軍航空本部の嘱託となった後、上海に「児玉機関」を出店し、買い上げた戦略物資を海軍航空本部に納入して巨額の富を得たといわれています。 児玉はここで築いた財産をもって日本に引き上げ、政治団体に資金を提供するなどして「政界の黒幕」と呼ばれるようになりました。 児玉誉士夫は、日本と韓国の政治家に働きかけ、ロッキード社の「F-104スターファイター」戦闘機の販売工作を行っていました。 児玉誉士夫は航空業界に影響力をもつ小佐野賢治(国際興業グループ創業者)を通じて田中角栄と交友を深め、1972年に田中角栄が総理大臣に就任すると、販売に苦戦していたロッキード社の「L-1011トライスター」を全日空に販売することを、現金と引き換えに田中角栄に後押しさせたことで、ロッキード社の日本での売り上げは拡大しました。 当時のロッキード社社長のアーチボルド・コーチャンは、「児玉は私の国務省だった。 」と調書で語っています。 児玉誉士夫は、この事件の中心人物として衆議院での証人尋問を要請されましたが、直前になって発作を起こしたとして証人尋問に立つことはありませんでした。 児玉誉士夫はその後、脱税と外為法違反で在宅起訴されましたが、体調不良を理由に公判には一回しか出廷せず、児玉誉士夫もまた判決が出るのを待たずに死亡し、裁判は打ち切りとなりました。 丸紅ルートとは大手総合商社「丸紅」とロッキード社の贈収賄を意味します。 丸紅側でこの不正行為に関わった人物は;• 檜山廣(ヒヤマヒロ)ー 当時社長• 大久保利春(オオクボトシハル)ー 当時専務• 伊藤宏(イトウヒロシ)ー 当時専務• そしてこれについてコーチャンは、大久保利春から圧力をかけられていたので支払わざるを得なかったと話しています。 大久保利春のかけた圧力とは、P-3Cの売り込みに関わるものだったとも証言しています。 このルートで実刑判決を受けたのは; 贈賄側:檜山、大久保、伊藤、坂 収賄側:田中、榎本敏夫(エノモトトシオ)ー 田中角栄の秘書 児玉誉士夫と小佐野賢治(オサノケンジ)のロッキード事件への関与を意味しています。 児玉誉士夫はロッキード社の秘密代理人として同社の戦闘機の売り込み工作をしていました。 どうしても影響力のある政治家に近づきたかった児玉誉士夫は、田中角栄をターゲットに選びます。 小佐野賢治は日本航空、全日空の大株主で航空業界に影響力を持っていました。 児玉誉士夫はもともと友人だった小佐野賢治が田中角栄と近しい間柄であることを知り、田中角栄に近づくべく、小佐野賢治を頼るようになりました。 ロッキード社から日本側に贈られた21億円の行方がわからないということが、この事件の謎の一つとされていますが、児玉誉士夫が受け取ったいう説もあげられています。 児玉誉士夫がこの事件の重要な役割を果たしていたことは他の証言からも明らかですが、このルートで有罪判決を受けたのは小佐野賢治ただ一人でした。 「P-3C」はロッキード社製の対潜哨戒機で現在でも日本の重要な防衛装備品とされています。 田中角栄はロッキード社より旅客機「L-1011トライスター」販売についてのリベートとして5億円を受け取ったとし、受託収賄罪と外国為替・外国貿易管理法違反の容疑で逮捕されました。 しかし当時「P-3C」商戦が行われていたこと、また小佐野賢治がからんでいたことから考えても、田中角栄はこの販売についても深く関わっていたと考えられます。 しかしアメリカから提供された資料の中には、田中角栄が「P-3C」の販売に携わったという記録はまるで何者かによって記録が抹消されたように全く残っておらず、また一連のロッキード事件の裁判においても全く触れられることはありませんでした。 また最近になって丸紅ルートで実刑判決を受けた坂が、ロッキード社が田中角栄に支払った5億円には「P-3C」導入の為の賄賂であったと証言しています。 民間航空機の選定をめぐる不正より、それまで国産の対潛哨戒機を採用する予定であった方針を覆した「P-3C」採用の方が「不正」としての悪質さははるかに上です。 それなのに「L-1011トライスター」の販売においての不正疑惑以外の罪に田中はまったく問われていないのです。 ロッキード社が対日工作資金に用意したのは約30億円です。 5億円は田中角栄に、2億円は全日空に、そして残額のうち21億円は未だどこに消えたのかが解明されていません。 しかしこの資金は児玉誉士夫にコンサルタント料として支払われたのではないかという説が有力と言われています。 児玉誉士夫は「昭和の怪物」と呼ばれ、戦前は日本軍に戦後は政財界と裏社会に影響力をもった「黒幕」でした。 ロッキード社は児玉誉士夫を通じて、政財界のさまざまな人に「P-3C」を勧めていたことを当時のロッキード社社長のアーチボルド・コーチャンが証言しています。 政界への波及でいえば、児玉・小佐野ルートが他ルートよりはるかに上だったにも関わらず、事件発覚後すぐにこのルートは捜査の対象外となりました。 そして児玉誉士夫は体調不良を理由に国会の証人尋問に応じることができないまま、裁判は打ち切りになりました。 雪国新潟で生まれ、小学卒業という学歴で一国の首相にまで登りつめた田中角栄は「今太閤」とも呼ばれ、自民党内の最大派閥の長として政局を操っていました。 田中角栄は発想力、行動力、交渉能力、コミュニケーション能力、すべてに長けた類まれなる政治家でした。 そんな田中角栄は外交についてもアメリカの属国ではなく、日本独自路線を貫こうとしました。 田中角栄の功績は、衆議院議員時代に33件もの法律を議員立法を成立させたこと、狭い国土を有効活用して国民所得を底上げしようと掲げた「日本列島改造論」に基づき、日本全国を陸海空で繋いだこと、そして中国との国交を正常化させたことなどからみることができます。 このように改革路線を強大な権力をもって行っていた田中角栄を敵とみなしたものが内外に多くいたことは間違いない事実です。 事件発覚から40年以上もたった今となっては、この事件に関わったと目される者で存命しているものは少なく、この事件の真相が解明されることは厳しい状況であると言えるでしょう。 田中角栄は果たしてこの事件の犯人だったのでしょうか、それとも被害者だったのでしょうか。

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田中角栄逮捕から40年 初めて語られる「ロッキード事件」の発火点――徳本栄一郎(ジャーナリスト)

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しかし、ロッキード社が児玉へ秘密送金する窓口として、元 員が社長だったを利用したという興味深い事実がある。 ディークは外国為替と貴金属取引に特化した企業であるが、21世紀に数件の訴訟を提起されている。 その一方、今日ヨーロッパではやがやはり外国為替と貴金属取引をめぐり不祥事を露呈している。 児玉が働きかけた政府側の人間は自民党の、、らであった。 代末の契約が更新され、韓国も含まれるようになった。 児玉は親しい仲にあった韓国の朴政権にロッキード社のジェット戦闘機を選定するよう働きかけていたのである。 韓国に対する影響力の大きさが窺える。 しかし、この頃、大野も河野も死亡しており、新しい総理大臣のやにはあまり影響力をもっていなかった。 そこで児玉は田中との共通の友人、 に頼るようになった。 小佐野はやの大株主でもあり、ロッキード社製のジェット旅客機の売り込みでも影響力を発揮したが、すでに日本航空は社製の型機の購入を決定していたこともあり、その矛先を全日空に向けた。 この頃深い関係を作り上げていた田中角栄が(47年)に首相になると児玉の工作は功を奏し、その後全日空は同機種を21機購入し、この結果ロッキード社の日本での売上は拡大した。 さらに全日空は、ロッキードから得た資金を自社の権益の拡大を図るべく航空族議員や運輸官僚への賄賂として使い、その後このことはロッキード事件に付随するとして追及されることとなった。 ロッキード社社長のアーチボルド・コーチャンが「児玉の役割は導入を政府関係者に働きかけることだった。 児玉は次の大臣に誰がなりそうか教えてくれた。 日本では大臣はすぐに代わるから特定の大臣と仲良くなっても無駄である。 彼は私のだった。 」と調書で語っている。 ロッキード裁判 しかし(51年)、アメリカ上院で行われた公聴会で、「ロッキード社が日本の超国家主義者を秘密代理人として雇い、多額の現金を支払っている」事実が明らかにされ、日本は大騒ぎとなった。 その後、首相によってこの事件の捜査が開始され、すでにこの事件の中心人物と目されていた65歳の児玉はでの証人喚問が行われる直前に「発作」を起こし、床についた。 しかし、間もなく児玉は脱税と外為法違反でされ、裁判に臨むことになった。 (52年)6月に一度公判に出廷した後は病気と称して自宅を離れなかった。 元総理のは収賄容疑で逮捕され、(58年)10月に有罪判決が出された。 児玉は死期が近づいた時、「自分はCIAの対日工作員であった」と告白している。 72歳の児玉は判決が出る直前の(59年)1月に再び発作を起こして没し、裁判は打ち切りとなった。 当時、児玉が経営する企業の役員を務めていた日吉修二(2016年7月11日に死去。 『』『』File. 5 「ロッキード事件」でのインタビューが生涯で最後のインタビューとなった)によると、事件発覚直後、児玉の秘書から急遽呼ばれ、段ボール5箱分の書類をすぐに焼却するよう指示されたという。 日吉はインタビューの中で「これが天下の児玉だと思ってますよ。 それはやっぱり日本の為のですから、何か事を起こすのにはやっぱ資金がないとね。 (資金の)必要があったんじゃないかなと思う。 これやっぱりロッキード事件に絡んだ書類くらい思ってますよ。 伝票みたいなものもあったし、色んな綴じてある書類もあったし、そんないちいちね見ながらこれは焼いていいか、それはやらない。 私、意外と忠実だから言われたらピッと焼いちゃう。 ただ燃やしているチラチラ見える中には、英語の物もあったと思います。 」と述べている。 児玉の通訳の福田太郎も死ぬ直前、次のような供述をしている。 福田「アメリカの公聴会で領収書の一部が公表されることになりました。 ロッキード社から児玉さんに謝っておいてくれと電話がありました。 児玉「それは話が違う。 私に迷惑をかけないようにすると言っていたではないか。 秘書「それを否定しなければなりません。 先生は知らないと言えばいい。 判子と書類は燃やしてしまいます。 」 2016年に放送されたNHKスペシャル・未解決事件のインタビューに応じた元検事は「核心はではないか。 P3Cで色々あるはずなんだけど。 ( 児玉誉士夫がロッキード社から)金を上手に取る巧妙な手口は証言で取れている。 (そこから先の)金の使い方とか、こっちで解明しなきゃいけないけど、そこができていない。 それはもう深い物凄い深い闇がまだまだあって、日本の大きな政治経済の背後で動く闇の部分に一本光が入ったことは間違いないんだけど、国民の目から見れば検察、もっともっと彼らがどういう所でどんな金を貰ってどうしているのか、暗闇の部分を全部照らしてくれって。 悔しいというか申し訳ない」と語っている。 後の稲川会。 会長はで、後の稲川聖城• こだま もりひろ、 -• 皇道科を卒業したということになっている。 大西中将が自決に使った刀は児玉が贈った物といわれる。 大西中将が自決に使った刀は児玉が贈った物といわれる。 ・の村岡健次(後の北星会会長・)らが児玉機関で働いていた。 中国人や満州人を銃で脅し、恐ろしく安い値で物資を獲得したため略奪と呼ばれた。 他の部下には副機関長となったや、藤吉男、らの無法者がそろった。 以下は里見機関と水田機関とに対する関係である。 ・児玉は吉田彦太郎をのもとへ何度もやって、里見から中国の情報をもらっていた。 里見が親しい人にこぼすには、こと中国の情報収集に関しては、児玉はだめだった。 竹森久朝 『見えざる政府-児玉誉士夫とその黒の人脈』 白石書店 1976年 P 70 ・当初、現地で商事会社東光公司を経営していた 水田光義の水田機関を通じて物資を調達していた。 1943年、水田が暗殺される。 児玉は1948年の釈放後、 東京レアメタルという会社をに作った。 目的はのためにタングステンとモリブデンを調達することだった。 のちに大元産業と改称された。 Glenn Davis and John G. Roberts 守山尚美訳 『軍隊なき占領-ウォール街が「戦後」を演出した』 新潮社 1996年12月 P 100 の頃、が代表取締役であった日本海商事は、東京レアメタルの輸送部門を請け負っていた。 竹森久朝 『見えざる政府-児玉誉士夫とその黒の人脈』 白石書店 1976年 P70-71 そして児玉は、小松信之助という人物がCIAにタングステンを納入する契約書の保証人となっている。 1954年8月10日に報告された情報。 CIA Name Files, the Second Release 2002, Yoshio Kodama. 児玉機関のような仕事はすでに、などの大企業が入っていたが即決主義で集めたため現地では重宝された。 巣鴨拘置所での1947年4月21日付取調べによると、児玉機関の資産の総額は当時の日本円に換算して7000万円あったという。 ただし、終戦時の資産評価額。 『児玉誉士夫-巨魁の昭和史』文春新書 2013年 p. 所有していたという鉱山は以下の通り。 「」も参照 山梨県 塩山 乙女鉱山(タングステン、モリブデン) 滋賀県 鮎川(ひょうたん石) 京都府 鐘打鉱山(タングステン) 福岡県 福岡鉱山(タングステン) 島根県 清久鉱山(モリブデン) 秋田県 平沢 北日本カーバイド社(タングステン鉄、モリブデン鉄) 前掲書『児玉誉士夫-巨魁の昭和史』P. 「1948年末、釈放された児玉は中央情報局(CIA)に協力するようになった」と後にアメリカでも報道された [ ]という。 しかし、1953年に記録され2005年に機密解除されたCIA文書で、児玉は次のように評されている。 諜報工作員としての価値は事実上ゼロ。 職業的な嘘つき、ギャング、ペテン師、根っからの泥棒。 実際の諜報工作技能は皆無であり、金儲け以外に関心がない。 Edward Drea, Greg Bradsher, Robert Hanyok, James Lide, Michael Petersen, and Daqing Yang, 2006 , p208• 1953年9月1日付報告書『日本人インテリジェント・サービス』が児玉の取り組んでいる課題とするものを4点掲げている。 ・日本共産党を破壊し、共産主義の影響力をアジアから排除すること。 ・日本を反共産主義連盟の主要国とすること。 ・軍閥の再武装を通じて、国家主義的日本を再建すること。 ・予想される日本共産党による流血革命に対抗する計画を練り、それに備えること。 前掲書『児玉誉士夫-巨魁の昭和史』p. 128. 戦時犯罪の疑いをかけられたくなかった海軍は児玉に処分を依頼。 この海軍の秘密資金を海相の了承を得て掌中にしていた。 旧海軍の資産のためアメリカも没収せずに、宙に浮いた。 そして吉田彦太郎の管理する緑産業ビル地下に隠匿。 後の本社所在地。 、と並ぶ右翼のボス。 の私設秘書であった。 系の黒幕として隠然たる影響力を持った。 児玉の出所3日前に病死。 春名幹男 『秘密のファイル : CIAの対日工作』 上巻 共同通信社 2000年 p. 264 「」も参照• 1959年(昭和34年)から1960年(昭和35年)の第一波。 の訪日を日本政府に中止させた。 警察の動員数では大統領の移動経路を確保できなかった。 このとき自民党からは6億円前後の資金が提供されていたが、右翼と暴力団の間で行方不明となった。 児玉らは嫌疑をかけられ真相究明会まで設けられたが、いつしか沙汰やみになった。 竹森久朝 『見えざる政府-児玉誉士夫とその黒の人脈』 白石書店 1976年 P 79-80• 田岡を兄とする• 顧問には日本国粋会、松葉会、義人党などの親分がいた。 実名では天野辰夫や、、、、らがいた。 全愛会議はスト破りや組合潰しを暴力で行った。 日乃丸青年隊の高橋正義を議長とし、下部組織には系の元組長やのが代表を務める組織があった。 新潟県の山中で軍事訓練を行い、児玉は訓練後、「君達各人が一人一殺ではなく一人で百人を殺してくれることを望む」と会員に語った。 青思会は日本最大の行動右翼として児玉に反目する者を恐れさせた。 「」も参照• 世界反共連盟の地域団体。 後に系の団体・の設立につながる。 「」によれば、米国では、-児玉誉士夫-笹川良一などを通ずる関係が、米下院国際機関小委員会(フレーザー委員会。 委員長はドナルド・M・フレーザー民主党議員)での証言で明らかになっている。 山梨県本栖湖畔にある全日本モーターボート競走連合会の施設で開催。 前身は楠皇道隊• 朴政権の政策にはが呼応し、が共鳴した。 に大変賛同的であったことは有名である。 当時4丁目の雑居ビルに事務所を構えていた。 報酬は現金1億円だった。 日本精蝋では太刀川恒夫が役員に名を連ねたこともある。 竹森久朝 『見えざる政府-児玉誉士夫とその黒の人脈』 白石書店 1976年 P 160• 児玉が介入した乗っ取り事件は数多い。 ・例えば社長のから莫大な資金提供を受けていた。 ・には粉飾決算に揺れる株式会社の株主総会乗り切りに絡んで、同社長の東郷民安から児玉や、配下のに金銭が渡っている。 「」も参照• 1960年10月設立。 現在の実質的な持ち株会社は博報児童教育振興会。 主としてが宣伝広告部門で独占契約をしている企業を標的にした。 、などは、広告部門の一部を博報堂に割かねばならなかった。 竹森久朝 『見えざる政府-児玉誉士夫とその黒の人脈』 白石書店 1976年 P 169-170 なお、電通はとの関係が論じられている。 1972年11月30日に社長就任。 9日前に「亜土」という会社を設立。 資本金は200万円。 のちに博報堂の株式30. 6%を所有するトンネル会社となる。 株式保有の過程に特別背任容疑をかけられ、1975年11月27日に福井は東京地検特捜部に逮捕された。 1968年11月17日の佐藤栄作日記では、が中曽根派との協力を得るために児玉と会うことを持ちかけてきたが、佐藤は折角遠のいた児玉と再び接触を持つことやが児玉の影響を受けることを嫌い、言下に断ったと綴られている。 更に佐藤は腹心のや田中角栄に対しても児玉の動向に注意を払うよう伝えている。 同年のでは、右翼から非難される退廃ぶりを露呈した。 ティム・ワイナー「CIA秘録」文藝春秋• 角間隆 1979. ドキュメント日商岩井. 徳間書店• 川端治 1963. 自民党 その表と裹. 新日本出版社• 『首領 昭和闇の支配者 三巻』、2006年、 p. 273• 有馬哲夫『歴史問題の正解』新潮新書2016年、pp. 185-190• 有馬哲夫『歴史問題の正解』新潮新書2016年、pp. 195-202• 『黒幕 昭和闇の支配者 第1巻』、2006年、 p. 『児玉誉士夫自伝 悪政・銃声・乱世』• 本間憲一郎が天行会理事のため。 自著『われかく戦えり』、1975年、pp. 321-327• 社会部編『沈黙のファイル : 「瀬島龍三」とは何だったのか』新潮社、1999年、47頁。 Glenn Davis and John G. Roberts 守山尚美訳 『軍隊なき占領-ウォール街が「戦後」を演出した』 新潮社 1996年12月 p. 100. 有馬哲夫『児玉誉士夫-巨魁の昭和史』文春新書 2013年 pp. 67-80. 総理庁官房監査課編 『公職追放に関する覚書該当者名簿』 日比谷政経会、1949年、頁。 竹森久朝 『見えざる政府-児玉誉士夫とその黒の人脈』 白石書店 1976年 P 167-169• 権田萬治『松本清張 時代の闇を見つめた作家』(文藝春秋・2009年)第八章• 加藤典洋編『村上春樹』(荒地出版社・1996年)p.

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