アンナカリーナ ゴダール。 アンナ・カリーナ 君はおぼえているかい 原題:Anna Karina, souviens

アンナ・カリーナはなぜ映画に愛されたのか? ゴダールら作家との蜜月から、その演技を振り返る|Real Sound|リアルサウンド 映画部

アンナカリーナ ゴダール

2018年9月、18年ぶりに東京を訪れたアンナ・カリーナの側に付き、数日ともに過ごすことができた。 最初にお会いしたのは、20年ほど前、彼女のアルバム『恋物語』をプロデュースしたフランスのミュージシャン(フィリップ・)カトリーヌと来日した際で、まるでミュージカルコメディのように楽しげに、チャーミングに歌い合うふたりのパフォーマンス、そして夕食の席でゴダールとのエピソードをまるで昨日のことのように生き生きと語ってくれた彼女の美しい笑顔、そのユーモアに感激し通しだった。 アンナは久しぶりのライブで不安げな様子だったが、滞在していたホテルの小さなテラスで一緒に来日したミュージシャンのギター伴奏で歌い始めると、徐々に愛らしい笑顔を取りもどし、一言ひとこと、歌詞に心を込め、その世界の中に入っていった。 若い頃に比べてその声はかなり掠れていたが、歌い出すと、そこから彼女の繊細な感情、豊かな表現力が聞こえ、見えてくる。 その最後となってしまった来日中のある夕食の席で、ゴダールの新作『イメージの本』で『小さな兵隊』のアンナのシーンが抜粋されていることを告げると、まだ未見だった彼女は本当に嬉しそうな笑みを浮かべていた。 17歳でコペンハーゲンの港町から単身でパリに降り立ち、名前も変え、外国語で話し、確かなよりどころがないながら、いやだからこそ、しっかりと一瞬、一瞬を彼女らしく生き、フランスだけでなく、世界中、ここ日本にいる私たちにまで、夢、遊び心、涙、怒り、自由さ、多くの可能性を託していってくれたアンナ。 2019年12月14日に旅立ったアンナについて、最後まで彼女と親交の深かったフィリップ・カトリーヌは次のように語る。 「あの世代の女性としては、アンナは特定の形におさまることのない人だった。 モノラルでもステレオでもなくて、多義的、ポリセミックな人だった。 彼女の中にはいくつもの女性が存在していた。 だから、彼女はつねに思いがけず、矛盾している、時には機嫌が悪いことさえあった。 アンナは文学にも映画にも、サッカーにも興味があった。 同じようにフランス語にも情熱を持っていたけど、時に口汚く罵ることもできる人だった。 彼女は今日においてそう呼べる意味で、非常に現代的な女性だった。 映画の中の彼女を見れば、2010年代に映画に出始めたと全く考えられるよね。 」アンナ・カリーナは亡くなる直前まで病院でカトリーヌが作曲して彼女が歌った『アンナ・カリン』を聴いていたそうだ。 「カトリーヌと出会って私はもう一度生まれた」とさえ述べていたアンナ、彼女との「恋物語」を生きたカトリーヌの美しい賛辞に続けて、仏日刊紙「リベラシオン」2019年12月15日に掲載されたカミーユ・ヌヴェールのすばらしい追悼文をここに訳出したい。 「フランス語を話す外国人の女性は、いつもすごく美しい」、『小さな兵隊』の予告編で聞こえてくるコメントである。 ゴダールは『勝手にしやがれ』で「パ・パ・トリ・シア(Pa-pa-tri-cia)」とたどたどしく口ずさんだ後も、「A」の文字を含む名前を持つ女性たち、あるいは題名やアイディアを好んできた。 アンヌ・ヴィエゼムスキー、アンヌ=マリ・ミエヴィル、シャンタル・ゴヤ、ナタリー・バイ、レ・リタ・ミツコ、ジェーン・フォンダ、ハンナ・シグラ、等など あるいは『プラウダ』、『(メイド・イン)USA』等など。 しかし韻を踏むようにアルファ(ロメオ!)の「A」がもっとも多く、4つの「A」がはっきり発語される(しかも左右どちらかでも同じに読めるファーストネームの響きが加わる)名前を持つ女性、それがアンナ・カリーナ(Anna Karina )だ。 そしてカリーナはある時代の、現代的でポップで若きフランスを象徴する顔となる。 デンマーク出身の外国人である彼女が。 彼女を迎え入れた国、フランス、その自由な思想とともに、そしてまたフランスのタブー、禁忌とともに。 宗教のベールとカトリック教の抑圧がフランス国家による検閲を取得した、それがディドロ原作で、ジャック・リヴェット監督によって脚色された『修道女』(1965年)だった。 アンナ・カリーナがこの映画で体現しているのはまさにそれでしかない、つまり現代的検閲である。 アンナ・カリーナは、宗教的にも、文学的にも、二重の意味で冒涜とされた18世紀に書かれた台詞を演じたその外国語のアクセントと無信仰さによって、それ以来、「気まぐれなる殉教者」のイメージを喚起させ続けるだろう。 悪魔の機械 その時代は今より自由だったわけではないが、より無頓着で、決然としていて、分別などなく、失うものも何もない、そう父親たちの退廃した芸術に再び陥るよりはすべてを失ってもいいというような時代だった。 それは戦後、社会が急激に発展していき、突如としてスクリーンの中にも、路上にも恋人たちが人目を憚らず現れ、人生と映画の両方が愉快にカミングアウトし合った60年代だった。 そしてまだ無名の俳優と映画作家が同じぐらい重要な存在であり、キャメラの前と後ろの境を超えた魂の結びつきによって生まれた映画、それは彼らが共同で創り出した作品だった。 アドルフォ・ビオイ=カサーレスの幻想小説をイタリア人監督が映画化した『モレルの発明』(1974年)でカリーナはファスティーヌ役を演じた。 生物を三次元上に撮影すると、のちにその生物が死んでしまう悪魔の機械。 人間を含めた生物が完璧な姿で記録され、それと引きかえに破壊していく。 映像が魂を奪うという私たち先祖の信仰が物語のもととなっているだろう。 アンナ・カリーナはしかし恋をしていたのだ。 6年(1961年から67年まで)、カリーナがヌーヴェルヴァーグの女性の顔となり、シネフィルたちのマリアンヌ(フランス共和国を象徴する女性像であり、『気狂いピエロ』でカリーナが演じた女性の名前)になるには6年というその月日で充分だった。 端正な顔立ちで、中国の影絵のように美しいカリーナ。 (ベルナデット・)ラフォン、(ステファンヌ・)オードラン、(デルフィーヌ・)セイリング、そして「ロメール映画の女の子たち」、ヴァルダ以外すべて男性の監督たちの世界に、閃光のように出現したこうした何人かの女性たちの中にアンナ・カリーナもいた。 ゴダール、リヴェット、ファスビンダー、ゲンスブール=コラルニック、ラウル・ルイス、ショレンドルフ、デルヴォー、リチャードソン、ズルニーニ。 アンナ・カリーナは口数の少ない顔をしながら、国籍を超えた新しい波(ヌーヴェルヴァーグ)に乗り、5つの言語を流暢に話しながら映画のユートピアの一員だった。 おそらく『不良少女モニカ』(1953年)のあのショットによってすべてが変化したのだ。 ハリエット・アンデルソンのキャメラ目線のあのラストのショットはヌーヴェルヴァーグの若き獅子たちに官能的なる衝撃を与え、とくにゴダールはとことん拘り(それは映画技法として誰もが使用する、ありきたりな手法にさえなっていくのだが)、イングマール・ベルイマンによるそのショットを『勝手にしやがれ』(1959年)ではセバーグに、『小さな兵隊』(1960年)ではカリーナに演じさせた。 しかしカリーナはキャメラとの正面の関係をより力強いものへと高めていく。 キャメラは彼女の顔の特徴をつぶさにとらえるポートレイトを形成するにいたるのだ。 正面から、横から、あらゆる角度から細かく彼女をとらえ、警察による容疑者の人体測定、あるいは絵画における人物像のエチュードにさえたとえられるだろう。 物思いにふけり、悲しみに沈み、ふてくされて それこそが『 』(1962年)の全編にわたって私たちが目にすることであるだろう。 彼女を見つめる視線、その顔、横顔、楕円形の輪郭、唇までタバコを持っていくその手、短めに切られた髪がカーブを描くその首、彼女はその間、引き出しを開け、うな垂れ、私たちと共に肖像画家(ジャン=リュック・ゴダール)のナレーションの声に耳を傾けながら辛抱強く待ち、そしてキャメラの視線にとらえられるがままに身を任せる。 闇、そして光の中でとらえられるその顔の上で、彼女は笑いと涙を交互に見せることができた。 アンナ、あるいはその情熱......。 ゴダールの声が彼女に文学的レッスンをほどこし、それからある予言を告げるだろう。 彼女は物思いにふけり、悲しそうでいて、そして少しふてくされながら、そのことに気づいている。 そう、いつかふたりの間の愛が消えていくことを。 しかし彼女のこのポートレイト、感情の微妙なる動きが刻まれたこの瞬間は消えないことを。 それらすべての瞬間は残っていくことを。 そうしてこのシーンの最中、ゴダールによってずっと朗読されているエドガー・アラン・ポーの小説(『楕円形の肖像』)の中で、画家はこう叫ぶ、「これはまるで(妻の)生き身そのままだ!」と。 そう、おふざけ好きのアンナ・Kのね。 過激な内容から、公開当時、本国フランスで上映禁止騒動が巻き起こった。 ちなみにジャック・リヴェットの『修道女』は65年に完成されたが、カトリックに冒涜的だとして反対運動が起こり、一時は上映禁止となり、翌年のカンヌ映画祭で初めて上映されるも賛否両論の論争を巻き起こした。 1967年7月26日、ようやくパリの5館のみで公開となる。 『女と男のいる舗道』は「とヌーヴェルヴァーグの監督たち Hommage a Michel LEGRAND」にて近日上映予定。 2020年2月21日からYEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次開催。 また京都では出町座、京都みなみ会館にてが開催される。 そしてラストにアンナ・カリーナ とフィリップ・カトリーヌのデュエットによるを.

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アンナ・カリーナ : 略歴、出演作品の紹介、恋愛エピソードなど

アンナカリーナ ゴダール

この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2019年8月) 1930年代 - 1950年代 [ ]• 、フランス・に生まれる。 フランス人の銀行家を父に、スイス人を母に持つである。 子供時代をスイス・で過ごす。 、両親の離婚によりパリへ戻り、に編入、その後に進学(のちに中退)。 またこの年、モーリス・シェレール()の主催する「」に参加、、、らと出会う。 、、主催「」に参加。 5月、モーリス・シェレール編集『』創刊(同年11月廃刊)、執筆参加(ハンス・リュカス名義)。 またこの年、ジャック・リヴェットの習作短編第2作『』に主演する。 4月、アンドレ・バザン編集『』創刊、のちに執筆に参加。 また同年エリック・ロメールの習作短編第2作『』に主演する。 、習作短編第1作『』を脚本・監督。 までにトリュフォーとの共同監督作品『水の話』を含めた数本の短編を撮る。 、初の長編映画『』 を監督。 翌に公開され、、銀熊賞を受賞した。 1960年代 [ ]• 、長編第2作『』に主演女優として出演したと結婚。 『』でベルリン国際映画祭銀熊賞受賞。 、アンナ・カリーナと独立プロダクション「」( - )設立。 設立第1作は『』。 、『』発表。 『』でベルリン国際映画祭受賞。 同年、アンナ・カリーナと離婚。 、『』に主演したと結婚( - 離婚)。 8月、商業映画との決別宣言文を発表。 5月、のさなかのに、映画監督、、らとともに乗りこみ各賞選出を中止に追い込む。 同年、らと「」を結成( - 解散)、匿名性のもとに映画の集団製作を行う。 1970年代 [ ]• 、バイク事故に遭う。 、とを主役に、製作、仏伊合作『』をジガ・ヴェルトフ集団として撮る。 本作にスチルカメラマンとして参加したと出逢い、製作会社「」を設立( - )、『』を同社で製作、完成をもってジガ・ヴェルトフ集団を解散。 、ミエヴィルとともに拠点をパリからに移す。 、ミエヴィルとの脚本共同執筆第1作『』を監督。 以降、ミエヴィルとの共同作業でビデオ映画を数本手がける。 、ミエヴィルとともに拠点をグルノーブルからスイス・ヴォー州に移し、アラン・サルド製作による『』で商業映画への復帰を果たす。 製作会社「」を設立( - )。 1980年代 [ ]• 、『』を脚本・監督。 「ソニマージュ」社は「JLGフィルム」社らと本作を共同製作したのちに活動停止。 、『』により第40回でを獲得。 、『』によりを受賞。 、『』の第1章と第2章とを発表。 1990年代 [ ]• 、「JLGフィルム」社が『映画史』以外の活動を停止するにともない、ミエヴィルとの新会社「」を設立。 、『映画史』の最終章である第4章を発表。 2000年代 [ ]• 、の受賞。 、パリので初の個展が開かれる。 同会場での上映のための映画『』( Vrai-faux passeport)を製作・脚本・監督。 2010年代 [ ]• 、 を受賞。 、で、「スペシャル・パルム・ドール」を受賞(50周年を記念した特別賞であり、コンペ最高賞のや、名誉賞のとは異なる)。 人と作品 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2019年8月) の時代 [ ] 1954年 - 1967年 『コンクリート作業』 - 『ウイークエンド』 として数多くの映画に接していた若き日のゴダールは、に集っていた面々(、、、等)と親交を深めると共に、彼らの兄貴分的な存在だったの知己を得て彼が主宰する映画批評誌『』に批評文を投稿するようになっていた。 すなわちゴダールは、他のヌーヴェルヴァーグの面々、いわゆる「カイエ派」がそうであったように批評家として映画と関わることから始めた。 数編の短編映画を手掛けた後、先に映画を制作して商業的な成功も収めたクロード・シャブロル(『』『』)やフランソワ・トリュフォー(『』)のように、受け取る遺産も、大手配給会社社長の家族もいないゴダールは、プロデューサーのと出会うことで、長編処女作『』 1959 でやっとデビューできた。 が演ずる無軌道な若者の刹那的な生き方を描くこの作品は、撮影技法では、、を生かすための中心の撮影など、ヌーヴェルヴァーグ作品の特徴にくわえて、を多用する斬新な編集手法でも注目された。 『勝手にしやがれ』でが演じた役柄には、ゴダールは当初は片思い状態で思慕していたを想定していたが、本人の拒絶により実現しなかった。 しかし『勝手にしやがれ』の成功を背景としてカリーナとの関係は親密なものとなり、に結婚。 以降アンナ・カリーナは前期におけるゴダール作品の多くの主演女優を務めることになる。 1965年には話題作『』を発表した。 の『』を1つの頂点として商業映画との決別を宣言する中期に至るまで、1年に平均2作程度というペースで作品を制作し続け、ゴダールは名実ともにヌーヴェルヴァーグの旗手としての立場を固めていった。 この時期のゴダール作品の題材は、(『小さな兵隊』)・団地売春の実態(『』、)・SF仕立てのハードボイルド(『』、)と広範囲に及んでいる。 また、この時期は「映画内映画」の要素を積極的に取り入れていたことも大きな特徴で、『』()のように映画の制作自体を作品としたものから、『』()における主演のジャン=ポール・ベルモンドがスクリーンを見ている観客自身に語りかけるような話法に至るまで、様々な「映画内映画」の要素が盛り込まれた。 商業映画との絶縁を宣言 [ ] 1967年 - 1979年 『たのしい知識』 - 『うまくいってる? 』 1967年8月に、ゴダールはアメリカ映画が世界を席巻し君臨することを強く批判し、自らの商業映画との決別宣言文を発表した。 「われわれもまた、ささやかな陣営において、、、、等の巨大な帝国の真ん中に、第二・第三のヴェトナムを作り出さねばならない。 そして、経済的にも美学的にも、すなわち二つの戦線に拠って戦いつつ、国民的な、自由な、兄弟であり、同志であり、友であるような映画を創造しなくてはならない。 」 — ゴダール、『ゴダール全集』4巻(刊) パリ五月革命を先取りしたとも言われる『』 において既に政治的な傾向が顕著になっていたが、それが明確になったのはのにおける「」だった。 映画祭開催9日目の、会場にが現れ、コンペティション部門に出品されていたカルロス・サウラの作品上映を中止させようとした。 運動の中心的人物だったゴダールとはフランスで行われていた学生と労働者の運動に連帯し、警察の弾圧、政府、映画業界のあり方への抗議表明としてカンヌ映画祭中止を呼びかけ 、、、、らと会場に乗り込んだ。 審査員の、、、もこれを支持して審査を放棄し、上映と審査の中止を求めた。 コンペティションに出品していたの監督も出品の取りやめを表明した。 その結果、この年のカンヌ映画祭は中止になった。 しかし、この事件をきっかけとして映画作家の政治的主張の違いも鮮明になり、作家同士が蜜月関係にあったヌーヴェルヴァーグ時代も事実上の終わりを告げるに至った。 プライベートでも、女優アンナ・カリーナとに破局が決定的になり、『中国女』への出演を機ににアンヌ・ヴィアゼムスキーがゴダールの新たなるパートナーとなった。 この後『ウイークエンド』()を最後に商業映画との決別を宣言し『』 で商業映画に復帰するまで、政治的メッセージを発信する媒体として作品制作を行うようになる。 また商業映画への決別と同じタイミングで、作品に「ジャン=リュック・ゴダール」の名前を冠することをやめ、「」を名乗って活動を行う( - )。 の映画作家の名を戴いたこのグループは、ゴダールと、の政治活動家であったを中心とした映画製作集団で、この時期のパートナーであるアンヌ・ヴィアゼムスキーもメンバーとして活動に加わった。 、『ジェーンへの手紙』完成をもって同グループは解散、ゴダールはアンヌ=マリー・ミエヴィルとのパートナーシップ体制に入る。 この時期のゴダールは映画を政治的なメッセージ発信の手段として明確に位置づけ、その手段として、膨大な映像の断片と文字、引用(、、)とを大量に列挙してみせた。 が出演し、アルバム『』のレコーディング風景が収録されたことで多くの話題を呼んだ『』()においては、様々な場面や場所で多様な人が政治的なメッセージを読み上げるシーンと、試行錯誤しているストーンズのリハーサルシーンとを交互に重ね合わせることにより、当時の政治的な状況を映画作品として再現する実験を試みている。 この時期にはトリュフォーをして「彼こそが本物の天才だ」と言わしめた初期の大胆な撮影・編集手法は、しだいに影をひそめるようになった。 1988年 - 2000年 『ゴダールの映画史』(『言葉の力』 - 『オールド・プレイス』) 1990年代のゴダールは『映画史』の製作に没頭することになった。 これは19世紀末から始まる世界の映画史全体をふりかえる構想で、ビデオ作品として製作・発表された。 その構成要素は、までの、ヌーヴェルヴァーグを中心としたフランス、イタリアの、および等、その他ヨーロッパ諸国の作品が圧倒的多数を占め、非欧米圏からは日本から4人の作家(、、、)とインドの、イランの、ブラジルの、台湾のが参照されている。 この時期に作られた『』()や『』()でも、映画史上のさまざまな作品を引用する手法は踏襲されている。 ほかに『』()、『』()がある。 2001年 - 『映画史』が完成するころからさまざまな短篇群、オムニバス作品に積極的に参加するようになり、ゴダールが監督として、あるいは俳優として参加した映画作品は、140を超える。 2014年、3D映画『』で審査員賞を受賞している。 2018年に公開された『』は、『映画史』を彷彿とさせる無数の映画作品のコラージュで構成されている。 フィルモグラフィー [ ] 監督作品のうち主な長編映画のみ記載。 詳細は、、を参照。 Le Petit Soldat (1960年完成、1963年公開)• Une femme est une femme (1961年)• Vivre sa vie. Film en douze tableaux (1962年)• Les Carabiniers (1963年)• Pierrot le fou (1965年)• Made in USA (1966年)• Deux ou trois choses que je sais d'elle (1967年)• La Chinoise (1967年)• Week-end (1967年)• Le Gai Savoir (1968年完成、1969年公開)• One A. (1968年製作、1972年公開) と共同監督• Un film comme les autres (1968年) 名義• British Sounds (1970年) ジガ・ヴェルトフ集団名義• Pravda (1970年) ジガ・ヴェルトフ集団名義• Le vent d'est (1970年) ジガ・ヴェルトフ集団名義• Lotte in Italia (1970年) ジガ・ヴェルトフ集団名義• Vladimir et Rosa (1971年) ジガ・ヴェルトフ集団名義• Tout va bien (1972年) ジガ・ヴェルトフ集団名義• Letter to Jane (1972年) ジガ・ヴェルトフ集団名義• (1975年完成、1978年公開) と共同監督• Ici et ailleurs (1976年) アンヌ=マリー・ミエヴィルと共同監督• Sauve Qui Peut la vie (1980年)• Passion (1982年)• Je vous salue, Marie (1985年)• Aria 挿話「」 Armide 1987年• King Lear (1987年)• Soigne ta droite (1987年)• Nouvelle vague (1990年)• For Ever Mozart (1996年)• Notre musique (2004年)• Film Socialisme (2010年)• Adieu au Langage (2014年)• 『ゴダール 映画史(全)』訳、、2012• 『ゴダール全集』蓮實重彦・柴田駿監訳、竹内書店、1970• シリル・ベジャン編『ディアローグ : デュラス : ゴダール全対話』福島勲訳、読書人 、2018• アラン・ベルガラ編『ゴダール全評論・全発言〈2〉1967-1985』奥村昭夫訳、筑摩書房、1998• アラン・ベルガラ編『ゴダール全評論・全発言〈3〉1984-1998』奥村昭夫訳、筑摩書房、2004• 関連文献 [ ]• Bergala, Alain. (アラン・ベルガラ『六〇年代ゴダール : 神話と現場』奥村昭夫訳、筑摩書房 2012)• Brenez, Nicole ed. Jean-Luc Godard: Documents, , 2006. Brody, Richard. , 2008. Chiesi, Roberto, Jean-Luc Godard, Roma : Gremese. Dixon, Wheeler Winston. The Films of Jean-Luc Godard. Albany: State University of New York Press, 1997. Loshitzky, Yosefa. The Radical Faces of Godard and Bertolucci, Wayne State UP, 1995. Godard: A Portrait of the Artist at 70. London: Bloomsbury, 2003. (『ゴダール伝』堀潤之訳、、2007)• MacCabe, Colin. Godard: Images, Sounds, Politics. London: Macmillan, 1980. Morrey, Douglas. Jean-Luc Godard. Manchester: Manchester University Press, 2005. Silverman, Kaja and Harun, Farocki. Speaking About Godard. New York: New York University Press, 1998. Sterrit, David. The Films of Jean-Luc Godard: Seeing the Invisible. Cambridge: Cambridge University Press, 1999. Temple, Michael et al. eds. For Ever Godard. London: Black Dog Publishing, 2007. Temple, Michael and James S. Williams eds. The Cinema alone: Essays on the Work of Jean-Luc Godard 1985-2000. Amsterdam: Amsterdam University Press. 2000. Temple, Michael et al. eds. Jean-Luc Godard: Documents, Paris: Centre Georges Pompidou, 2007. ・松浦寿輝『ゴダールの肖像 増補改訂版』大野裕之編、とっても便利出版部、2000• 小松祐夫『ゴダールの黙示録 : Jean-Luc Godard : Helas pour moi! 』新風舎、2006• 小松祐夫『ゴダールの文法』新風舎、2000• 『ゴダール原論 : 映画・世界・ソニマージュ』新潮社、2016• 佐々木敦『ゴダール・レッスン : あるいは最後から2番目の映画』新装版、フィルムアート社、1998• 杉原賢彦『ゴダールに気をつけろ! 』フィルムアート社、1998• 編『光をめぐって : 映画インタヴュー集』筑摩書房、1991• 蓮實重彦『ゴダール マネ フーコー : 思考と感性とをめぐる断片的な考察』NTT出版、2008• 蓮實重彦『ゴダール革命』筑摩書房、2005• 平倉圭『ゴダール的方法』インスクリプト、2010• 『ゴダール』筑摩書房、1997• 『ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代』ワイズ出版、2010• 『ゴダールと女たち』講談社現代新書、2011• 四方田犬彦・堀潤之編『ゴダール・映像・歴史 : 『映画史』を読む』産業図書、2001 雑誌特集など• 『ジャン=リュック・ゴダール』、・マガジン・ジャパン、改訂版2003、初版1998• 『 ゴダールの神話 臨時増刊号』、1995• 『 60年代ゴダール』1998年10月号、青土社• 『ユリイカ ゴダールの世紀』2002年5月号、青土社• 『ユリイカ 詩と批評 特集ゴダール』2015年1月号、青土社• 『KAWADE夢ムック ゴダール 〈別冊〉』、2002 関連項目 [ ] 批評家期• 製作母体• - ゴダールとが設立した製作会社• - ゴダールとが中心になって活動した映画作家集団• - ゴダールとが設立した製作会社• - ゴダールとミエヴィルが設立した製作会社• - ゴダールの製作を支える 脚注 [ ]• 2010年10月26日. 2017年10月1日閲覧。 2010年10月27日. 2017年10月1日閲覧。 Brody, R. , Everything Is Cinema: The Working Life of Jean-Luc Godard 2008 ; Boslaugh, Sarah, and Boslaugh. "Godard, Jean—Luc 1930—. " Encyclopedia of the Sixties: A Decade of Culture and Counterculture, edited by James S. Baugess, and Abbe Allen DeBolt, Greenwood, 1st edition, 2011. Morrey, Douglas. Jean-Luc Godard. Manchester University Press Manchester, 2005. 2018年5月20日. 2018年11月2日閲覧。 アナーキストを題材に取ったフランス以外の映画としては、マーロン・ブランド主演の『蛇皮の服を着た男』 1960年、アメリカ)がある。 なお、この映画は本来ならレコーディングは完了せずに終る予定であり、未完であることにこそ本質的な意味があるとゴダールは考えていたのであるが、制作者側の商業的な意図により作品の最後で完成した「」が挿入されてしまった。 ゴダールが激怒したのは言うまでもない。 この作品はゴダールが活動資金稼ぎを目的として制作されたもので、中期に位置するものの商業映画(イギリス資本)としてゴダールの署名で制作されている。 Jean-Luc Godard: Documents, : , Paris, 2006. Shoard, Catherine 2014年5月24日. The Guardian. 2014年10月20日閲覧。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 ウィキクォートに に関する引用句集があります。 - (英語)•

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「女は女である」 ゴダールの世界、アンナ・カリーナの魅力炸裂|【西日本新聞ニュース】

アンナカリーナ ゴダール

パリの街を舞台に、アパルトマンで一緒に暮らすダンサーの女性と書店員の青年、階下に住むもう一人の青年という、3人の恋のさやあてを、歌と踊りを交えて描くミュージカル・コメディーです。 「ゴダール」と聞くと、小難しい映画を想像する人も多いと思いますが、昨年末に亡くなった女優アンナ・カリーナの魅力が全編に炸(さく)裂し、ミシェル・ルグランの音楽も楽しい一篇です。 カラフルでキュートな衣装や小道具も見どころ。 今見ても若い女性のオシャレ心を刺激するヒントがいっぱい。 60年近く前の映画だというのに、まったく色あせていないことに驚かされます。 【ザジフィルムズ】 昨年、設立30年を迎えました。 当初はゴダール監督やアニエス・ヴァルダ監督ら、「ヌーベルバーグ」に属する作家たちの作品のリバイバル公開が中心でしたが、欧州やアジアの優れた映画作家の新作、才能ある新しい若手監督の作品なども手掛けています。 近年はイタリアの巨匠ジャンニ・アメリオ監督の「ナポリの隣人」、タイの新鋭ナタウット・プーンピリヤ監督の「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」がヒットしました。 クラシック作品の再公開も引き続き手掛けており、米国のインディーズ監督たちの「師」と言われるジョン・カサベテスのレトロスペクティブ(回顧上映)、スウェーデンの巨匠イングマール・ベルイマンの生誕100年映画祭などを企画し、若い映画ファンを育てるのに一役買っています。 【私の映画愛】 ハリウッドの大作も、お気に入りの俳優が出演する日本映画も、作家性が強く癖のある欧州映画も、アイデア一本勝負のインディーズ映画も、全てひっくるめて映画。 私自身も、ジャンルを特定せず、今も映画館で月に10本以上を見るようにして、多様性を楽しみながら、日々の活力にしています。 一人でも多くの人が、配信でも、テレビでも、ブルーレイでも映画に触れ、楽しさを知り、その結果、映画館にも足を運んでくださるよう、これからも精進したいと思っています。 「女は女である」より(c)1961 STUDIOCANAL - Euro International Films,S. 今の感覚で見るとはらはらする。 ええっ、それセクハラじゃないか。 たばこをそんなに吸って、どうだか。 思わず声を掛けたくなる。 気づいたときにはもう引きつけられている。 愛らしく小悪魔的な踊り子、アンジェラ(アンナ・カリーナ)は同居する男に「子どもがほしい」と言い募って、口げんか。 男と女の本音の応酬はむきだしでポップでおかしくて、やがて「女とは」「男とは」、そして「人間とは」をじんわりと問いかける。 ゴダールはただ者ではない。 ともに今年8月15日まで販売する。

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