烏許がましい。 「烏滸がましい(おこがましい)」の意味や使い方 Weblio辞書

目上の人に使える「厚かましい」の意味と使い方、類語「図々しい・おこがましい」との違いについて解説

烏許がましい

公開日: 2018. 19 更新日: 2018. 19 目上の人に使える「厚かましい」の意味と使い方、類語「図々しい・おこがましい」との違いについて解説 「厚かましい」という言葉をご存知でしょうか。 「厚かましい人」「厚かましい態度」などと使われているように、意味について知っている方も多いかと思います。 では、どのような場面で使うのでしょうか。 実は日常会話だけでなく、ビジネスシーンにおいてもよく使われる表現なのです。 「厚かましい」はあまり良い印象がない言葉かもしれませんが、一体どのように使うのでしょうか。 また、「図々しい」「おこがましい」といった似た言葉がありますが、何か違いはあるのでしょうか。 頻繁に使われる表現なだけに、しっかりと覚えておく必要があります。 そこで今回は「厚かましい」の意味や使い方、類語、反対語について解説していきます。 「厚かましい」を正しく知って、上手く使えるようにしましょう! 「厚かましい」の意味 「厚かましい」の意味は 「恥を恥だと思わない。 ずうずうしい。 厚顔である」です。 行動や態度に慎みがない様子・ずうずうしくて恥じる気持ちや遠慮がないさまを表します。 「厚かましい」には「他人に迷惑をかけているという意識があるにも関わらず.... 」というニュアンスが含まれます。 「厚かましい」は「厚い」+「かましい」で成り立っています。 「厚い」は「他者への関わり方の程度がはなはだしいこと。 深いこと」を意味します。 「かましい」は「〜のきらいがある」「〜ようすである」「〜の傾向がある」と物事や状態に似ている意を表します。 「厚かましい」は、「面の皮が厚い」から「厚皮」=「あつかわしい」=「あつかましい」に変化したと言われています。 他にも、「厚顔」という言葉から「厚」をとって「厚かましい」としたという説もあります。 「厚かましい」の使い方と例文 「厚かましい」は自分の行動が図々しいことを、みっともないと恥じ入る気持ちがない様子を表す場合に使います。 自分の行動だけでなく、相手の行動に対しても「厚かましい」は使うことができます。 他にも、「厚かましいにもほどがある」「厚かましすぎる」などという使い方もあります。 「厚かましい」は日常会話以外にも、ビジネスシーンで使います。 主に、お願いや依頼をする場面で「厚かましい」を用います。 依頼が相手に迷惑になる内容だと分かっている場合に、「身勝手なこととは承知ですが... 」という意味合いを込めて「厚かましいお願いですが〜」と言います。 単に「お願いですが〜」と言うよりも、相手に不快な思いをさせることなく、依頼を受け入れてもらえやすい雰囲気を出すことができます。 また、無茶な依頼を引き受けてくれた場合は「厚かましい希望」「厚かましいお願い」といった形で、お礼を伝えられます。 言い回しとしては、 ・厚かましいお願いですが ・厚かましいお願いではございますが ・誠に厚かましいお願いとは存じますが ・厚かましいお願いで恐縮ですが ・厚かましいとは存じますが などとなります。 例文 ビジネスシーンでの例文 ・厚かましいとは存じますが、お言葉に甘えて頂戴します。 ・厚かましいお願いですが、こちらのペンをお借りしてもよろしいですか。 ・誠に厚かましいお願いではありますが、ご連絡をいただけると幸いです。 ・厚かましいお願いで恐縮ですが、お話を聞かせていただきたく存じます。 ・先日は厚かましいことをお願いしてしまい、大変申し訳ありませんでした。 ・厚かましい希望にも関わらず、引き受けてくださり、誠に感謝申し上げます。 日常会話での例文 ・本当に彼は厚かましくて、対応するのが面倒くさい。 ・会うたびにお金を貸してくれとねだるなんて、厚かましすぎる。 ・平気で並んでいる列に割り込んでくるなんて、厚かましいにもほどがある。 ・今まで彼女みたいな厚かましい人なんて、見たことがないよ。 ・あの人は毎度のごとく、何かある度に厚かましくしゃしゃり出る。 「厚かましい」と「図々しい」の違い 「図々しい」の意味は 「人に迷惑をかけながら平気でいるさま。 ずぶとく、あつかましいこと」です。 「図」は「計画。 はかりごと。 企み」を意味します。 この「図」を重ねて形容詞化したものが、「図々しい」です。 「ちゃんと並んでいる列に図々しく割り込む」「図々しく席を詰めてくる」などと使います。 「厚かましい」は「行動や態度に慎みがないようす。 恥じる気持ちや遠慮がないこと」 「図々しい」は「相手の都合や状態を考えず、身勝手に振る舞うこと」 「厚かましい」よりも「図々しい」の方が、「自己中心的な」「わがままな」という意味合いが強まります。 「図々しい」は「厚かましい」よりもややくだけた表現です。 ビジネスの場など改まったシーンなどで、人にお願いをするときは「厚かましい」を使います。 例文 ・許可していないのに、図々しく人の家に上がりこむ。 ・彼は図々しく、許しを得ずに人のものを勝手に使ってしまう。 ・あの人は図々しくそばに寄ってきて、あたかも友達かのように接してくる。 「厚かましい」と「おこがましい」の違い 「おこがましい」の意味は、 1. ばかげていて、みっともない。 物笑いになりそうだ 2. 出過ぎている。 さしでがましい。 なまいきだ です。 「おこがましい」には2つ意味がありますが、主に「生意気である、思い上がっていてしゃくにさわる。 分相応であるさま」を表します。 身の程をわきまえていない様子を示しています。 「厚かましい」は「行動や態度に慎みがないようす。 恥じる気持ちや遠慮がないこと」 「おこがましい」は「分不相応なさま。 自分の身では出過ぎているさま」 「おこがましいことをお願いしますが... 」「厚かましいお願いですが... 」と2つとも依頼する場合に使います。 どちらも、自身の行動をへりくだる表現ですが、意味合いが少々異なります。 目上の人に対して、「申し訳ないが... 」といった気持ちをより強調したい場合は「おこがましい」を使います。 他にも、「おこがましい」は目上の人に何かを意見する場合にも、「私のような者が出過ぎた真似をしますが... 」という意味で使うことができます。 また、「厚かましい」は自分と相手の行動に対して使えますが、「おこがましい」は自分の行動にしか使いません。 例文 ・おこがましいことを承知で申し上げますが、先ほどの案件について私の考えを話してもいいでしょうか。 ・おこがましいのは重々承知ですが、先ほどのお話に若干の違和感を覚えました。 「厚かましい」と「差し出がましい」の違い 「差し出がましい」の意味は 「でしゃばるようである。 余計なことをする感じである」です。 「お節介」「余計なお世話」ということで、本来自分のすべき役割ではないことを行ってしまう様子を表します。 「厚かましい」は「行動や態度に慎みがないようす。 恥じる気持ちや遠慮がないこと」 「差し出がましい」は「出しゃばるような感じを与える。 必要以上に他人に関与しようとすること」 「厚かましい」と「差し出がましい」では意味が異なります。 「差し出がましい」は他人に対して必要以上に余計な世話を焼いたり、しゃしゃり出ることをする様子を表します。 「厚かましい」と同様に、ビジネスシーンでも使います。 改まった場面では、目上の相手に何か言いづらいような意見を言う場合に「差し出がましいことを言うようですが... 」といった形で用います。 これは「非常におせっかいなことを言いますが.... 」といったニュアンスです。 例文 ・先日は差し出がましいことをしてしまい、大変申し訳ありませんでした。 ・差し出がましいことを言うようですが、今回使うのは資料Aではなく、資料Bではありませんか。 ・伯母さんはいつもお見合いを勧めてくる、非常に差し出がましい人である。 「厚かましい」と「不躾(ぶしつけ)」の違い 「不躾」の意味は 「礼儀作法をわきまえないこと。 無作法。 無礼」です。 「不躾」には「露骨」や「唐突」という意味も含まれます。 「厚かましい」は「行動や態度に慎みがないようす。 恥じる気持ちや遠慮がないこと」 「不躾」は「礼儀作法をわきまえていないこと。 失礼なこと。 無礼なこと」 このように、「厚かましい」と「不躾」では意味が異なります。 「厚かましい」と同様に、「不躾なお願いで恐縮ですが〜」などと依頼することができますが、これを使う場面としては、お願いが相手にとって急なことであったり、相手にとって手間になる場合です。 「不躾なお願い」は「無茶なお願い。 失礼なお願い」という意味なので、めったに使うことはありません。 また、「厚かましい」は相手だけでなく自分の行動に対しても使いますが、「不躾」は自分の行動に対して使うことが多いです。 例文 ・不躾であることは承知ですが、今からお伺いしてもよろしいでしょうか。 ・不躾なお願いにも関わらず、承諾していただき誠になりがとうございます。 ・不躾な質問ではありますが、こちらはどこでお買い求めになったのでしょうか。 「厚かましい」の類語 横風<おうふう> (意味:威張って人を見下したような態度であること) 「あの人はいつも横風な態度を取っている」 僭上<せんじょう> (意味: 身分をわきまえないで、差し出た行為をすること) 「僭上の振る舞いを受ける」 ふてぶてしい (意味:大胆不敵である。 憎らしいほどずぶとい) 「ふてぶてしい態度を見せていた」 馴れ馴れしい (意味:無遠慮であるさま。 ぶしつけであるさま) 「彼は誰に対しても馴れ馴れしく口をきく」 臆面もない (意味:気後れした顔色や様子を見せないで) 「臆面もなく頼みごとをしてくる」 盗人(ぬすっと)たけだけしい (意味:悪事を働いていても、平気にしているさま) 「君は簡単に人を裏切るね。 まさに盗人たけだけしい」 図太い (意味:少しのことで動じない。 肝が太い) 「だいぶ図太い神経をしているから何も感じないよ」 無遠慮 (意味:遠慮のないこと。 不作法) 「無遠慮な言葉を投げかけてくる」 無神経 (意味:物事の感じ方が鈍いこと。 また、外聞や恥辱、他人の感情などを気にかけないこと) 「あの女は無神経にもほどがある」 鉄面皮<てつめんぴ> (意味:恥を恥だとも感じないこと。 あつかましいこと) 「鉄面皮な男だから、何を言っても無駄だ」 しゃしゃり出る (意味:でしゃばって出てくる。 厚かましくでしゃばる) 「何にでもしゃしゃり出てきて非常に不快である」 悪びれない (意味:気後れしないで卑屈な様子も見せない。 未練がましく振る舞わないこと) 「あんなことをしたのに、彼女は悪びれていないよ」 野太い (意味:はなはだ横着であるさま。 大胆であること) 「本当にあなたは野太い奴だね」 「厚かましい」を意味する四字熟語「 厚顔無恥」 「厚顔無恥」は< こうがんむち>と読みます。 「厚顔無恥」の意味は 「あつかましくて、恥を恥とも思わないこと」です。 「面の皮のあついこと」を「厚顔」、「恥を恥とも思わないこと」を「無恥」と言います。 この2つが組み合わさり「恥知らず」を強調する言葉となりました。 「厚顔無恥」とは「他の人のことを全く考えない行動をしたうえで、それに対して全く恥じることや申し訳なさそうに思う姿勢がない」ときに使用する言葉です。 「厚顔無恥」を「厚顔無 知」と表記する人がいますがこれは間違いです。 「無知」という言葉もあり、これも「知識や知恵がないこと」を表すネガティブな意味です。 そのため、「厚顔無 "知" 」と書いてあってもあまり違和感はありません。 しかし、四字熟語として正しいのは「厚顔無恥」なので注意しましょう。 例文 ・彼はどこまでも厚顔無恥で観ているこっちが恥ずかしくなる。 ・無能で無責任で、なんとも厚顔無恥な政治家だ。 ・電車やバスの中で、普通に化粧をするなんて厚顔無恥だよ。

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森鴎外 羽 は 鳥 とり 千 ち 尋 ひろ は 實 じつ 在 ざい の 人 じん 物 ぶつ である。 惜 を しい 事 こと には、 今 いま では 實 じつ 在 ざい の 人 じん 物 ぶつ であつたと 云 い はなくてはならない。 明 めい 治 ぢ 四 し 十 じふ 三 さん 年 ねん の 夏 なつ であつた。 己 おれ の 所 ところ に 一 いつ 封 ぷう の 手 て 紙 がみ が 屆 とゞ いた。 それは 己 おれ の 所 ところ へ 多 おほ く 屆 とゞ く 種 しゆ 類 るゐ の 手 て 紙 がみ の 一 ひと つに 過 す ぎない。 己 おれ の 内 うち に 書 しよ 生 せい に 置 お いてくれと 云 い ふ 手 て 紙 がみ である。 併 しか しそれを 書 か いた 羽 は 鳥 とり 千 ち 尋 ひろ と 云 い ふ、 當 たう 時 じ 二 に 十 じふ 二 に 歳 さい の 青 せい 年 ねん は 一 ひと つの 注 ちゆう 意 い すべき 履 り 歴 れき を 持 も つてゐる。 羽 は 鳥 とり は 明 めい 治 ぢ 四 し 十 じふ 一 いち 年 ねん の 夏 なつ 貧 ひん と 病 やまひ との 爲 た めに、 兼 か ねて 大 だい 學 がく へ 這 は 入 い らうと 思 おも つてゐた 志 こゝろざし を 飜 ひるがへ して、 醫 い 術 じゆつ 開 かい 業 げふ 試 し 驗 けん を 受 う けようと 思 おも ひ 立 た つた。 そして 半 はん 年 とし 許 ばか り 獨 どく 學 がく をして、 翌 よく 四 し 十 じふ 二 に 年 ねん の 春 はる 前 ぜん 期 き 試 し 驗 けん に 及 きふ 第 だい した。 それから 又 また 一 いち 年 ねん 許 ばか り 獨 どく 學 がく をして、 己 おれ に 手 て 紙 がみ をよこした 四 し 十 じふ 三 さん 年 ねん の 春 はる 、 後 こう 期 き 學 がく 説 せつ 試 し 驗 けん に 及 きふ 第 だい してゐる。 醫 い 學 がく と 云 い ふものがどんなものだか、 夢 ゆめ にも 知 し らなかつた 青 せい 年 ねん が、 僅 わづ か 一 いち 年 ねん 半 はん で 政 せい 府 ふ が 醫 い 師 し に 向 むか つて 要 えう 求 きう する 丈 だけ の 知 ち 識 しき を 攫 くわく 得 とく してゐる。 そこで 後 こう 期 き 實 じつ 地 ち 試 し 驗 けん を 受 う ける 準 じゆん 備 び がしたい。 それは 田舍 ゐなか の 家 いへ の 机 つくゑ の 上 うへ では 出 で 來 き ない。 羽 は 鳥 とり は 當 たう 時 じ 上 かう 野 つけの 國 くに 群 ぐん 馬 ま 郡 ごほり 瀧 たき 川 がは 村 むら 大 おほ 字 あざ 板 いた 井 ゐ と 云 い ふ 所 ところ の 家 いへ にゐた。 その 準 じゆん 備 び として 診 しん 察 さつ や 治 れ 療 れう の 實 じつ 地 ち を 見 み る 爲 た めに、 東 とう 京 きやう に 出 で てゐたいと 云 い ふのである。 同 おな じ 種 しゆ 類 るゐ の 手 て 紙 がみ が 己 おれ の 所 ところ へは 多 おほ く 屆 とゞ くが、 羽 は 鳥 とり のやうな 履 り 歴 れき を 持 も つた 手 て 紙 がみ の 主 ぬし は 少 すくな い。 丁 ちやう 度 ど 或 あ る 役 やく 所 しよ に 雇 こ 員 ゐん の 位 ゐ 置 ち があつたので、 己 おれ は 頼 たの んで 羽 は 鳥 とり をそこへ 入 い れて 貰 もら つた。 羽 は 鳥 とり は 上 じやう 京 きやう して 己 おれ の 所 ところ へ 尋 たづ ねて 來 き た。 背 せい の 高 たか い、 只 たゞ 見 み たばかりでは 病 びやう 身 しん らしくもない 男 をとこ である。 細 ほそ 面 おもて で 鼻 はな が 高 たか く、 目 め が 大 おほ きい。 二 に 十 じふ 二 に 歳 さい にしては、 言 げん 語 ご も 擧 きよ 動 どう も 不 ふ 思 し 議 ぎ な 程 ほど 無 む 邪 じや 氣 き である。 一 ひと 晩 ばん 内 うち に 泊 とま らせて、 翌 よく 朝 あさ 電 でん 車 しや に 乘 の る 世 せ 話 は までして 役 やく 所 しよ へ 遣 や つた。 羽 は 鳥 とり は 牛 うし 込 ごめ に 借 しやく 家 や をして、 雇 こ 員 ゐん 仲 なか 間 ま の 何 なに 某 がし と 一 いつ しよに 自 じ 炊 すゐ をしてゐた。 職 しよく 務 む には 勉 べん 勵 れい する。 その 職 しよく 務 む と 云 い ふのは 細 さい 菌 きん 學 がく を 應 おう 用 よう した 製 せい 造 ざう で、 豫 よ 備 び 知 ち 識 しき なしには 出 で 來 き にくいのである。 それを 羽 は 鳥 とり は 造 ざう 做 さ もなく 覺 おぼ えて、 殆 ほと んどその 主 しゆ 腦 なう になつて 働 はたら いてゐる。 併 しか し 體 からだ には 容 よう 易 い ならぬ 病 びやう 氣 き があるらしい。 役 やく 所 しよ は 醫 い 者 しや ばかりの 勤 つと めてゐる 所 ところ なので、 診 しん 察 さつ を 受 う けさせた。 病 やまひ は 脊 せき 椎 つゐ にある。 結 けつ 核 かく 性 せい のものだらうと 云 い ふことである。 さう 云 い ふ 體 からだ でありながら、 羽 は 鳥 とり は 折 をり 々 /\ 己 おれ の 所 ところ へ 訪 たづ ねて 來 き ても、 病 びやう 氣 き の 事 こと は 話 はな さない。 今 いま の 職 しよく 務 む をしてゐては、 細 さい 菌 きん 學 がく の 技 ぎ 巧 かう を 覺 おぼ える 丈 だけ で、 病 びやう 人 にん を 視 み ることが 出 で 來 き ないから、 同 おな じ 役 やく 所 しよ の 診 しん 療 れう 部 ぶ の 方 はう へ 入 い れ 替 か へて 貰 もら ひたいなどと 云 い ふ。 始 し 終 じゆう 試 し 驗 けん を 受 う ける 準 じゆん 備 び の 事 こと を 考 かんが へてゐたのである。 羽 は 鳥 とり は 丸 まる 二 に 年 ねん 勤 つと めた。 診 しん 療 れう 部 ぶ へ 入 い れ 替 か へることも、 役 やく 所 しよ の 人 ひと に 話 はな しては 置 お いたが、どうなつたか 己 おれ は 知 し らずにゐた。 すると 突 とつ 然 ぜん 羽 は 鳥 とり が 危 き 篤 とく だと 云 い ふことを、 一 いつ しよに 住 す んでゐる 雇 こ 員 ゐん が 電 でん 話 わ で 知 し らせた。 同 どう 僚 れう の 醫 い 學 がく 士 し に 頼 たの んで 往 わう 診 しん して 貰 もら つた 時 とき は、 羽 は 鳥 とり はもう 注 ちゆう 射 しや 藥 やく で 僅 わづ かに 心 しん 臟 ざう の 機 き 能 のう を 維 ゐ 持 ぢ して 貰 もら つてゐたのである。 羽 は 鳥 とり は 病 びやう 氣 き を 自 じ 覺 かく してから 五 ご 年 ねん 目 め 、 速 そく 成 せい の 目 もく 的 てき を 以 も つて 醫 い 術 じゆつ 開 かい 業 げふ 試 し 驗 けん に 志 こゝろ ざしてから 四 よ 年 ねん 目 め に、 後 こう 期 き 實 じつ 地 ち 試 し 驗 けん 丈 だけ を 殘 のこ して、 二 に 十 じふ 四 し 歳 さい で 死 し んだ。 羽 は 鳥 とり と 同 おな じやうな 手 て 紙 がみ を 己 おれ によこして、 同 おな じ 役 やく 所 しよ の 雇 こ 員 ゐん になつて、 去 きよ 年 ねん 肺 はい 結 けつ 核 かく で 死 し んだ 大 おほ 塚 つか 壽 じゆ 助 すけ と 云 い ふ 男 をとこ がある。 甲 かふ 山 ざん と 云 い ふ 名 な で 俳 はい 句 く を 作 つく つて、 多 た 少 せう 人 ひと にも 知 し られてゐた。 世 せ 間 けん にはなんと 云 い ふ 不 ふ 幸 かう な 人 ひと の 多 おほ いことだらう。 下 しも に 寫 うつ すのは 一 いつ 昨 さく 年 ねん の 夏 なつ 羽 は 鳥 とり が 己 おれ によこした 手 て 紙 がみ である。 失 しつ 禮 れい ではなからうか、あつかましい 事 こと ではあるまいかと、 幾 いく 度 たび か 躊 ちう 躇 ちよ しても 思 おも ひ 切 き られないので、とうとう 此 この 手 て 紙 がみ を 書 か く。 手 て 紙 がみ はどれ 丈 だけ 長 なが くなるか 知 し らぬが、その 中 なか に 一 ひと 言 こと の 僞 いつはり もないと 云 い ふこと 丈 だけ は 誓 ちか つて 置 お く。 どうぞ 先 せん 生 せい の 見 み 卸 おろ してお 出 いで になる 遠 とほ い 麓 ふもと の 群 ぐん 集 しふ の 中 なか で、 小 ちひ さい 聲 こゑ のするのに、 暫 しばら らくの 間 あひだ 耳 みゝ を 借 か して 下 くだ さい。 そして「お 前 まへ は 誰 だれ だ」と 問 と うて 下 くだ さい。 私 わたし は 上 かう 野 つけの 國 くに 利 と 根 ね 川 がは の 畔 ほとり の 沃 よく 野 や に 生 う まれた 青 せい 年 ねん である。 羽 は 鳥 とり 氏 し。 名 な は 千 ち 尋 ひろ。 年 とし は 慌 あわ ただしく 重 かさ ねて 二 に 十 じふ 二 に 歳 さい になつてゐる。 父 ちゝ 文 ぶん 策 さく は 陸 りく 軍 ぐん の 軍 ぐん 醫 い を 勤 つと めてゐたが、 明 めい 治 ぢ 三 さん 十 じふ 二 に 年 ねん に 十 じふ 一 いつ 歳 さい の 私 わたし を 殘 のこ して 亡 な くなつた。 私 わたし は 烏 を 許 こ がましいが、 小 せう 學 がく の 八 はち 年 ねん を 首 しゆ 席 せき で 經 けい 過 くわ した。 三 さん 十 じふ 六 ろく 年 ねん に 十 じふ 五 ご 歳 さい で 中 ちゆう 學 がく 二 に 年 ねん の 試 し 驗 けん を 受 う けて 首 しゆ 席 せき で 入 にふ 選 せん した。 それから 皇 くわう 軍 ぐん がロシアと 戰 たゝか つて 捷 か つた 三 さん 十 じふ 八 はち 年 ねん の 春 はる 、 五 ご 十 じふ 餘 よ 人 にん 中 ちゆう の 首 しゆ 席 せき で 中 ちゆう 學 がく の 業 げふ を 卒 を へた。 橡 どん 栗 ぐり の 殼 から は 裂 さ けて、 纔 わづ かに 緑 みどり の 芽 め を 吹 ふ いたのである。 私 わたし は 卒 そつ 業 げふ 式 しき の 日 ひ に 縣 けん 知 ち 事 じ の 前 まへ で 答 たふ 辭 じ を 讀 よ み、 母 ぼ 校 かう の 庭 には に 卒 そつ 業 げふ 記 き 念 ねん 樹 じゆ を 植 う ゑて、 未 み 來 らい を 薔 ば 薇 ら 色 いろ に 見 み てゐた。 然 しか るに 間 ま もなく 近 きん 親 しん が 財 ざい 産 さん 差 さし 押 おさへ の 處 しよ 分 ぶん を 受 う けて、 一 いつ 旦 たん 東 とう 京 きやう に 上 のぼ つてゐた 私 わたし は 呼 よ び 戻 もど された。 混 こん 雜 ざつ の 最 さい 中 ちゆう 、 四 し 十 じふ 年 ねん の 春 はる 、 私 わたし は 端 はし なく 病 やまひ を 得 え た。 既 すで に 乏 とぼ しくなつてゐた 私 わたし の 家 いへ の 財 ざい 産 さん は、 此 この 時 とき 消 せう 耗 まう し 盡 つく された。 病 びやう 褥 じよく から 起 た つた 私 わたし は、 猫 ねこ の 額 ひたひ 程 ほど の 田 でん 地 ぢ に 運 うん 命 めい を 繋 つな いでゐなくてはならぬ 人 にん 間 げん になつてゐた。 是 ぜ 非 ひ 大 だい 學 がく に 這 は 入 い らうと 期 き 待 たい してゐた 私 わたし が、 小 こ 作 さく 人 にん となつて 草 さう 木 もく と 同 おな じく 朽 く ちなくてはならぬのであらうか。 併 しか し 私 わたし はそれに 甘 あま んずることが 出 で 來 き ない。 それでは 祖 そ 先 せん に 對 たい し、 亡 な き 父 ちゝ に 對 たい し、 十 じふ 年 ねん の 苦 く 衷 ちゆう を 盡 つく した 母 はゝ に 對 たい して 面 めん 目 ぼく が 無 な い。 疲 つか れた 馬 うま も 笞 むち うてば 奔 はし る。 財 ざい 産 さん も 健 けん 康 かう も 亡 な くしてはゐるが、なるべく 平 へい 坦 たん な 近 ちか 道 みち のある 目 もく 的 てき 地 ち を 選 えら んで 進 すゝ んだら、 行 ゆ き 着 つ かれぬことはあるまい。 それには 開 かい 業 げふ 試 し 驗 けん を 受 う けて 醫 い 師 し になるに 若 し くはない。 それも 驅 かけ 足 あし で 遣 や つて、 糊 こ 口 こう の 資 し 丈 だけ が 得 え られるやうになつたら、 其 その 上 うへ で 幾 いく らも 學 がく 問 もん は 出 で 來 き ようと、 私 わたし は 考 かんが へた。 そこで 醫 い 書 しよ を 東 とう 京 きやう から 取 と り 寄 よ せて、 田舍 ゐなか で 讀 よ んだ。 昨 さく 年 ねん の 春 はる 前 まへ 橋 ばし で 前 ぜん 期 き 試 し 驗 けん に 及 きふ 第 だい した。 今 こ 年 とし の 春 はる 後 こう 期 き 學 がく 説 せつ 試 し 驗 けん に 及 きふ 第 だい した。 さあ、これから 實 じつ 地 ち 試 し 驗 けん だと 云 い ふ 時 とき になつて、 私 わたし には 東 とう 京 きやう に 出 で て 試 し 驗 けん を 受 う ける 準 じゆん 備 び をする 丈 だけ の 金 かね がない。 併 しか し 私 わたし はここに 立 たち 往 わう 生 じやう をすることは 出 で 來 き ない。 道 みち は 窮 きは まれば 通 つう ずる。 どこかに 一 いち 條 でう の 活 くわつ 路 ろ があらうと、 醍 さ めて 思 おも ひ 寐 ね て 思 おも ひ、 深 しん 夜 や の 囈 うは 語 こと に 屡 しば/\ 家 か 人 じん を 驚 おどろ かした 末 すゑ 、とうとう 先 せん 生 せい に 此 この 手 て 紙 がみ を 上 あ げることになつた。 先 せん 生 せい。 どうぞ 踏 ふ みにじられた 橡 どん 栗 ぐり の 芽 め ばえを、お 庭 には の 隅 すみ に 植 う ゑて 下 くだ さい。 私 わたし はそこで 育 そだ つことが 出 で 來 き なかつたら、 先 せん 生 せい の 足 あし で 踏 ふ みにじつて 戴 いたゞ きたい。 昔 むかし 天 てん 領 りやう と 云 い つた 利 と 根 ね 川 がは の 畔 ほとり の 地 ち に、 毎 まい 年 ねん 江 え 戸 ど 淺 あさ 草 くさ のお 藏 くら へ 米 こめ 何 なん 千 ぜん 俵 べう かを 納 をさ める 名 な 主 ぬし があつた。 その 名 な 主 ぬし の 親 しん 類 るゐ に、 水 すゐ 利 り の 相 さう 談 だん なぞの 時 とき 、 飽 あ くまで 自 じ 己 こ の 意 い 見 けん を 主 しゆ 張 ちやう して 毫 がう も 讓 ゆづ らない、 強 がう 情 じやう な 爺 ぢ いさんがゐた。 土 と 地 ち の 人 ひと は 爺 ぢ いさんを 天 てん 狗 ぐ 樣 さま と 呼 よ んでゐた。 私 わたし の 父 ちゝ はこの 天 てん 狗 ぐ 樣 さま の 子 こ である。 私 わたし の 生 うま れる 少 すこ し 前 まへ に、 名 な 主 ぬし の 一 いち 族 ぞく は 財 ざい 産 さん を 合 がつ 併 ぺい して 製 せい 絲 し 事 じ 業 げふ を 興 おこ した。 後 のち に 幾 いく 軒 けん かの 親 しん 類 るゐ が 破 は 産 さん したのは、 此 この 事 じ 業 げふ に 失 しつ 敗 ぱい した 結 けつ 果 くわ である。 父 ちゝ は 同 おな じ 親 しん 類 るゐ 仲 なか 間 ま の 醫 い 師 し 羽 は 鳥 とり 小 こ 右 う 衞 ゑ 門 もん の 養 やう 子 し になつて、 東 とう 京 きやう に 上 のぼ つて 醫 い 學 がく を 修 しゆ 行 ぎやう してゐた。 此 この 養 やう 家 か も 初 はじ め 富 ふ 有 いう で、「 小 こ 右 う 衞 ゑ 門 もん は 福 ふく 島 しま まで 往 ゆ くに 人 ひと の 地 ぢ 面 めん は 踏 ふ まぬ」と 云 い はれてゐたのに、 矢 や 張 はり 一 いち 族 ぞく 破 は 産 さん の 影 えい 響 きやう を 受 う けた。 福 ふく 島 しま と 云 い ふのは、 私 わたし のゐた 村 むら から 三 みつ つ 先 さ きの 村 むら である。 明 めい 治 ぢ 二 に 十 じふ 七 しち 八 はち 年 ねん の 役 えき に 父 ちゝ は 軍 ぐん 醫 い に 出 しゆつ 身 しん して、 二 に 十 じふ 九 く 年 ねん に 臺 たい 灣 わん に 渡 わた つた。 度 たび 々 /\ 土 ど 匪 ひ 討 たう 伐 ばつ 隊 たい に 附 つ いて 行 ゆ くうちに 病 びやう 氣 き に 罹 かゝ つて、 三 さん 十 じふ 二 に 年 ねん の 春 はる 、 三 さん 十 じふ 五 ご 歳 さい で 臺 たい 灣 わん の 土 つち になつた。 私 わたし の 十 じふ 一 いつ 歳 さい の 時 とき である。 父 ちゝ は 歌 うた を 詠 よ んだり 文 ぶん 章 しやう を 書 か いたりした。 日 に 本 ほん 新 しん 聞 ぶん の 寄 き 書 しよ 家 か になつてゐたので、 陸 くが 羯 かつ 南 なん 、 内 ない 藤 とう 湖 こ 南 なん 等 ら に 知 し られてゐた。 又 また 千 せん 家 げ 尊 そん 福 ぷく 、 岸 きし 田 だ 吟 ぎん 香 かう の 二 に 人 にん とも 交 まじは つた。 「 類 るゐ 題 だい 上 じやう 野 や 歌 か 集 しふ 」、「 姨 をば 捨 すて 日 につ 記 き 」、「 宮 きゆう 嵐 らん 塔 たふ 雨 う 」 等 とう の 著 ちよ 述 じゆつ がある。 宮 きゆう 嵐 らん 塔 たふ 雨 う は 近 きん 畿 き に 旅 りよ 行 かう した 時 とき の 紀 き 行 かう 文 ぶん である。 臺 たい 灣 わん に 渡 わた つてからも、「 竹 ちく 風 ふう 蘭 らん 雨 う 」、「 觀 くわん 風 ぷう 察 さつ 潮 てう 」、「 臺 たい 北 ほく の 周 しう 圍 ゐ 」、「 劍 けん 潭 たん の 記 き 」、「 南 なん 山 ざん 北 ほく 山 ざん 報 はう 告 こく 二 に 則 そく 」 等 とう を 書 か いた。 竹 ちく 風 ふう 蘭 らん 雨 う は 新 しん 竹 ちく 、 宜 ぎ 蘭 らん の 風 ふ 土 ど 記 き である。 此 この 中 なか には 日 に 本 ほん 新 しん 聞 ぶん に 載 の せてあるものもある。 私 わたし の 母 はゝ の 里 さと は 高 たか 崎 さき の 肝 きも 煎 いり 名 な 主 ぬし と 云 い つて、 高 たか 崎 さき 藩 はん 主 しゆ の 御 ご 用 よう 達 たし をしてゐた 家 いへ である。 高 たか 崎 さき 市 し の 風 ふう 俗 ぞく が 厚 あつ く、 富 とみ の 程 てい 度 ど も 高 たか いのは 母 はゝ の 祖 そ 父 ふ の 感 かん 化 くわ に 依 よ ると 言 い ひ 傳 つた へられてゐる。 この 爺 ぢ いさんは 毎 まい 朝 あさ 長 ちやう 刀 たう を 帶 お びて、 懷 ふところ には 城 じやう 中 ちゆう で 穿 は く 麻 あさ 裏 うら 草 ざう 履 り を 入 い れ、 足 あし には 藁 わら 草 ざう 履 り を 引 ひ つ 掛 か けて 登 と 城 じやう した。 出 で 掛 が けには 村 むら 中 ぢゆう を 一 いち 巡 じゆん して、まだ 起 お きてゐないものがあると、 起 おこ して 遣 や る。 夏 なつ は 高 たか 崎 さき まで 一 いち 里 り 程 ほど の 間 あひだ の 田 た の 水 すゐ 準 じゆん を 見 み て、 過 くわ 不 ふ 足 そく があると 思 おも ふと、 歸 き 途 と に 教 をし へて 遣 や る。 近 ちか い 驛 しゆく 場 ば へ 女 ぢよ 郎 らう 買 がひ に 往 い つた 若 わか 者 もの が、 鼻 はな 歌 うた を 歌 うた ひながら 歸 かへ る 途 みち で、この 爺 ぢ いさんのちよん 髷 まげ を 見 み 附 つ けると、 慌 あわ てて 足 あし に 穿 は いてゐる 麻 あさ 裏 うら 草 ざう 履 り を 脱 ぬ いで 懷 ふところ に 入 い れ、 着 き 物 もの の 裾 すそ を 端 はし 折 よ つて 辭 じ 儀 ぎ をしたさうである。 この 爺 ぢ いさんは 水 すゐ 利 り の 爲 た めに 度 たび 々 /\ 資 し 産 さん を 擲 なげう つたこともある。 今 いま 白 しら 髮 が を 振 ふ り 亂 みだ して 農 のう 家 か の 女 をんな と 同 おな じやうになつてゐる 私 わたし の 母 はゝ は、 當 たう 時 じ 上 じやう 品 ひん に 育 そだ てられ、 器 き 量 りやう も 好 よ かつたので、 近 きん 郷 がう の 評 ひやう 判 ばん 娘 むすめ になつてゐたと、 縣 けん 會 くわい 議 ぎ 員 ゐん などの 中 なか に、 酒 さけ の 上 うへ で 話 はな す 人 ひと がある。 私 わたし の 母 はゝ は 四 し 十 じふ 餘 よ 年 ねん の 間 あひだ まだ 人 ひと と 爭 あらそ つたことがなく、 人 ひと に 小 こ 言 ごと を 言 い つたことがない。 誰 だれ も 使 つか ふことの 出 で 來 き ぬと 云 い ふ 奉 ほう 公 こう 人 にん を、 母 はゝ は 使 つか ふ。 現 げん に 使 つか つてゐる 下 げ 男 なん は 早 はや く 兩 りやう 親 しん を 失 うしな つて 叔 を 母 ば に 育 そだ てられ、 十 じふ 四 し 五 ご 歳 さい の 時 とき 、その 叔 を 母 ば と 爭 あらそ つて 家 いへ を 出 で たものである。 我 わが 儘 まゝ で、 酒 さけ が 好 す きで、どの 家 いへ にも 半 はん 年 とし より 長 なが くゐたことがない。 それが 母 はゝ の 許 もと にはもう 七 しち 年 ねん 勤 つと めてゐる。 私 わたし の 親 しん 類 るゐ は 數 すう 十 じつ 軒 けん あるが、どの 家 いへ でも 事 こと があると、 母 はゝ の 意 い 見 けん を 問 と ひに 來 く る。 それでゐて 母 はゝ は 非 ひ 常 じやう に 謙 けん 遜 そん してゐる。 三 さん 十 じふ を 越 こ してすぐに 寡 くわ 婦 ふ になつて、それからは 貧 ひん 苦 く の 中 なか で 私 わたし と 妹 いもうと とを 育 そだ てて 來 き た。 その 爲 た めに 母 はゝ は 思 おもひ 遣 や りが 深 ふか いので、 人 ひと が 困 こん 窮 きゆう を 訴 うつた へて 來 く ると、 返 かへ さぬに 極 き まつた 金 かね をも 貸 か して 遣 や る。 かう 云 い ふ 母 はゝ が 一 いち 族 ぞく に 連 れん 累 るゐ せられて、 今 いま のやうな 身 み の 上 うへ になつたのが、 私 わたし には 氣 き の 毒 どく でならない。 私 わたし は 學 がく 資 し のないのと、 自 じ 分 ぶん が 病 びやう 身 しん なのとから 發 ほつ 心 しん して、 醫 い 師 し になることにしたと 云 い つたが、それではまだ 十 じふ 分 ぶん に 動 どう 機 き を 言 い ひ 盡 つく してゐない。 私 わたし の 醫 い 師 し にならうとしたには、まだ 自 じ 分 ぶん が 病 びやう 身 しん にならなかつた 前 まへ の 或 あ る 記 き 憶 おく に 促 うなが された 所 ところ がある。 それは 母 はゝ の 病 びやう 氣 き の 記 き 憶 おく である。 明 めい 治 ぢ 四 し 十 じふ 年 ねん の 春 はる 、 私 わたし がまだ 病 びやう 氣 き になつてゐなかつた 時 とき 、 或 あ る 日 ひ 母 はゝ が 頭 づ 痛 つう がすると 言 い ひ 出 だ した。 併 しか し 只 たゞ の 頭 づ 痛 つう ではなくて、 母 はゝ は 失 しつ 神 しん したやうになつてしまつた。 妹 いもうと は 留 る 守 す であつた。 私 わたし は 慌 あわ てて「おつ 母 か さん、おつ 母 か さん」と 呼 よ んだ。 下 げ 男 なん がその 聲 こゑ を 聞 き いて 驅 か け 附 つ けた。 それから 薄 はく 荷 か を 飮 の ませる。 氷 ひよう 嚢 なう を 頭 あたま に 載 の せる。 醫 い 者 しや を 呼 よ びに 遣 や る。 その 隙 ひま に 母 はゝ は 恢 くわい 復 ふく した。 併 しか し 私 わたし はその 夜 よ 大 たい 切 せつ な 母 はゝ を 保 ほ 護 ご する 爲 た めに、 是 ぜ 非 ひ 共 とも 醫 い 術 じゆつ を 學 まな んで 置 お かなくてはならぬと 思 おも つたのである。 私 わたし は 自 じ 分 ぶん の 學 がく 校 かう の 成 せい 績 せき の 好 よ かつたことを 話 はな したが、 成 せい 績 せき の 好 よ いのは 私 わたし ばかりではない。 妹 いもうと は 私 わたし より 一 いつ 層 そう 好 い い。 さうして 見 み れば、 母 はゝ の 躾 しつけ のお 蔭 かげ が 餘 よ 程 ほど ある。 私 わたし は 母 はゝ をどうしても 保 ほ 護 ご しなくてはならない。 それには 私 わたし の 人 ひと と 違 ちが つてゐるやうな 性 せい 質 しつ を 一 ひと つ 一 ひと つ 數 かぞ へて、それを 先 せん 生 せい の 天 てん 秤 びん の 皿 さら に 載 の せる 外 ほか あるまい。 最 さい 初 しよ に 申 まを したいのは、 私 わたし が 憧 しよう 憬 けい の 子 こ だと 云 い ふことである。 憧 しよう 憬 けい とは 獨逸 ドイツ 語 ご Sehnsucht ゼエンズホト の 翻 ほん 譯 やく で、あくがれと 訓 よ ませるのださうだ。 無 む 理 り な 詞 ことば かも 知 し れぬが、 私 わたし は 高 たか 崎 さき 中 ちゆう 學 がく にゐた 時 とき 、 高 たか 山 やま 樗 ちよ 牛 ぎう の 書 しよ を 愛 あい 讀 どく して、 今 いま の 天 てん 才 さい を 欽 きん 仰 ぎやう し 英 えい 雄 ゆう を 崇 そう 拜 はい する 心 こゝろ も 樗 ちよ 牛 ぎう のお 蔭 かげ で 萌 きざ したのだから、 此 この 詞 ことば を 用 もち ゐる。 高 たか 崎 さき の 寄 き 宿 しゆく 舍 しや では、 生 せい 徒 と 共 ども が 私 わたし の 事 こと を 本 ほん 屋 や だの 雜 ざつ 誌 し 屋 や だのと 云 い つて 冷 ひ やかしながら、 又 また その 本 ほん や 雜 ざつ 誌 し を 見 み に 私 わたし の 部 へ 屋 や に 集 あつ まることになつてゐた。 樗 ちよ 牛 ぎう の 書 しよ で 眠 ねむり を 呼 よ び 醒 さ まされたやうな 心 こゝろ 持 もち になつた 私 わたし は、 天 てん 人 じん 論 ろん を 讀 よ む。 病 びやう 間 かん 録 ろく を 讀 よ む。 進 しん 化 くわ 論 ろん 講 かう 話 わ や 種 しゆ 之 の 起 き 原 げん を 讀 よ む。 さて 周 しう 圍 ゐ を 顧 かへり みれば、 單 たん に 若 じやく 干 かん の 年 とし を 閲 けみ したと 云 い ふ 丈 だけ を 笠 かさ に 着 き て、 宇 う 宙 ちう の 事 こと を 疾 とつ くに 分 わ かり 切 き つたやうに 言 い つて、 無 む 造 ざう 作 さ に 私 わたし 共 ども に 物 もの を 教 をし へようとする 人 ひと の 多 おほ きに 堪 た へない。 私 わたし はさう 云 い ふ 人 ひと 達 たち の 言 い ふ 事 こと を 聞 き くと 胸 むね が 惡 わる くなる。 一 ひと 頃 ころ は 聖 せい 書 しよ を 懷 ふところ にして、 野 や 卑 ひ なる 裝 さう 飾 しよく と 煩 はん 瑣 さ なる 儀 ぎ 式 しき とのみちみちてゐる 所謂 いはゆる 神 かみ の 祭 さい 壇 だん の 前 まへ に 跪 ひざまづ かうとしたが、 人 ひと の 子 こ を 牧 ぼく すると 云 い ふ 人 ひと 達 たち の 愚 おろか なのに 呆 あき れて 逃 に げ 出 だ した。 そして「どうしても 天 てん 才 さい でなくては 駄 だ 目 め だ」と 叫 さけ んで、 獨 どく 力 りよく で 或 あ る 物 もの を 求 もと めようとしては、 自 じ 分 ぶん の 心 こゝろ の 餘 あま りに 空 くう 虚 きよ なのに 氣 き が 附 つ いて、 目 め を 睜 みは り 拳 こぶし を 握 にぎ る。 私 わたし は 五 ご 歳 さい の 時 とき 父 ちゝ に 連 つ れられて、 田舍 ゐなか 道 みち を 當 たう 時 じ の 住 すみ 家 か であつた 玉 たま 村 むら へ 歸 かへ る 途 と 中 ちゆう 、ふと 道 みち 端 ばた に 紫 むらさき のげんげと 黄 き いろいたんぽぽと 一 いち 面 めん に 咲 さ いてゐるのを 見 み て、「 此 この 花 はな は 誰 だれ が 植 う ゑたのです」、「 誰 だれ も 植 う ゑないなら、なぜこんなに 美 うつく しく 並 なら んで 咲 さ くのです」、「なぜ 春 はる になつて 一 いち 時 じ に 花 はな が 咲 さ くのです」などと 父 ちゝ を 問 と ひ 詰 つ めた。 父 ちゝ は 異 い 樣 やう に 感 かん じて、 歸 かへ つてから 母 はゝ に 話 はな した。 母 はゝ は 私 わたし が 生 うま れた 時 とき 臍 へそ の 緒 を を 首 くび に 卷 ま いてゐたので、 珠 じゆ 數 ず 掛 かけ の 子 こ は 僧 そう になると 云 い ふ 迷 めい 信 しん から、 私 わたし の 前 ぜん 途 と を 氣 き 遣 づか つてゐたのだから、 父 ちゝ よりも 一 いつ 層 そう 異 い 樣 やう に 感 かん じたさうである。 後 のち に 私 わたし は 病 びやう 間 かん 録 ろく を 讀 よ んで、「 幼 えう 時 じ 小 こ 石 いし の 道 みち に 徧 あまね きを 見 み て 不 ふ 思 し 議 ぎ に 堪 た へざりしことあり」と 云 い ふ 所 ところ に 來 き て、はつと 驚 おどろ いた。 私 わたし は 書 しよ を 讀 よ んで 宇 う 宙 ちう の 大 だい を 説 と いてある 所 ところ や、 萬 ばん 物 ぶつ の 微 び を 説 と いてある 所 ところ になると、 息 いき をはずませて 讀 よ み 續 つゞ ける。 併 しか しさう 云 い ふ 記 き 事 じ が 或 あ る 獨 どく 斷 だん 的 てき 論 ろん 説 せつ の 前 まへ 置 おき に 使 つか はれてゐるのに 氣 き が 附 つ くと、 私 わたし は 齒 は をむいて 怒 いか らずにはゐられない。 何 なん ぞ 言 げん の 容 よう 易 い なるやと 叫 さけ びたくなる。 「 首 くび を 擧 あ げ 角 つの 振 ふ り 立 た ててわれ 穀 から を 出 いで でたりと 云 い ふ 蝸 でゞ 牛 むし を 見 み る。 」 私 わたし はそんな 議 ぎ 論 ろん をする 人 ひと よりは、 愚 おろか な 迷 まよひ の 中 なか に 彷 はう 徨 くわう してゐる 人 ひと の 方 はう が 好 す きだ。 私 わたし は 頬 ほゝ に 止 と まつた 蚊 か をぱたりと 打 う つて、 手 て の 平 ひら に 黒 くろ い 塵 ちり のやうな 物 もの の 殘 のこ つたのを 見 み ると、これがぶんと 羽 はね を 鳴 な らして 來 き て、ちくりと 私 わたし を 螫 さ したのだと 云 い ふことが 如 い 何 か にも 不 ふ 思 し 議 ぎ に 感 かん ぜられる。 毛 け のちぢれを 見 み る。 指 ゆび の 渦 くわ 紋 もん を 見 み る。 大 だい 腿 たい 骨 こつ 頭 とう の 海 かい 綿 めん 質 しつ を 見 み る。 網 まう 膜 まく の Sehsubstanz ゼエズブスタンツ を 見 み る。 人 ひと の 歌 うた を 歌 うた ふのを 聞 き く。 猫 ねこ の 足 あし 下 もと で 鳴 な くのを 聞 き く。 土 つち を 見 み る。 石 いし を 見 み る。 空 そら に 輝 かゞや く 星 ほし を 見 み る。 叢 くさむら に 集 すだ く 蟲 むし を 聞 き く。 何 なに 事 ごと によらず、 私 わたし は 殆 ほとん ど 恐 きよう 怖 ふ に 近 ちか い 驚 きやう 異 い を 感 かん ずる。 細 さい 菌 きん 學 がく や 心 しん 理 り 學 がく や 精 せい 神 しん 病 びやう 學 がく は 私 わたし の 爲 た めには 驚 きやう 異 い の 寶 はう 庫 こ である。 私 わたし は 手 て を 自 じ 分 ぶん の 胸 むね に 當 あ てて、 心 しん 臟 ざう の 跳 をど るのを 觸 ふ れて 見 み て、 身 み うちのをののくやうな 驚 きやう 異 い を 感 かん ずる。 人 ひと と 相 あひ 抱 いだ いて 歡 くわん を 極 きは めようとする 刹 せつ 那 な 、 自 じ 分 ぶん の 身 しん 體 たい の 中 なか に 働 はたら いてゐる 怪 あや しい 力 ちから を 思 おも ひ、 相 あひ 手 て になつてゐる 人 ひと の 身 しん 體 たい の 中 なか に 同 おな じやうに 働 はたら いてゐる 怪 あや しい 力 ちから を 思 おも つて、 忽 こつ 然 ぜん 或 あ る 自 し 然 ぜん 學 がく 的 てき 試 し 驗 けん をしてゐるやうな 氣 き になる。 私 わたし は 此 この 驚 きやう 異 い 癖 へき が 哲 てつ 學 がく に 往 ゆ く 道 みち ではないかと、 竊 ひそか に 思 おも つてゐる。 併 しか し 衰 すゐ 耗 まう に 陷 おちい ることがないから 神 しん 經 けい 衰 すゐ 弱 じやく ではない。 私 わたし はあらゆる 節 せつ 奏 そう 、 旋 せん 律 りつ 、 諧 かい 調 てう を 聽 き く 毎 ごと に、 口 くち に 言 い はれない 感 かん 應 おう をする。 夏 なつ 草 ぐさ の 緑 みどり の 上 うへ に、 灰 はひ 色 いろ の 砂 すな 煙 けむり を 彗 すゐ 星 せい の 尾 を のやうに 引 ひ いて 進 すゝ む 軍 ぐん 隊 たい の 大 おほ きい 子 こ 供 ども 等 ら の 吭 のど から、 單 たん 調 てう な、 無 む 邪 じや 氣 き な 軍 ぐん 歌 か が 潮 うしほ の 涌 わ くやうに 起 おこ る 時 とき 、 私 わたし は 背 せ に 水 みづ を 灑 そゝ がれたやうに 感 かん ずる。 私 わたし は 自 じ 分 ぶん では 草 くさ 笛 ぶえ も 吹 ふ くことを 知 し らない。 それに 三 さ 味 み 線 せん は 耳 みゝ を 掩 おほ うて 走 はし りたくなる 程 ほど 厭 いや で、ピアノやヰオリンは 食 しよく を 忘 わす れる 程 ほど 好 す きである。 郷 きやう 校 かう の 宿 しゆく 直 ちよく 部 べ 屋 や から 夕 ゆふ 暮 ぐれ に 洩 も れるオルガンの 音 ね にも、 私 わたし は 臭 から 橘 たち の 垣 かき 根 ね に 足 あし を 駐 とゞ める。 會 くわい 堂 だう に 坐 ざ して 心 こゝろ が 冷 れい 灰 くわい の 如 ごと くになつてゐた 時 とき 、 讚 さん 美 び 歌 か の 肉 にく 聲 せい が 空 くう 氣 き をゆすると、 私 わたし の 胸 むね は 器 き 械 かい 的 てき に 共 きよう 鳴 めい した。 神 かん 田 だ の 會 くわい 堂 だう であつた。 或 あ る 夕 ゆふべ 明 あか るい 燭 しよく の 下 した で、 色 いろ の 白 しろ い 細 ほそ 面 おもて に、 漆 しつ 黒 こく な 髯 ひげ を 長 なが く 垂 た れて、 白 しろ い 服 ふく を 着 き た 酒 さか 井 ゐ 勝 しよう 軍 ぐん さんが、 赫 かゞや く 銀 ぎん の 鞭 むち を 揮 ふる つて、「ああ 主 しゆ は 讚 ほ むべきかな」と 歌 うた つた 瞬 しゆん 間 かん に、 私 わたし は 確 たしか に 切 せつ 實 じつ にクリストを 懷 おも つた。 明 めい 治 ぢ 二 に 十 じふ 年 ねん の 夏 なつ 用 よう 事 じ があつて 東 とう 京 きやう に 上 のぼ つて、 歸 き 途 と 浦 うら 和 わ 驛 えき に 着 つ くと、 教 けう 員 ゐん らしい 色 いろ の 白 しろ い 青 せい 年 ねん に 引 いん 率 そつ せられて、 小 せう 學 がく 生 せい 徒 と がプラツトフオオムの 柵 さく の 外 そと に 整 せい 列 れつ してゐた。 生 せい 徒 と 等 ら の 目 め はもう 車 くるま に 乘 の つてゐる 誰 たれ やらの 上 うへ に 注 そゝ がれてゐた。 旗 はた に「 送學事視察員一行 がくじしさつゐんいつかうをおくる 」と 書 か いてある。 忽 たちま ち 青 せい 年 ねん が 相 あひ 圖 づ をすると、 生 せい 徒 と 等 ら は 足 あし 踏 ぶみ をして、「 莟 つぼみ の 花 はな に 附 つ く 蟲 むし の」と 歌 うた ひ 出 だ した。 私 わたし は 肩 かた から 背 せ へ 掛 か けて 戰 せん 慄 りつ を 感 かん ずると 共 とも に、 目 め には 涙 なみだ が 浮 う かんだ。 そして 周 しう 圍 ゐ の 人 ひと の 恬 てん 然 ぜん たる 顏 かほ を 見 み て、 却 かへ つてそれを 怪 あやし んだ。 私 わたし は 自 じ 分 ぶん で 詩 し を 朗 らう 讀 どく しても 同 おな じやうな 感 かん じを 起 おこ す。 私 わたし は 書 しよ 棚 だな に 書 しよ を 並 なら べるにも、 床 とこ に 花 くわ 瓶 びん を 置 お くにも、 庭 には に 朝 あさ 顏 がほ の 鉢 はち を 据 す ゑるにも、かうでなくてはならぬと 云 い ふ、 動 うご かすべからざる 位 ゐ 置 ち や 排 はい 列 れつ がある。 書 しよ 籍 せき の 裝 さう 釘 てい の 意 い 匠 しやう なんぞに 強 きやう 列 れつ な 好 かう 惡 を がある。 私 わたし は 好 す きな 詞 ことば がある。 廢 はい 墟 きよ 、 暮 ぼ 春 しゆん 、 春 しゆん 鳥 てう 、 挨及 エジプト 、 壁 へき 畫 ぐわ 、 藝 げい 術 じゆつ 、 故 こ 郷 きやう 、 刀 かたな 、 革 かは 、 甕 かめ 、 踏 たふ 青 せい 、 種 たね を 蒔 ま く、その 外 ほか イタリア、スパニアの 地 ち 名 めい 、 梵 ぼん 語 ご 、 僧 そう の 名 な などである。 私 わたし の 妹 いもうと は 詞 ことば の 好 かう 惡 を が 一 いつ 層 そう 強 きやう 烈 れつ で、 檞 かし と 云 い ふ 一 いち 語 ご に 並 なら ぶ 好 す きな 語 ことば はないと 云 い つてゐる。 小 せう 學 がく 校 かう にゐた 時 とき は 餓 が 鬼 き 大 だい 將 しやう であつた。 一 いち 日 にち も 何 なに もせずに 暮 く らすことが 出 で 來 き ない。 平 へい 凡 ぼん と 云 い ふことを 罪 ざい 過 くわ のやうに 思 おも ふ。 何 なに 事 ごと にも 旗 き 幟 し を 鮮 せん 明 めい にせずにはゐられない。 敵 てき として 恐 おそ るべき 人 じん 物 ぶつ でなくては、 身 み 方 かた として 用 よう に 立 た たぬと 信 しん じてゐる。 八 はつ 方 ぱう 美 び 人 じん 主 しゆ 義 ぎ は 死 し んでも 學 まな ばれない。 それも 器 き 械 かい 的 てき に 博 ひろ く 識 し りたいのではない。 身 み の 程 ほど を 知 し らぬやうではあるが、「 天 てん 才 さい を 與 あた へよ、 然 しか らずば 死 し を 與 あた へよ」と 叫 さけ びたい。 幸 さいはひ に 私 わたし の Psyche プシヘエ は 健 けん 全 ぜん なやうである。 小 ちひ さい 時 とき から 今 こん 年 ねん まで 頭 づ 痛 つう のしたことがない。 五 いつ 日 か 五 いつ 夜 よ の 間 あひだ 通 つう 計 けい 十 じふ 二 に 三 さん 時 じ 間 かん 眠 ねむ つた 丈 だけ で 讀 どく 書 しよ したことが 度 たび 々 /\ あるが、 頭 あたま はなんともなかつた。 半 はん 年 とし 程 ほど 殆 ほとん ど 書 しよ 齋 さい から 出 で ずにゐて、 足 あし も 腰 こし も 立 た たぬ 程 ほど 疲 つか れて、 頭 あたま 丈 だけ はつきりしてゐたことがある。 烏 を 許 こ がましいが、 私 わたし は 少 すくな くも 既 き 往 わう に 於 お いて 學 がく 校 かう で 儕 さい 輩 はい に 負 ま けたことがない。 小 せう 學 がく 校 かう には 五 ご 歳 さい で 這 は 入 い つた。 當 たう 時 じ はまだ 年 ねん 齡 れい の 事 こと を 細 こま かに 詮 せん 議 ぎ するやうな 事 こと はなかつた。 私 わたし は 一 いち 年 ねん 級 きふ の 學 がく 科 くわ が 餘 あま り 容 よう 易 い なので、 二 に 年 ねん 級 きふ にゐる 從妹 いとこ の 所 ところ へ 拔 ぬ けて 往 い つて、 二 に 年 ねん 級 きふ の 讀 どく 本 ほん を 一 いつ しよに 讀 よ みたがつた。 玉 たま 村 むら の 小 せう 學 がく 校 かう で、 私 わたし は 始 し 終 じゆう 首 しゆ 席 せき を 張 は り 通 とほ してゐた。 私 わたし は 八 はつ 歳 さい の 時 とき 始 はじめ て 漢 かん 文 ぶん の 素 そ 讀 どく を 授 さづ けられた。 當 たう 時 じ 玉 たま 村 むら に 父 ちゝ の 義 ぎ 弟 てい で 縣 けん 會 くわい 議 ぎ 長 ちやう をしてゐた 人 ひと が 中 ちゆう 心 しん になつて 組 そ 織 しき した 晩 ばん 翠 すゐ 吟 ぎん 社 しや と 云 い ふ 詩 し 社 しや があつた。 後 のち には 玉 ぎよく 振 しん 學 がく 舍 しや と 云 い ふ 塾 じゆく も 出 で 來 き た。 そこへ 埼 さい 玉 たま 縣 けん 久 く 喜 き の 人 ひと で、 中 なか 島 じま 蠔 がう 山 ざん さんと 云 い ふ 人 ひと が 聘 へい せられて 來 き てゐた。 長 なが い 髮 かみ を 麻 あさ の 紐 ひも で 結 むす んでゐた。 木 もく 食 じき 道 だう 人 じん と 云 い ふ 渾 あだ 名 な があつた。 私 わたし は 學 がく 校 かう から 歸 かへ ると、すぐに 本 ほん の 包 つゝみ を 抱 だ いて 中 なか 島 じま さんの 所 ところ へ 走 はし つた。 私 わたし は 十 じふ 五 ご 歳 さい までに、 孝 かう 經 きやう 、 四 し 書 しよ 五 ご 經 きやう 、 文 ぶん 章 しやう 軌 き 範 はん 、 十 じふ 八 はち 史 し 略 りやく 、 唐 たう 宋 そう 八 はつ 家 か 文 ぶん と 云 い ふ 順 じゆん 序 じよ に 讀 よ んだ。 中 ちゆう 學 がく に 這 は 入 い つてから 人 ひと の 困 こま る 漢 かん 文 ぶん が、 私 わたし にはやさし 過 す ぎた。 私 わたし が 高 かう 等 とう 二 に 年 ねん を 濟 す ました 時 とき 、 父 ちゝ は「 幼 えう 年 ねん 學 がく 校 かう か 中 ちゆう 學 がく 校 かう かに 這 は 入 い れ」と 言 い ひ 置 お いて 旅 たび に 立 た つて、それ 切 き り 歸 かへ らなかつた。 十 じふ 五 ご になつた 時 とき 、 母 はゝ が 人 ひと と 相 さう 談 だん して 中 ちゆう 學 がく 二 に 年 ねん に 這 は 入 い らせてくれた。 一 いち 年 ねん 前 まへ の 春 はる から 英 えい 語 ご も 少 すこ し 學 まな んでゐた。 丁 ちやう 度 ど 前 まへ 橋 ばし の 中 ちゆう 學 がく で 同 どう 盟 めい 休 きう 校 かう があつて、 一 いち 二 に 年 ねん 生 せい の 落 らく 第 だい 者 しや が 多 おほ かつたので、 高 たか 崎 さき の 中 ちゆう 學 がく では 二 に 三 さん 年 ねん の 編 ねん 入 にふ 試 し 驗 けん がひどく 賑 にぎは つたが、 私 わたし は 四 よ 人 にん の 優 いう 等 とう 者 しや の 中 なか に 算 さん せられた。 それと 同 どう 時 じ に 郡 ぐん 教 けう 育 いく 會 くわい 展 てん 覽 らん 會 くわい と 小 せう 學 がく 校 かう 選 せん 書 しよ 畫 ぐわ 其 その 他 た 成 せい 績 せき 品 ひん 展 てん 覽 らん 會 くわい とに 出 しゆつ 品 ぴん して 置 お いたのが、どちらでも 一 いつ 等 とう 賞 しやう を 得 え たので、 私 わたし は 縣 けん と 學 がく 校 かう とから 旌 せい 表 へう せられた。 その 式 しき 場 ぢやう から 歸 かへ つた 時 とき は、 母 はゝ が 父 ちゝ の 位 ゐ 牌 はい の 前 まへ に 燈 ひ を 點 とも して、 私 わたし を 連 つ れて 往 い つて 拜 をが ませて 泣 な いた。 これが 私 わたし の 小 せう 學 がく 生 せい 活 くわつ の 終 をはり である。 今 いま 高 たか 崎 さき の 中 ちゆう 學 がく に 往 い つて 見 み れば、 當 たう 時 じ の 教 けう 師 し は 殆 ほとん ど 皆 みな 去 さ つてしまつてゐる。 何 なに か 事 こと のある 度 たび に 私 わたし が 級 きふ を 代 だい 表 へう して 式 しき 辭 じ を 讀 よ んだ 庭 には には、 只 たゞ 一 ひと 株 かぶ の 柳 やなぎ のみが 舊 きう に 依 よ つて 戰 そよ いでゐる。 二 に 年 ねん 級 きふ の 學 がく 科 くわ は 少 すこ しも 骨 ほね が 折 を れなかつた。 そこで 高 たか 崎 さき の 町 まち の 雜 ざつ 誌 し 屋 や に 通 かよ つて、 日 に 本 ほん 派 は の 俳 はい 句 く や 新 しん 詩 し 社 しや の 歌 うた に 耽 ふけ つた。 飛 とび 入 い りで 末 ばつ 席 せき に 置 お かれた 私 わたし は、 先 ま づ 文 ぶん 章 しやう 家 か だ、 歌 うた よみだと 云 い ふ 名 な を 級 きふ 中 ちゆう に 馳 は せて、 次 つぎ に 級 きふ の 首 しゆ 席 せき に 上 のぼ つた。 五 ご 年 ねん 級 きふ は 私 わたし の 最 もつとも 得 とく 意 い の 秋 あき であつた。 これまで 教 けう 員 ゐん の 手 て に 經 けい 營 えい せられて、 不 ふ 體 てい 裁 さい を 極 きは めてゐた 校 かう 友 いう 會 くわい 雜 ざつ 誌 し を、 私 わたし は 獨 どく 力 りよく で 引 ひ き 受 う けた。 原 げん 稿 かう を 募 ぼ 集 しふ する。 廣 くわう 告 こく を 掲 けい 示 じ 場 ば に 張 は る。 原 げん 稿 かう 用 よう 紙 し を 印 いん 刷 さつ する。 印 いん 刷 さつ 所 じよ 變 へん 更 かう の 折 せつ 衝 しよう に 當 あた る。 表 へう 紙 し を 改 あらた める。 口 くち 繪 ゑ の 製 せい 板 はん 、カツトの 彫 てう 刻 こく を 指 し 揮 き する。 組 くみ 入 いれ 、 字 じ 詰 づめ から 挾 はさ み 込 こ む 色 しき 紙 し まで 世 せ 話 は をする。 刷 さつ 新 しん の 辭 じ から、 運 うん 動 どう 記 き 事 じ 、 編 へん 輯 しふ 便 だより まで 自 じ 分 ぶん で 書 か く。 校 かう 正 せい に 前 まへ 橋 ばし まで 何 なん 度 ど でも 走 はし る。 其 その 年 とし の 學 がく 期 き 試 し 驗 けん の 準 じゆん 備 び 中 ちゆう にも 私 わたし はこれを 廢 はい せなかつた。 文 ぶん 藝 げい 部 ぶ 委 ゐ 員 ゐん と 云 い ふものが 十 じふ 人 にん 餘 あま りゐたが、 小 せう 心 しん な 上 うへ に 筆 ふで も 立 た たなかつたので、 何 なに もかも 私 わたし 一 ひと 人 り でした。 そして 雜 ざつ 誌 し は 縣 けん 内 ない 總 すべ ての 小 せう 中 ちゆう 學 がく で 評 ひやう 判 ばん せられる 讀 よみ 物 もの になつた。 卒 そつ 業 げふ 試 し 驗 けん の 時 とき も、 試 し 驗 けん の 四 し 五 ご 日 にち 前 まへ に、 私 わたし は 原 げん 稿 かう 用 よう 紙 し を 机 つくゑ の 上 うへ に 山 やま のやうに 積 つ んで 書 か いてゐた。 周 しう 圍 ゐ では 得 とく 點 てん 順 じゆん 序 じよ の 當 あ てつこをして、 誰 だれ が 一 いち 番 ばん 、 誰 だれ が 二 に 番 ばん などと 云 い つてゐた。 私 わたし も 内 ない 心 しん こんな 事 こと をしてゐて 試 し 驗 けん をしくじつたら、 亡 な き 父 ちゝ に 濟 す まず、 母 はゝ に 顏 かほ も 合 あは せられまいと、 流石 さすが に 膽 きも を 冷 ひ やした。 併 しか し 成 せい 績 せき が 發 はつ 表 ぺう せられて 見 み れば、 第 だい 一 いち の 不 ふ 勉 べん 強 きやう 家 か たる 私 わたし が 矢 や 張 はり 首 しゆ 席 せき であつた。 その 時 とき 私 わたし は 高 かう 等 とう 學 がく 校 かう も 此 この 通 とほ りだ、 大 だい 學 がく も 此 この 通 とほ りだ、と 心 しん 中 ちゆう に 豫 よ 測 そく してゐた。 丁 ちやう 度 ど 連 れん 戰 せん 連 れん 捷 せふ した 皇 くわう 軍 ぐん が 滿 まん 洲 しう で 最 さい 後 ご の 勝 しよう 利 り を 贏 か ち 得 え た 明 めい 治 ぢ 三 さん 十 じふ 八 はち 年 ねん の 春 はる の 事 こと である。 併 しか しそれははかない 夢 ゆめ であつた。 私 わたし の 病 びやう 氣 き は 此 この 時 とき 芽 め ざしてゐたかも 知 し れない。 私 わたし は 歴 れき 史 し が 一 いち 番 ばん 好 す きであつた。 小 ちひ さい 時 とき 義 よし 經 つね や 辨 べん 慶 けい の 話 はなし を 好 この んで 聞 き いたのを 始 はじめ として、 歴 れき 史 し 上 じやう の 事 こと 柄 がら が 何 なに かの 端 はし に 覗 うかゞ はれる 度 たび に、 私 わたし は 戀 こひ 人 びと の 姿 すがた をちらと 見 み るやうに 感 かん じた。 新 しん 聞 ぶん を 見 み ても 古 ふる い 地 ち 名 めい や 古 ふる い 人 じん 名 めい や 年 ねん 號 がう が 何 なに かの 記 き 事 じ の 中 なか にあると、それからそれへと 思 し 索 さく して、 歴 れき 史 し 上 じやう の 連 れん 絡 らく を 求 もと めて、 私 わたし はいつも 知 ち 識 しき の 範 はん 圍 ゐ の 狹 せま いのを 歎 なげ いた。 中 ちゆう 學 がく の 歴 れき 史 し の 教 けう 員 ゐん は 疲 ひ 癃 りゆう の 病 やまひ ある 尫 わう 弱 じやく の 人 ひと であつた。 その 人 ひと が 缺 けつ 勤 きん する 度 たび に 私 わたし は 悲 かな しかつた。 その 人 ひと は 瀬 せ 川 がは さんの 西 せい 洋 やう 通 つう 史 し を 種 た 子 ね にして 教 けう 授 じゆ してゐた。 私 わたし はすでに 西 せい 洋 やう 通 つう 史 し を 讀 よ んだ。 浮 うき 田 た さんの 上 じやう 古 こ 史 し を 讀 よ んだ。 姉 あね 崎 ざき さんの 印度 インド 古 こ 代 だい 史 し を 讀 よ んだ。 ランケ、モムゼン、オルデンブルヒなんと 云 い ふ 人 ひと の 書 か いたものを、 原 げん 文 ぶん で 讀 よ んで 見 み たい。 サンスクリツトを 讀 よ んで 自 じ 分 ぶん で 研 けん 究 きう したい。 こんな 空 くう 想 さう を 馳 は せて、 私 わたし はいつも 望 ばう 洋 やう の 歎 たん を 發 はつ してゐた。 次 つぎ に 好 す きなのは 博 はく 言 げん 學 がく であつた。 サンスクリツトが 讀 よ みたいと 思 おも つたことは 前 まへ にも 云 い つた。 それからインドゲルマン 語 ご 系 けい の 大 だい 體 たい が 知 し りたいと 思 おも つた。 私 わたし の 中 ちゆう 學 がく にゐた 時 じ 代 だい には 英 えい 語 ご の 雜 ざつ 誌 し が 二 に 種 しゆ 位 ぐらゐ しかなかつたが、それを 讀 よ むにも 人 ひと の 目 め を 附 つ けぬ 所 ところ に 目 め を 附 つ けて、 分 ぶん に 過 す ぎた 望 のぞみ を 懷 いだ いてゐた。 次 つぎ に 好 す きな 物 もの を 強 し ひて 擧 あ げれば、 理 り 學 がく であつた。 併 しか し 數 すう 學 がく が 厭 いや だから、これには 望 のぞみ を 繋 つな がなかつた。 最 さい 後 ご に 私 わたし と 文 ぶん 藝 げい との 關 くわん 係 けい を 一 いち 言 げん したい。 私 わたし は 文 ぶん 藝 げい に 對 たい しても 敏 びん 感 かん を 持 も つてゐると 信 しん ずる。 併 しか し 私 わたし は 最 さい 初 しよ から 鑑 かん 賞 しやう の 一 いち 面 めん に 甘 あま んじて、 製 せい 作 さく の 一 いち 面 めん には 指 ゆび を 染 そ めようとしなかつた。 負 ま けじ 魂 たましひ はあつても、どうも 詩 し を 作 つく ること 丈 だけ は 自 じ 分 ぶん の 領 りやう 分 ぶん でないと 思 おも つてゐた。 新 あたら しい 俳 はい 句 く 、 短 たん 詩 し 、 長 ちやう 詩 し いづれも 試 こゝろ みたことはある。 併 しか し 私 わたし は、 一 いち 度 ど も 製 せい 作 さく 力 りよく の 迸 ほとばし り 出 で るやうな 感 かん じに 遭 さう 遇 ぐう しない。 只 たゞ 海 かい 潮 てう 音 おん や 春 しゆん 鳥 てう 集 しふ を 讀 よ んで、 酒 さけ に 醉 よ つたやうな 心 こゝろ 持 もち になつた 丈 だけ である。 併 しか し 今 いま の 日 に 本 ほん 繪 ゑ 、 就中 なかんづく 人 じん 物 ぶつ 畫 ぐわ は 毛 け 蟲 むし のやうに 嫌 きら つてゐる。 書 しよ も 面 おも 白 しろ い。 篆 てん 刻 こく は 少 すこ し 遣 や つて 見 み た。 碁 ご と 將 しやう 棋 ぎ とは 人 ひと のするのを 見 み るも 厭 いや である。 私 わたし は 酒 さけ も 煙草 たばこ も 口 くち にしたことが 無 な い。 病 びやう 氣 き は 明 めい 治 ぢ 四 し 十 じふ 年 ねん の 春 はる 、 十 じふ 九 く 歳 さい の 時 とき に 發 はつ して、それと 同 どう 時 じ に 私 わたし は 俳 はい 句 く を 始 はじ めた。 それから 四 し 十 じふ 一 いち 年 ねん に 開 かい 業 げふ 試 し 驗 けん を 受 う けようと 思 おも ひ 立 た つ 迄 まで 、 一 いち 年 ねん 餘 あま り 俳 はい 句 く を 弄 もてあそ んでゐた。 それで 當 たう 時 じ の 記 き 事 じ がほととぎすに 載 の せられてゐる。 それをここに 寫 うつ してお 目 め に 掛 か ける。 「 十 じふ 月 ぐわつ 二 に 十 じふ 四 よつ 日 か の 事 こと である。 新 あたら しい 病 びやう 兆 てう が 現 あら はれた 爲 た めに、 急 きふ に 外 げ 科 くわ 手 しゆ 術 じゆつ を 受 う けることになつて、 高 たか 崎 さき 市 し 綿 わた 貫 ぬき 病 びやう 院 ゐん へ 往 ゆ く。 行 かう 程 てい 三 さん 里 り。 柔 やはら かい 布 ふ 團 とん を 厚 あつ く 積 つ んだのがソフアのやうで 工 ぐ 合 あひ が 好 い い。 仰 ぎやう 臥 ぐわ した 上 うへ にアアチのやうな 物 もの を 拵 こしら へて、その 上 うへ に 白 しろ 布 ぬの を 掛 か け、 布 ぬの の 端 はし を 垂 た れて 體 からだ の 兩 りやう 側 がは を 覆 おほ ふ。 日 ひ が 好 よ く 照 て つてゐて、 白 しろ 布 ぬの の 下 した の 小 せう 天 てん 地 ち が 非 ひ 常 じやう に 明 あか るいのが 嬉 うれ しい。 七 しち 時 じ 半 はん に 發 はつ する。 大 おほ 勢 ぜい で 送 おく つて 來 き てくれる 樣 やう 子 す である。 枕 まくら 頭 もと にあつた 秋 しう 海 かい 棠 だう と 小豆 あづき 色 いろ の 魚 なな 子 こ 菊 ぎく との 鉢 はち 植 うゑ 二 ふた つ 丈 だけ を 下 げ 男 なん に 持 も たせる。 好 い い 天 てん 氣 き だ。 蓑 みの 蟲 むし が 明 めい 月 げつ でも 覗 のぞ くやうに、 首 くび を 延 の べて 野 の を 見 み る。 見 み 渡 わた す 限 かぎり の 田 た の 面 おも に 熟 じゆく してゐる 稻 いね の 色 いろ に 驚 おどろ く。 まだ 刈 か る 人 ひと は 見 み えぬが、 天 てん 氣 き が 定 さだ まり 次 し 第 だい 一 いつ 齊 せい に 刈 か り 始 はじ めるだらう。 收 しう 穫 くわく と 云 い ふ 大 だい 戰 せん 爭 さう の 前 まへ の 少 せう 時 じ の 平 へい 和 わ だなと 思 おも ふ。 弓 ゆ 弦 づる を 引 ひ き 絞 しぼ つた 處 ところ だなと 思 おも ふ。 好 い い 感 かん じである。 秋 しう 天 てん に 劃 くわく す 俳 はい 句 く の 新 しん 領 りやう 土 ど 玉 たま 村 むら の 町 まち に 入 い る。 跡 あと は 一 いつ 行 かう 十 じふ 一 いち 人 にん になつたさうである。 「 大 だい 學 がく 病 びやう 院 ゐん 行 ゆき 見 み 合 あは せ」と 云 い ふ 電 でん 報 ぱう を 打 う たせる。 一 いつ 行 かう がぞろぞろと 長 なが い 驛 えき をねつて 行 ゆ くのだから、 人 ひと の 視 し 線 せん を 惹 ひ くこと 夥 おびたゞ しい。 首 くび を 擡 もた げて 裾 すそ の 方 はう を 見 み れば、 後 あと から 歩 ある いて 來 く る 伯 を 父 ぢ や 叔 を 母 ば の 袖 そで の 隙 すき 、 肩 かた の 間 あひだ から、 口 くち を 開 あ いたり 指 ゆび さしをしたりして、 戸 と 口 ぐち に 立 た つてこつちの 方 はう を 見 み てゐる 町 まち の 人 ひと の 姿 すがた が 幾 いく つともなく 見 み える。 物 もの 好 ず きに 往 わう 來 らい に 飛 と び 出 だ して 執念 しつこ く 見 み てゐる 奴 やつ もある。 「あれあれ、ああ 云 い ふ 物 もの が 通 とほ らあ」などと 云 い ふ 頓 とん 狂 きやう な 子 こ 供 ども の 聲 こゑ も 聞 きこ える。 死 し んだものと 思 おも はれはすまいかと 思 おも ふと、 餘 あま り 好 い い 心 こゝ 地 ち もせぬ。 生 い き て ゐ る ぞ 擔 たん 架 か の 上 うへ の 秋 あき の 我 われ 町 まち を 拔 ぬ けてしまふと、 樂 らく 々 /\ する。 又 また 廣 ひろ 野 の に 出 で る。 赤 あか 城 ぎ 榛 はる 名 な の 山 やま 々 /\ から 右 みぎ の 頬 ほゝ へ 吹 ふ き 附 つ ける 風 かぜ が、もう 冬 ふゆ が 近 ちか いので、うすら 寒 さむ い。 蓑 みの 蟲 むし は 首 くび を 出 だ して 見 み ては 引 ひ つ 込 こ めてゐる。 が た 馬 ば 車 しや に 道 みち を 讓 ゆづ る や 稻 いね の 中 なか 陰 かげ の 山 やま 日 ひ 向 なた の 山 やま や 稻 いね の 果 はて 九 く 時 じ 半 はん 倉 くら 賀 が 野 の に 着 つ く。 町 まち はづれの 茶 ちや 屋 や に 休 やす む。 小 こ 綺 ぎ 麗 れい な 店 みせ で、コスモスや 菊 きく が 一 いつ ぱい 咲 さ いてゐる。 擔 たん 架 か の 上 うへ に 腹 はら 這 ば つて、 赤 せき 酒 しゆ 、 鷄 けい 卵 らん 、ミルクなどを 飮 の む。 菊 きく の よ め 茶 ちや を 出 だ し て す ぐ 機 はた を 織 お る 此 この 菓 くわ 子 し は あ の 菊 きく に 似 に て 赤 あか き か な 十 じふ 時 じ 二 に 十 じつ 分 ぷん 發 はつ す。 今 こん 度 ど は 少 すこ し 身 み を 起 おこ して 前 まへ を 見 み ながら 行 ゆ く。 わ が 先 さ き を て く て く 歩 ある く 人 ひと の 秋 あき 少 すこ し 風 かぜ が 出 で て 來 き た。 蓑 みの 蟲 むし が 又 また 身 み を 縮 ちゞ める。 高 たか 崎 さき まで 松 まつ 並 なみ 木 き が 一 いち 里 り 程 ほど 續 つゞ いてゐるのである。 佐 さ 野 の 村 むら の 小 せう 學 がく 校 かう で 鐘 かね が 鳴 な つてゐる。 稻 いね の 中 なか に 學 がく 校 かう の 櫻 さくら 紅 葉 もみじ か な 十 じふ 一 いち 時 じ 四 し 十 じつ 分 ぷん に 着 つ く。 受 じゆ 診 しん。 入 にふ 院 ゐん。 かう 云 い ふ 本 ほん に 多 おほ く 插 はさ んである 拉甸 ラテン 語 ご にも 興 きよう 味 み を 覺 おぼ えた。 私 わたし の 癖 くせ で、すぐに 拉甸 ラテン 文 ぶん 法 ぱふ にも 手 て を 伸 のば ばしたが、 名 めい 詞 し の 變 へん 化 くわ より 先 さ きに 進 すゝ む 餘 よ 裕 ゆう が 無 な かつた。 二 に 度 ど の 試 し 驗 けん に 答 たふ 案 あん を 書 か くにも、 範 はん 圍 ゐ の 曖 あい 昧 まい な 問 もん 題 だい があると、 先 ま づ 問 もん 題 だい の 研 けん 究 きう と 云 い ふものを 一 いち 二 に 枚 まい 書 か く。 受 じゆ 驗 けん 者 しや が 一 ひと 人 り でも 殘 のこ つてゐる 間 あひだ は 私 わたし は、 筆 ふで を 擱 お かない。 兎 と に 角 かく 本 ほん 縣 けん 人 じん の 受 じゆ 驗 けん 者 しや 中 ちゆう では 第 だい 一 いち であつた。 併 しか し 此 この 次 つぎ の 只 たゞ 一 ひと つの 試 し 驗 けん を 受 う けるには、 田舍 ゐなか 住 ず まひの 机 つくゑ の 上 うへ では 準 じゆん 備 び することが 出 で 來 き ない。 私 わたし は 早 はや くその 準 じゆん 備 び をして、 早 はや く 試 し 驗 けん を 濟 す ましたい。 そして 母 はゝ の 許 もと に 歸 かへ つて 來 き たい。 なぜと 云 い ふに、 私 わたし が 旅 りよ 行 かう してゐる 間 あひだ は、 度 たび 々 /\ 病 びやう 氣 き をした 母 はゝ が、 家 いへ に 歸 かへ つてゐた 四 よ 年 ねん 間 かん 一 いち 度 ど も 病 びやう 氣 き をしないのを 見 み て、 私 わたし は 母 はゝ の 心 しん 理 り 状 ぢやう 態 たい を 察 さつ すると、どうも 長 なが く 遠 とほ く 離 はな れてゐたくないのである。 それに 私 わたし の 爲 た めには 此 この 試 し 驗 けん は 一 いち 段 だん 落 らく で、それから 先 さ きに 眞 しん の 期 き 待 たい があるのだから、 急 いそ がずにはゐられない。 私 わたし の 家 いへ の 財 ざい 政 せい は 東 とう 京 きやう に 滯 たい 留 りう することを 許 ゆる さないばかりではない。 よしや 入 にふ 費 ひ なしにゐられるとしても、 少 すこ しの 小 こ 使 づかひ を 郷 きやう 里 り から 取 と り 寄 よ せることもむづかしい。 東 とう 京 きやう にはしるべが 一 ひと 人 り も 無 な い。 父 ちゝ が 世 せ 話 は をして 醫 い 師 し にした 人 ひと が 二 ふた 人 り あるが、それをたよるには 忍 しの びない。 その 一 ひと つを 擧 あ げて 言 い へば、 岩 いは 鼻 はな の 火 くわ 藥 やく 製 せい 造 ざう 所 じよ の 診 しん 療 れう 部 ぶ にゐる 軍 ぐん 醫 い の 下 した 働 ばたらき にならうとしたことがある。 併 しか し 此 この 運 うん 動 どう は 私 わたし が 頼 たの んで 置 お いた 人 ひと の 油 ゆ 斷 だん で 成 せい 功 こう しなかつた。 先 せん 生 せい。 とうとう 私 わたし は 此 この 手 て 紙 がみ を 書 か くことになつたのである。 此 この 手 て 紙 がみ を 先 せん 生 せい はなんと 思 おも つて 見 み るだらうか。 私 わたし の 方 はう では 知 し らぬ 人 ひと に 遣 や ると 云 い ふ 氣 き はしない。 私 わたし は 先 せん 生 せい の 家 か 世 せい を 知 し つてゐる。 先 せん 生 せい の 祖 そ 父 ふ の 名 な 、 父 ふ 母 ぼ の 名 な 、 夫 ふ 人 じん の 名 な 、 子 こ 供 ども 衆 しゆう 三 さん 人 にん の 名 な を 記 き 憶 おく してゐる。 先 せん 生 せい の 長 なが い 長 なが い 頭 とう 銜 がん をすらすらと 誦 じゆ することが 出 で 來 き る。 先 せん 生 せい の 書 か いた 物 もの は 皆 みな 讀 よ んでゐる。 先 せん 生 せい に 逢 あ つたこともある。 それは 神 かん 田 だ の 電 でん 車 しや の 中 なか であつた。 私 わたし の 向 むか ひに 來 き て、 先 せん 生 せい が 腰 こし を 掛 か けた 時 とき 、 私 わたし は 電 でん 氣 き に 撃 う たれたやうであつた。 亡 な くなつた 父 ちゝ に 再 さい 會 くわい したと 同 おな じやうな 感 かん じがした。 これが 僞 いつは らない 事 じ 實 じつ だと 云 い ふことが、 先 せん 生 せい に 分 わ かりはすまいか。 どうも 分 わ からなくてはならぬやうに 思 おも はれてならない。 先 せん 生 せい。 どうぞ 私 わたし を 書 しよ 生 せい にして 置 お いて 下 くだ さい。 私 わたし は 廢 はい 滅 めつ に 垂 なん/\ としてゐる 一 いつ 家 か の 運 うん 命 めい 、 亡 な き 父 ちゝ の 名 めい 譽 よ 、 頼 たよ りなき 母 はゝ と 薄 はく 命 めい なる 妹 いもうと との 性 せい 命 めい を、 一 いつ しよに 束 つか ねて 先 せん 生 せい に 托 たく する。 私 わたし は 紹 せう 介 かい 状 ぢやう は 持 も つてゐない。 背 はい 後 ご に 保 ほ 證 しよう 人 にん をも 有 いう してゐない。 併 しか し 私 わたし を 紹 せう 介 かい するには 私 わたし が 最 もつと も 適 てき してゐると 思 おも ふ。 私 わたし を 保 ほ 證 しよう するには 私 わたし が 最 もつと も 適 てき してゐると 思 おも ふ。 先 せん 生 せい。 私 わたし は 此 この 手 て 紙 がみ を 心 しん 血 けつ で 書 か いた。 此 この 手 て 紙 がみ は 私 わたし の 半 はん 生 せい の 思 し 量 りやう が 隄 つゝみ を 決 けつ して 溢 いつ 流 りう したのである。 此 この 手 て 紙 がみ は 私 わたし の 青 せい 春 しゆん の 情 じやう 火 くわ の 焔 ほのほ である。 せめて 此 この 手 て 紙 がみ の 中 なか から 私 わたし の 穉 ち 氣 き 丈 だけ をでも 味 あぢは つて 下 くだ さい。 先 せん 生 せい。 私 わたし はとうとう 泣 な いた。 そして 傍 そば に 寢 ね てゐる 母 はゝ に 目 め を 醒 さ まさせた。 昔 むかし 風 ふう の 大 おほ きな 家 いへ のがらんとした 天 てん 井 じやう の 下 した に 蚊 か 屋 や を 吊 つ つて 親 おや 子 こ 三 さん 人 にん がゐるのである。 私 わたし は 床 とこ の 上 うへ に 燈 あかり を 置 お いて、 細 ほそ い 燈 ともしび の 下 した に 筆 ふで を 走 はし らせてゐる。 もう 二 に 番 ばん 鷄 どり が 鳴 な く。 「 體 からだ を 惡 わる くすると 行 い けないから、もうお 寐 ね よ」と 云 い つて、 母 はゝ は 厠 かはや に 往 い つて、 歸 かへ つて 又 また 横 よこ になる。 森 もり のある 東 ひがし の 方 はう で 頬 ほゝ 白 じろ が 鳴 な き 出 だ した。 すがすがしい、 希 き 望 ばう のみちみちてゐるやうな 聲 こゑ である。 頭 あたま を 擧 あ げて 聽 き く 時 とき 、 前 まへ の 欄 らん 間 ま の 明 あか るくなつてゐるのが 目 め に 附 つ く。 恍 くわう 惚 こつ として 書 か いてしまつてあたりを 見 み 廻 まは す。 向 むか うには 本 ほん 箱 ばこ を 積 つ んだ 床 とこ の 間 ま がある。 北 きた の 床 とこ には 千 せん 家 け 男 だん 爵 しやく が 亡 ばう 父 ふ に 書 か いてくれた 書 しよ の 軸 ぢく 物 もの が 掛 か かつてゐる。 その 下 した の 置 おき 床 どこ には 何 なに も 插 さ さぬ、 赤 あか い 九 く 谷 たに の 花 くわ 瓶 へい がある。 その 傍 そば には 蟲 むし の 食 く つた 萬 まん 葉 えふ 集 しふ が 一 ひと 山 やま ある。 二 ふた つの 床 とこ の 界 さかひ の 柱 はしら には 小 ちひ さい 洋 やう 畫 ぐわ が 一 いち 枚 まい 吊 つ るしてある。 その 下 した に 臺 たい 灣 わん で 父 ちゝ の 買 か つた 拂 ほつ 子 す が 下 さ がつてゐる。 右 みぎ の 方 はう は 奧 おく の 間 ま との 隔 へだ ての 襖 ふすま で、 松 まつ と 鴉 からす と 牡 ぼ 丹 たん との 繪 ゑ がある。 印 いん には五日一山十日一水と 刻 こく してある。 その 間 あひだ から 多 た 賀 が 城 じやう の 碑 ひ や 其 その 外 ほか の 石 いし 摺 ずり を 張 は つた 奧 おく の 間 ま の 襖 ふすま が 見 み える。 東 ひがし の 間 ま との 界 さかひ で、 背後 うしろ になつてゐる 鴨 かも 居 ゐ には、「 正 しやう 二 に 位 ゐ 陸 む 奧 つ 出 で 羽 ばの 按 あ 察 ぜ 使 し 前 さきの 權 ごん 大 だい 納 な 言 ごん 源 みなもとの 有 あり 長 なが 」といふ 長 なが い 名 な の 人 ひと が 昔 むかし 泊 とま つて 書 か いたと 云 い ふ「 徳不孤 とくこならず 」の 三 さん 字 じ の 大 おほ 額 がく がある。 左 ひだり の 方 はう の 障 しやう 子 じ の 外 そと は 庭 には で、 四 し 月 ぐわつ に 孵 か えた 鷄 にはとり の 雛 ひな が 鳴 な いてゐる。 筆 ふで を 棄 す てて 縁 えん 側 がは に 出 で る。 見 み 渡 わた す 限 かぎり 青 あを 田 た である。 半 はん 里 り の 先 さ きに、 白 しら 壁 かべ や 草 くさ 屋 や が 帶 おび のやうに 横 よこた はつてゐるのが 玉 たま 村 むら で、 其 その 上 うへ に 薄 うす 紫 むらさき に 匀 にほ つてゐるのが 秩 ちゝ 父 ぶ の 山 やま 々 /\ である。 村 むら の 背後 うしろ を 東 ひがし へ 流 なが れる 利 と 根 ね 川 がは の 水 みづ の 音 おと がごうつと 響 ひゞ いてゐる。 明治四十三年七月二十一日 羽鳥千尋 鴎外先生侍史.

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目上の人に使える「厚かましい」の意味と使い方、類語「図々しい・おこがましい」との違いについて解説

烏許がましい

22 今日電車の中で本を読んでいて、「烏滸の沙汰」という言葉が出てきた。 読める人!?私は読めなかった。 「烏滸がましい」と書けば勘で読めるかもしれない。 そう「おこのさた」と読む。 以前「おこがましい」という言葉の意味を調べていて、もともとは現在私たちが使っているような意味ではないことを知った。 「烏滸」は黄河や揚子江に集まるやかましい人のことで、「滸」(水際)にいる「烏」のようにやかましい人びとといったところらしい(参考:)。 「現在では「身の程知らずな」「差し出がましい」で、そのギャップはかなり大きいと思う。 言葉の意味は時代とともに変わるから、現時点で「おこがましいようですが」と多少謙った物言いをするのは間違いではないが、本来の意味を知るとちょっと使うときに抵抗感が出てくるかも? 本来の意味を知り、本の中での使われ方を読んでいるうちに、ああ世の中「烏滸の沙汰」がたくさんあるなぁと改めて思い、タメイキが出てきた。 東京都知事選のあっけない結果とそれまでの過熱報道を併せて考えても、ああ「烏滸の沙汰」だよなと思う。 ネット内のいざこざも然り。 自分の仕事上でも「烏滸がましい」ことがたくさんある。 というより、どうにかして「烏滸がましさ」に慣れていかなければ続けていけない状況だ。 自分の行動についても、時を経て思い起こせば「ああ、私って烏滸がましいことばかりやっていたわ」と自己嫌悪に陥りそうになることもある。 ふと思ったのだが、私たち(私だけではないと思うのだが・・・)は、あまりにも「烏滸の沙汰」に寛容、もしかしたら鈍感、なのではないだろうか。 馬鹿馬鹿しいとわかりきっていても、黙々と何も言わず現状に従う。 「仕方ない」の一言で。 それでいいのか!と時々自分に問うてみるのだが、未だに「馬鹿馬鹿しいからイヤ!」とは言えない。 ああ、思いきりそう言えたら気持ちいいだろうなぁ。 後は野となれ山となれと腹を括って。 *おほほ。 人形町のに行ったざます。 *ハヤシライスとカニクリームコロッケをごちそうになったざます。 *ちょっと味が濃いかなぁ。 ハヤシライス。 *ユニクロに行って試着したけど買わなかった。 *なんかぴったりしないのよね。 オババだからか? *まだ肌寒い日がけっこうあるのでBABAシャツは手放せませんな。

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